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第45話:心の鏡に映る孤独

病院の白い廊下、看護師が三つの病室の前を通り過ぎる。

一つ目の病室には、穏やかな寝息を立てる紡と、その手を握る藍が眠っている。

二人の心電図モニターは、以前より安定している。


二つ目の病室は、空室だった。


そして、三つ目の病室。

その中には、無数のチューブに繋がれた林 耀が、まるで氷像のように横たわっていた。

彼の顔色は青白く、呼吸は浅く、時折、苦しそうに途切れる。

心電図モニターの波形は、辛うじて生命維持装置が彼の命を繋ぎ止めていることを示していた。

点滴のボトルは、ゆっくりと空になっていく。


看護師は、三つの病室を見比べ、深い憂いを帯びた表情で首を傾げた。

「三人とも……何があったというの。」


---


寂しい商店街を抜け、紡と藍は、次の「欲望の結び目」へと向かう。

ホログラムの地図が示す場所は、見覚えのない、薄暗いオフィスビルの一室だった。

窓の外には、高層ビル群が立ち並び、夜の帳が降りている。


「ここも、私の心の記憶なんだよね……?」


紡の問いに、藍は静かに頷いた。

「たぶん。でも、ここには……私たち二人以外の『誰か』がいるみたい。」


藍の言葉の通り、部屋の奥には、一台のパソコンに向かって作業する男の姿があった。

彼は、かつて紡が憧れていた、林 耀の姿によく似ていた。

その表情は、どこか虚ろで、生気が感じられない。

机の上には、無数の栄養剤の空き瓶が散乱している。


「林さん……?」


紡が、恐る恐る声をかけるが、男は反応しない。

彼の瞳は、ただひたすらに、モニターに映し出された無機質なコードの羅列を追っていた。

男の周りには、無数の「声」が、幻聴のように響いている。


『そのコード、致命的なバグがある……』

『お前がリーダーになったプロジェクトは、どうせ失敗する……』

『この程度で満足しているのか?才能がないくせに……』

『お前が望む「再構築」なんて、ただの虚栄心だ……』

『お前は、誰の期待にも応えられない。所詮、出来損ないなんだ……!』


その声は、かつて紡が経験した「孤独」の幻聴とは、どこか異なっていた。

それは、「承認されること」を渇望する声ではなく、「完璧であること」を渇望する声だった。

そして、その声の中心で、林 耀のシンボルマークが、不気味に揺らいでいる。


「神崎さんが言っていた、『再構築』の失敗が、この幻覚に繋がっているのかもしれない……。」


藍が、紡に耳打ちする。

「林 耀さんは、自分の『空っぽ』を『完璧な自分』として再構築しようとした。

でも、それは失敗して、彼の心の中で、暴走し続けているんだ。」


藍の言葉に、紡はその男の姿を改めて見つめる。

彼の指は、キーボードの上で震えていた。

彼は、完璧なコードを書き上げることを強迫観念のように繰り返しているのだ。


その時、男の周りに渦巻く「声」が、実体を持った影となり、紡たちに襲いかかってきた。

影たちは、紡の心を揺さぶる言葉を、幻聴のように囁きかける。


『お前は無力だ……』

『お前は、この男を救えない……』


その言葉は、紡が「変容」の力を得た今でも、彼女の心を深く抉る。

紡は、一瞬、心が折れそうになる。


林 耀の苦しみが、あまりにも自分のものと似ていたからだ。

完璧な自分になろうとしてもがき、誰からも認められないことに絶望する。

その孤独と絶望は、紡が自殺を考えるほどに深く、重いものだった。


自分は、本当に林 耀を救えるのだろうか。

いや、過去の自分すら救えなかった自分に、そんなことができるのだろうか。


「違う、紡……!」


藍が、紡の前に立ち、腕を広げた。

「思い出して。この幻覚は、この男が抱えていた『孤独』と『不安』なんだよ。

彼は、林さんだよ!完璧な自分になることで、誰かに認められたかったんだよ。」


藍の温かい声が、波動となって紡の心を包み込む。


藍は、紡を励ますだけでなく、林 耀の苦しみ、そして過去の紡自身の苦しみを、自分のことのように感じ、受け止めていた。

その深い共感の光が、紡の心を温め、再び立ち上がる勇気を与えた。


「私も……そうだった……」


紡は、自身の「存在を肯定する力」を解放した。

二人の力が重なり合い、オフィスビル全体を包み込む。

すると、不気味に渦巻いていた「声」と「影」が、まるで朝霧のように消えていった。


この男は、幻聴から解放され、その姿が、光の粒となって、招待状の林 耀のシンボルマークへと吸収されていく。

地図に示されていた「欲望の結び目」も、浄化されたことを示すように、穏やかな光を放ち始めた。


「これで、一つ……」


紡は、疲労を感じながらも、確かな手応えを感じていた。

まだ、浄化すべき「欲望の結び目」は、無数に残されている。

紡と藍は、互いに顔を見合わせ、再び歩き出した。

旅路は、まだ始まったばかりだ。

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