「なるほど。なんの物質なのか現時点では不明だが、死者がでていないところを見ると毒ガスの類ではなさそうだな、ご苦労だった。ここはもういいからお前も治療を受けろ。さっきから眼球が小刻みに揺れているから倒れる寸前だぞ」
師団長は報告をした団員を衛生部隊に引き渡すと、エリザを伴って問題となった地下室の入口へと向かう。
「マスクをつけておけ。あと、清浄魔法を使え」
「はい」
毒の種類が分からないため、経皮吸収される物質だった場合を考え自分の周囲を清浄化する魔法を展開し続ける。
地下室の火はすでに鎮火されている。他の団員が気絶する直前に水魔法を放って消火させたようだと救護班が伝えてくれる。
二人で慎重に地下へ降りていくと、爆発のせいでめちゃくちゃになっている。だが燃え残ったものも多く残っており、これならここに何が保存されていたのか特定できそうだと師団長と話し合いながら二人で手分けして外へ運び出す。
軍から派遣された応援部隊に運び出したものを手渡していく。師団員以外は清浄魔法を使えないので手袋にマスク、ゴーグルに保護服という重装備である。
「割れていて分かりにくいですが、薬瓶のようなものが数多く紛れていますね。これに何が詰められていたのか薬師に調査を依頼しましょう」
瓶類は爆発の衝撃で全部割れてしまっている。だが、全てが燃えてしまったわけではないので、内容物の特定は不可能ではないだろう。
中のものを全て運び出して、調査班に引き渡したところで師団長が現場一帯に清浄魔法をかけたので、ようやくマスクを外すことができた。
「助かったよエリザ。休日のはずだったのに悪かったな」
「いいですよ。現場にいた団員まで昏倒してしまうなんて不測の事態ですし。それにしても、一体なんの毒なんですかね。見た限り、ここは毒物の精製が行えるような施設ではないから、別に製造所があるようですし……この件は長引きそうですね」
今回は人身売買の組織を捕らえるためだったが、もっと別の地下組織とつながっている可能性が出てきてしまった。
正体が分からない毒素を用いる組織と相対するのであれば、自警団では荷が重いだろうから、これは魔法師団が請け負うことになりそうだ。
また仕事が増えるな……とエリザはため息をついていたが、師団長はまた別の部分が気に掛かっていたようだ。
「最初、毒薬を用いた兵器が暴発したのかと想定していたが、死者は一人も出ていないところを見ると違うようだな。昏倒させる作用のある薬物が爆発によって飛散したのだろうか……」
「昏倒させるのが目的の兵器と考えられなくもないですが……残留物を見ると違うようですね。何かの証拠隠滅のために爆破したのでしょうか。自爆してまでも隠したいものならば他の大きな犯罪が絡んでいるのでしょう」
「そうだな。捕まえた奴等が正気に戻ったら自白魔法を使ってアレの正体を聞き出そう」
自白魔法は脳への負担が大きいため、むやみに使用してはならないとされているが、この場合多数の被害者が出ているため治療を優先するために師団長が己の権限において使用する許可を出した。
エリザは多少会話ができるようになってきた組織の者から自白魔法をかけて取り調べを始める。
「地下室にあったものはなに?」
「商品……闇ルートに卸す……」
「この瓶の中身は何?」
「……薬だ」
「何の薬? 何の効果があるの?」
「新しい……商品だ。幻覚を見る薬……旧来型とは比べ物にならない効果が……」
「どうやって使うものなの?」
「……、……」
そこで自白魔法の制限時間が来たため聞き取りは終わった。だがそれだけで十分だと師団長が硬い表情を浮かべて言った。
「新しい違法薬物か。最近、おかしな薬が貴族の間で出回っていると噂があったが、恐らくそれのことだろう。皆、口を噤んで情報が集まらないが師団にも調査依頼がきていたんだ」
貴族のあいだでは、凝った装飾の美しい喫煙具を用いた水たばこを嗜むのが流行っている。
最近では通常のたばこ葉で物足りなくなった人向けに、酩酊作用のある混ぜ物をしたたばこ葉が売られるようになっていた。
中毒性が高く、禁止薬物が使用されているのでもちろん非合法なのだが、地下マーケットで未だに売られているのが現状だ。
「水たばこに限らないが、一度手を出すともっと刺激の強いものを求めるようになるんだ。恐らくそういった者に向けて、新しい薬を流通させようとしていたんだろうな」
元より高位の貴族が己のコミュニティで秘密裏に薬を回しているので、師団であっても調査が難しく、罪を擦り付けられた下位の貴族ばかりが逮捕され流通させている大元の逮捕にはいたらないまま今に至る。
「ただの人身売買の組織だと思っていましたが、もっと大きな犯罪組織の末端だったのでしょうか。いずれにせよ、原因物質の特定と出所の調査が最重要任務になりましたね」
「しゃあねえ。今日はもうやれることはないから帰っていいぞ。休みの日だってえのに現場の手伝いをさせて悪かったな」
支援部隊が次々と到着していたので、負傷者の手当ても人手が足りてきているのでエリザには帰宅の許可が出た。
まあ、本来休みなのにただ書類整理に来ていただけなのでさすがにこれ以上働かせるのは可哀想と思ってもらえたのだろう。事務所にいったん戻る必要もないので、現場からそのまま直帰することにした。
家路を急ぐ中、隊服の襟を緩めると己の服に焦げ臭い匂いと共に甘ったるい香りが付いているのに気が付いた。
地下から出たあとは自身にかけていた清浄魔法を解いていたので、現場の匂いが付いてしまったのだろう。
薬品と香水を火にくべて燻されたみたいな酷い匂いだ。
現場一帯に清浄魔法をかけたにもかかわらずこの匂いだ。鎮火前はもっと匂いが充満していただろう。酩酊させる成分を吸い込んでいなくとも、この匂いだけで目を回してしまいそうだとエリザは鼻にしわを寄せながら考えていた。
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