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第39話:共鳴の螺旋

星野ホシノエイ――その名前と顔が、紡の脳裏に焼き付いた。緊急任務へと向かう車中、神崎は運転席で冷静にハンドルを握り、藍は後部座席で窓の外をぼんやりと眺めている。紡だけが、タブレットに映し出された星野 詠の写真と、そこから微かに感じる「凝り」の気配から目が離せずにいた。


(どこかで……どこかで、見たことがあるような……)


デジャヴュのような感覚。それがいつ、どこでなのか、どうしても思い出せない。ただ、星野の背後に感じる「凝り」は、昨日浄化した指導者のそれとは全く異なる性質を帯びていた。


あれは、個々の信者から生まれた無数の「孤独の凝り」が、まるで意思を持ったかのようにうごめいている塊だった。それは巨大な渦となり、互いを引き寄せ、増幅させているかのようだった。


「小鳥遊さん、今回は危険性が高い。」


神崎の声が、紡の思考を遮った。


それは、前回の指導者のような「支配の凝り」とは異質なものだった。


かつての指導者の「凝り」は、強烈な「渇望」が核となり、他者を力ずくで従わせるという、いわば「集中型」の精神的支配であった。

それは、トップダウン式に人々の心の隙間を埋めようとするもので、核を浄化すれば連鎖的に解決が見込める性質を持っていた。


今回顕現けんげんしているのは、指導者の不在によって生じた信者たち一人ひとりの「空っぽ」が互いを求め合った結果。

彼らは、承認してくれる存在を失い、深い「孤独」と「無価値」に直面している。その不安と渇望が、個々で小さく発生した「凝り」として、互いに依存し、まるで螺旋のように絡み合い、増幅している。それは、中心となる核がない分、どこから手を付けていいか分からない、「拡散型」の心理的な共依存の渦であった。


神崎は、冷静に言葉を続けた。


「下手に浄化を行えば、彼ら一人ひとりの精神がバラバラになり、二度と立ち直れないほどの精神的崩壊を招く可能性があります」


紡の心臓が、ドクンと嫌な音を立てた。

無理な浄化は、彼らを救うどころか、もっと深い絶望に突き落とすかもしれない。


それは、紡が求めている「真の解決」とは程遠い。


「私は……何を、どうしたらいいのですか?」


紡の問いに、神崎はハンドルを握る手をわずかに強めた。彼の瞳に、深い色が一瞬宿る。


「完全な浄化は難しいかもしれません。彼らの『凝り』は、それぞれが抱える『孤独』や『無価値』が直接的に表面化したもの。それを無理に引き剥がせば、精神的な崩壊を引き起こしかねない。」


神崎の言葉は、紡が昨夜感じた「浄化だけでは真の解決にはならない」という直感を裏付けていた。


(どうすればいいの?この巨大な『孤独の渦』を……招待状の『声』が言っていた『確かな絆』や『自己受容』というものが、ここに何か関係しているの? それで、この状況を変えることなど本当にできるの?)


車は、廃工場が立ち並ぶ薄暗い地区へと入っていく。目的地である建物は、周囲の廃墟に紛れるように佇んでいた。そこから漏れ出る人々のざわめきと、微かに感じる重苦しい「凝り」の気配が、紡の心をざわつかせる。


建物の中に入ると、そこは簡易的な集会場になっていた。


昨日訪れたような規律正しい雰囲気とは異なり、人々は寄り添うように座り、互いにすがり付くかのように話し込んでいる。その瞳は、恐怖と不安に揺れていた。


その中心に、星野がいた。


星野は演壇に立つわけではなく、ただ輪の中に座り、一人ひとりの話に耳を傾けていた。星野の周囲から放たれる「凝り」は、彼自身の感情というよりも、周囲の信者たちの「孤独」や「不安」を吸い上げ、それを優しく包み込もうとしているかのように感じられた。


(彼は……救おうとしている?)


紡の「器」が、星野の内面へ深く潜り込もうとした、その瞬間。

星野の目が、紡を捉えた。


その瞳の奥に、強い光が灯ったかと思った。

紡の心臓に、直接、ゾクリとするような感覚が走った。それは、昨夜感じた「深淵からの呼び声」と瓜二つだった。


『来たか。』


耳ではなく、心の奥底に響く声。それは、星野の声だったと気づく。

紡の「器」を認識しているかのような、あるいは紡の存在を予期していたかのような響きに、紡は息を呑んだ。


その声に導かれるように、紡の「器」は、星野の「凝り」のさらに深部へと引き込まれていく。


そこにあったのは、彼自身の「孤独」ではなく、膨大な数の「他者の孤独」を吸収し、それを何とか「癒やそう」とする、純粋でありながらも、あまりに巨大な「渇望」の結晶だった。


(この人は、自分自身の「空っぽ」を満たそうとしているわけじゃない……?)


紡がこれまで見てきた「凝り」とは、明らかに異質だった。

神崎が、静かに紡の隣に立つ。


「彼の『凝り』は、あなたとは異なる性質を持ちますが、本質的には同じです。他者の『渇望』を吸収し、何らかの形で満たそうとする……彼もまた、『器』の一人なのです。」


神崎の言葉に、紡は愕然とした。

「彼も……『器』?」

紡の頭の中で、全てのピースが繋がり始めた。


林 耀も、この星野も。


そして、神崎自身も。


「理解者の仮面を被る者を見極めろ」――招待状の警告が、再び紡の心を抉る。


(神崎も……私と同じ「器」なの?それとも……)


星野の瞳が、再び紡を強く見つめた。

その奥に、どこか諦めにも似た強靭きょうじんな意思が宿っているのが見えた。


『貴女は、何を見つけるためにここへ来た?

この「深淵」は、全てを飲み込む。

貴女の「器」も、やがては……』


その声が途切れると同時に、星野の周囲に集まっていた信者たちの「孤独の凝り」が、意志を持ったかのように、紡へと一斉に襲いかかってきた。


それは、形のない手のひらのようであり、あるいは無数の寂しい囁きの集合体。

触れると、自分自身の「空っぽ」が際限なく広がるような感覚に陥り、心ごと引きずり込まれそうな、巨大な「渇望の渦」となって、紡の「器」を貪ろうと迫る。


「紡!危ない!」


藍の悲鳴が、遠くで聞こえた。

その声は、紡の顔が、一瞬にして絶望に歪み、全身から尋常ではない感情の波が溢れ出したのを敏感に感じ取った。藍には「凝り」が見えずとも、紡の心身に異変が起きていることは、すぐに理解できたのだ。


紡の「器」は、その巨大な「渇望の渦」に飲み込まれそうになりながらも、抗いがたい引力に引き寄せられていた。


「深淵」からの呼び声は、星野を通して、紡自身の「器」へと共鳴し、紡を未知の領域へと誘う。


果たして、紡の「器」はその全てを飲み込む深淵に抗えるのか。


あるいは、その深淵こそが、紡、そして隣にいる藍の「真の欲望」を解き放つ鍵となるのだろうか。


紡は、今、運命の岐路に立たされていた。


(つづく)

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