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第7話 家に帰ると



「ただいま……」




 忙しくて忘れていたが、家には昨日拾った男がいたんだったと屋敷の扉を開いて思い出した。


 部屋の明かりがついているからというのもあるが、他人がいると空気が違う。それを不快と思う自分はやはり貴族令嬢には向いていないと思う。


 父や母は着替えや食事、入浴までも使用人がいる環境に慣れていたが、十五歳で家を出て魔法師団の官舎で一人暮らしをしていたエリザにはもう使用人でも常に他人がそばにいるのは不快に感じるようになっていた。




 ――――それなのに、どうしてアレを拾ってしまったのか。




 フィルのことで捨て鉢になっていたというのもあるが、あの宿無し男にひっかかるものを感じたのも事実だ。


 他人を招き入れたことをすでに後悔していながらも、『このクズを飼いませんか?』と売り込んできた男がどうするつもりなのかと怖いもの見たさで楽しみでもあった。




「おや、エリザさん。おかえりなさい……っと、どこかで燻製でも作ってきたんですか? 燻したてのソーセージみたいな匂いだ」




「うそ、そんなに臭い? 鼻が馬鹿になって自分じゃそこまでとは気付かなかったわ。すぐ浴室を使うから……」




「ああ、それなら着替えを準備している間に僕がバスタブに湯を溜めておきましょう。あまりに暇だったんで浴室も掃除しておいたんだ」




「えっ? 浴室に入ったの?」




「ええ、ピカピカにしておきました。すぐに使えるようになっています。どうです? 僕を拾ってよかったでしょう」




「……そうね」




 居室にはエリザが鍵をかけておいたから、そちらには入っていないが水回りは厨房も含め掃除を済ませてあると男は誇らしげに述べた。


 気が利くと褒めるべきかもしれないが、使用人経験のなさそうなヒモ男にまともな掃除ができるのかという不安と、なにか漁られているのではという心配が交差してありがとうとは言えなかった。




 着替えを自分で用意して浴室へ向かうと、男が宣言したとおりバスタブにはもう湯がなみなみと注がれていた。着替えを持ってくるまでせいぜい十分くらいなのにもう湯を満たせたのかと、手際の良さに目を瞠る。




 男はすでに浴室にはおらず、少し離れた厨房から音がするのでそちらにいるのだろう。エリザは扉に鍵をかけてから、服を脱いでそれを全て洗い桶に突っ込んだ。




 湯に浸かり、髪を洗ったが一度洗っただけでは煙臭さが落ちず、湯を替えてもう一度洗い流した。


 お風呂からあがって浴室の扉を開けると、厨房のほうから良い匂いが漂ってくる。何か作っているのだろうかと思い入り口から覗き込んでいると、男がこちらに気がついた。




「ああ、夕食を作ったんだけど、食べませんか?」




 どこから引っ張り出したのか、キッチンメイド用の可愛らしいエプロンを着用した男がお玉片手に声をかけてきた。




「ああ……えっと、ありがとう」




 誘われるままに厨房に足を踏み入れると、すでに料理が出来上がっている。




「保冷庫にあるものを適当に使わせてもらいましたよ。それと、傷んでいたものもあったのでパントリーの中も片付けておいたんだ」




 そう言われて、うっと言葉につまる。


 先日まで過密スケジュールで仕事をしていたので、片づけが行き届いていなかったことを指摘され気まずくなる。


 昨日作ったフィルのためのケーキも疲労困憊のなか買い物に行き眠気と戦いながら作ったのだった。うっかり思い出してしまって気分が悪くなる。




「さあ食べましょう。僕ね、割と料理は得意なんだ。何故だか分かります? 料理ができるヒモは重宝がられるんですよ」




 得意げにヒモ論を語る男にあきれるばかりだが、料理はそれなりに美味しそうだ。保冷庫にろくな在庫がなかったはずなのに、目の前のテーブルには干し鱈のトマト煮込みやえんどう豆のサラダが並び、美味しそうな匂いを漂わせている。




