活動拠点での夜は、紡にとって深く決して安らぎのないものだった。
「孤独とは、真の繋がりを求める魂の叫び。無価値とは、自己の内なる輝きを見失った結果。」
その「声」が紡の心に刻み込んだ言葉が、何度も反芻される。
特に「他者との間に生まれる確かな絆」「互いの心を映し出す鏡」「他者の内に己を見出す経験」というフレーズは、頭の中で具体的なイメージを結び始めた。
(藍との関係は、まさにそうだ……)
紡は、隣の簡易ベッドで静かに眠る藍の方を見た。
あの日、自ら命を絶とうとした紡を、藍は懸命に引き止めてくれた。紡を「特別」だと言い、隣で笑い、共に泣いてくれた。それは、誰かの評価を求め、自分を偽って生きてきた紡にとって、何よりも「確かな絆」だった。
藍という鏡を通して、紡は自分自身の存在が、決して「無価値」ではないことを知ることができた。
その思考はすぐに、神崎の存在へと移る。紡の能力を理解し、導いてくれる「理解者」だ。
だが、招待状の警告は「最も親しい『信頼』を、そして『自己』さえも疑わせる」と告げた。あの駅前のカフェでの視線、哲学書を手にしていた彼、そして彼の言葉に潜む「真実」とは何か。
神崎は、本当に紡の味方なのだろうか?
あるいは、彼もまた、何らかの「仮面」を被っているのだろうか?
疑念が渦巻くが、答えは出ない。
紡は、まだ神崎の「凝り」を深く読み解けていない。ただ、彼から感じる底知れない静けさ、時折見せる見透かすような眼差しが、紡の心をざわつかせる。その視線は、紡の「空っぽ」の奥に隠された、まだ見ぬ何かを探しているかのようだった。
翌朝、重い瞼を開けると、神崎が紡のベッドサイドに立っていた。いつものように表情は読めないが、その瞳の奥には、どこか期待のような色が滲んでいるように見えた。
「おはようございます、小鳥遊さん。昨夜はよく眠れましたか?」
神崎の声は穏やかだったが、紡は一瞬、身構えた。昨夜の思考が、生々しく蘇る。
「はい……おかげさまで。」
紡は曖昧に答えた。神崎はそれに気づいたのか、何も言わず、机の上に置かれたタブレットを指差した。
「本日、緊急の任務が入りました。以前、あなたが浄化した宗教施設の関連団体です。どうやら、指導者の逮捕によって、信者たちの間で新たな『凝り』が発生しているようです。」
タブレットの画面には、昨日訪れた集会所と同じロゴマークと、荒れた雰囲気の建物が映し出されていた。そして、その横には見慣れない顔写真が数枚。そのうちの一枚に、紡の視線は釘付けになった。
星野 詠(ホシノ エイ)。
どこかで見たことのあるような、思い出せない顔。その写真の人物の背後には、微かに、昨日の指導者と同じような、より希薄な「凝り」の気配が感じられた。
それは単なる残滓ではなかった。個々の信者の内に深く根を張る、無数の微細な「孤独の凝り」が、互いを求め合い、まるで巨大な渦のように蠢いているのが、紡の「器」を通して感じ取れた。
「彼らは、指導者の不在によって生じた『空っぽ』を埋めようと、互いに依存し、新たなリーダーを立てようとしているようです。今回は、よりパーソナルな『凝り』が集合的に発生している可能性が高い。」
神崎の説明を聞きながら、紡の脳裏に招待状の言葉が過った。
「孤独とは、真の繋がりを求める魂の叫び。」
指導者が逮捕された今、残された信者たちは、以前にも増して深い「孤独」に苛まれているに違いない。その孤独が、新たな「凝り」を生み出しているのだ。
「彼らが求めるのは、まさに『共鳴』なのかもしれませんね……」
紡は、無意識のうちに呟いた。
神崎の目が、再び微かに見開かれる。
「その通りです、小鳥遊さん。あなたは、もうその領域に達しつつある。」
神崎の視線が、紡の心の奥底を見透かすかのように深く微かな笑みを浮かべているように見えた。その笑みは、紡の成長を喜んでいるようにも、あるいは、紡が足を踏み入れようとしている未知の領域への期待を秘めているようにも見えた。
同時に、それが紡を何らかの「目的」のために誘導しているかのような、得体の知れない不穏さも孕んでいた。
その瞬間、紡の「器」の奥底から、ゾクリとするほどの冷たい感覚がせり上がってきた。
それは、かつて感じたことのない、巨大で形のない「深淵」からの呼び声のようなものだった。
ただの恐怖ではなかった。
紡自身の「器」が、その深淵と呼応するように、まるで何かを求めているかのような、抗いがたい引力。
これまで浄化してきた「凝り」とは全く異なる、世界の根源に触れるような、圧倒的な存在感だった。
浄化では解決しない「渇望」の連鎖。
その根源と向き合うために、紡は、その「深淵」へと足を踏み入れなければならないのだろうか。
(つづく)