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第21話:未完成の鍵、記憶の螺旋

天響研究所、地下研究室。


薄暗い通路に、藍沢博士らしき人物の足音が響く。懐中電灯の光が、埃にまみれた実験器具や、壁に書かれた数式をぼんやりと照らしていく。紡は、崩れた壁の陰に身を潜めながら、その姿を凝視した。


(本当に、藍のお父さん……?)

心臓が激しく鳴る。彼は火災で亡くなったはずだ。これは幻覚なのか、それとも林 耀が見たという「記憶の残像」なのか。だが、彼の存在はあまりにも現実味を帯びていた。微かに聞こえる息遣い、白衣の擦れる音。


藍沢博士は、通路の奥、さらに深い闇へと消えていく。

紡は、躊躇した。このまま彼を追うべきか。だが、招待状の言葉が脳裏をよぎる。

『「未完成」なる「鍵」が、ここにある。』

この地下に、林 耀がまだ気づいていない、あるいは到達できていない「鍵」があるというなら、それは藍沢博士に関係しているに違いない。


紡は、意を決して、博士の後を追った。足音を立てないよう、慎重に、しかし素早く進む。地下研究室は、迷路のように複雑な構造をしていた。いくつもの実験室が連なり、通路はさらに奥へと続いていた。


やがて、藍沢博士は、一つの大きな扉の前で立ち止まった。扉は、重厚な鋼鉄製で、表面には複雑な紋様が刻まれている。その紋様は、「欲望の地図」に描かれていたものと、どこか似ている。


博士は、扉に手を触れ、何かを呟いた。扉は、微かな機械音を立てながら、ゆっくりと開いていく。

中から漏れ出すのは、青白い光と、微かに耳鳴りのような高周波の音。


紡は、息をのんだ。中を覗くと、そこは巨大な実験室だった。中央には、いくつものケーブルが繋がれた、カプセル状の装置が鎮座している。その内部は、青白い液体で満たされており、まるで生命が眠っているかのようだった。


そして、部屋の壁には、膨大な量の数式や、人間の脳の構造図、そして、見たこともない複雑な回路図がびっしりと書き込まれていた。そのどれもが、「人間の意識」と「物質」の相互作用について記されている。


「……ここが、博士の……」

紡が思わず声に出しそうになった瞬間、招待状が激しく熱を帯び、脈動した。

招待状の白い表面に、新たな文字が浮かび上がる。


『「死」と「生」の境界を操る者。

「再構築」の「原型」が、ここに。

しかし、「魂の器」は、未だ「空」』


招待状の「声」が、紡の脳内に直接響き渡る。

「再構築の原型」――。林 耀が求めている「死を克服し、意識を再構築する」研究の、最初の形がここにあるというのか。

「魂の器は、未だ空」――。それは、藍沢博士の研究が、未完成であることを意味するのだろうか。


その時、藍沢博士がカプセルの前に立ち、何かを操作し始めた。彼の指が、装置のパネルに触れるたび、内部の青白い液体が微かに波打つ。


紡は、その様子をじっと見つめていた。すると、博士の背後から、もう一人の人影が現れた。

若き日の林耀だ。


林 耀は、博士の隣に立ち、興奮した様子で装置を見つめている。

「博士、本当にこれで……!?」

「ああ、耀。これで、意識の完全な抽出と、物質への定着が可能になるはずだ。」

藍沢博士の声は、疲れていながらも、確信に満ちていた。

「しかし、まだ『魂の器』が問題だ。適合する器がなければ、意識は安定しない。」


その言葉に、紡の心臓が大きく跳ねた。

「魂の器」――。それは、まさか、自身の「空っぽ」な心が関係しているのだろうか。

林 耀が、紡の「真の欲望」を「核」と呼んだ理由。それは、紡の「空っぽさ」が、「魂の器」として利用できるからなのか。


次の瞬間、実験室の奥から、けたたましい警告音が鳴り響いた。

赤いランプが点滅し、装置から火花が散る。

「まずい!オーバーロードだ!」

林 耀が叫ぶ。

「なぜだ!?計算は完璧だったはず……」

藍沢博士の顔に、絶望の色が浮かんだ。


装置が、激しい音を立てて爆発した。

爆風と炎が部屋中に広がり、紡の視界は、一瞬にして白く染まった。

熱風が肌を焼く。


(この光景は……あの火災……!)

紡は、林 耀の記憶の断片で見た、あの研究所の火災の瞬間に立ち会っているのだと気づいた。


炎の中で、藍沢博士は、何かに手を伸ばそうとしていた。

「耀!これだけは……!これだけは、お前が持っていけ……!」

博士の手から、何かが宙に投げ出された。

それは、かすかに青白い光を放つ、一枚の白い紙片。


(招待状……!)

紡は、思わず手を伸ばした。

その白い紙片は、炎の中で、林 耀の幼い姿の近くを通り過ぎ、まるで導かれるように、紡の指先に触れた。


その瞬間、紡の視界が歪み、空間が捻じれる。

炎、爆発音、藍沢博士と林 耀の声、全てが遠ざかっていく。


そして、次に意識を取り戻した時、紡は再び、林 耀の館の書斎に立っていた。

林 耀の視線が、驚愕と、しかし深い執着を宿して、紡の姿を捉えている。

彼の館にワープする前の、あの瞬間に戻ったのだ。


「……まさか……貴女は……!」

林 耀の声は、震えていた。

彼は、紡が彼の過去の記憶に触れ、そして、招待状の真の起源を垣間見たことに気づいたようだった。


紡は、自分の手のひらを見た。

そこには、しっかりと招待状が握られていた。

招待状は、静かに、しかし確かに、温かい熱を帯びていた。

まるで、全ての真実をその内に秘めているかのように。


林 耀の瞳が、狂気じみた光を宿し、紡を見つめる。

「貴女は、見たのですね……私の『根源』を。そして、『書』の誕生を……!」


天響研究所の地下で見た「未完成なる鍵」。

林 耀の「真の欲望」の原型。

そして、火災の瞬間に、招待状が紡へと渡された、その真実。


全ての点と点が、今、一本の線で繋がり始めていた。


(つづく)

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