「酒も出しましょうか?」




 どこからか探し出してきたサクランボのリキュールを手に持っている。




「いえ、私お酒は飲まないので。でもエリックさんが飲みたいならどうぞ」




 菓子作りに使うために買ってあっただけで飲むためのものではない。


そう答えると男は意外そうな顔をしたが、それ以上は何も言わずに酒瓶を片づけていた。勝手に飲むかと思ったら家主の趣向に合わせるのかと、ちょっと男を見直した。




「いただきます」




 スプーンで煮込み料理を口に運ぶと、素朴な味付けでとても美味しい。大鍋で作る家庭料理といった味で、確かにこういう普通の料理が作れるのであればそれなりに重宝されるだろう。


 飼ってみて損はさせないと売り込んできただけのことはある。


 そんなエリザの考えが透けていたようで、男はこちらを見て得意げに笑っている。




「お望みなら毎日エリザさんのために料理を作って帰りをお待ちしておりますよ。どうです? ちょっと食い扶持が増えますが、金をせびるだけのクズよりよっぽど養い甲斐があるでしょう」




「そうね……むしろ今日は給金を払うくらい働いてくれているわよ。教科書代だの研修だのと言ってだんだん請求額が増えていく人より、よっぽど役に立っているわ」




 エリザが自嘲気味に言うと、男はハハハと可笑しそうに笑う。




「それにしても、あなたのように聡明な女性がどうして甘んじてクズ男の金蔓に成り下がったのか疑問です。最初はともかく、請求額が増えていく不自然さに気付かなかったわけじゃないでしょう」




「ンぐ……」




 ちょっと調べればそんな金が必要か否か分かるだろうと言われ、エリザは図星を突かれて夕食が変なところに入る。




「まあ……おかしいなって思わないわけじゃなかったけど、小さい頃から知っている間柄だから信頼関係があるって信じたかったのよ」






 フィルは自分には魔力がないと鑑定された時から、不遇の時を過ごしてきた。


 それでも己にできることを模索し未来を切り開こうと努力し続けていた姿を知っているからこそ、エリザも彼の力になろうと協力してきた。




 だから態度がおかしくなっても、やたらお金を請求されるようになっても信じて支えてあげようと思っていた……と言えば聞こえはいいが、実際のところは目を逸らしていたにすぎない。




 随分前からおかしいと感じてはいた。


 フィルからの手紙が途絶えがちになってきた頃から、会うたびにフィルの服装がだらしなくなり、家に行くと室内が酷く散らかって酒と葉巻の匂いがこびりついている。勉強道具はいつの間にか部屋の隅に追いやられ埃をかぶっている有様。


 とても士官を目指す者の生活には見えない。




 魔力が無く、貴族籍も失ったフィルが身を立てるにはもう士官の道しか残っていないと本人が一番分かっているはずだ。


だからこそ、フィルの変わりようを見ても一時の気の迷いだろうと考え、問い詰めるようなことはしなかった。




 その結果が『お前は金蔓』発言につながるのだから笑えない。


 士官学校を辞めて金蔓を捨てた時点でもう彼は人生終了したも同然のはずなのに、どうしてあんなに余裕の表情をしていたのか分からない。




「それにしても、ずいぶんと言われ放題にさせたんですねえ。強いと自称しているのに暴言を吐かれて突き飛ばされても抵抗しないなんておかしいな。どうしてあなたはそんなに言いなりなんです? 何か弱みでも握られているのかな」




「弱みって、そんなものないですけど。いや、しいて言えば惚れた弱みでしょうね。反論も抵抗もできなかったのは、私、彼の前では普通の女の子でいたかったから、あんな場面でもまだ見栄を捨てられなかったんでしょうね」




 素直に惚れた弱みだと白状すると、男は答えが分かっていたと言わんばかりに鷹揚に頷く。


 言葉を濁したが、フィルの前では無理にか弱い女の子の振りをしていた自覚はある。


師団長が見たら、何を可愛い子ぶってるんだ気持ち悪いと笑われただろう。


それくらい恥ずかしい真似をしていたなと改めて思い、ひっそりと羞恥に悶えた。







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