魔法師団に入団してから、エリザの生活は180度変わった。
魔術だけで戦うものかと思っていたが、肉弾戦になっても対応できるようにとあらゆる格闘技を叩き込まれた。現場に出るようになれば、敵と命のやり取りをする戦いになることもしばしばで、日常というものを忘れてしまいそうになる。
遠征に行けば風呂にも入れず泥まみれで任務にあたり、帰還する頃には性別なんて分からないほど汚れているなんてざらだった。
どんどん自分から女性らしさが失われていくことに危機感を覚えていたから、恋人には昔のままの姿でいたかった。
「どうかな。君は自分の見栄だと言うけれど、本当は彼のプライドを傷つけないように『普通』を演じていたんじゃない?」
「え……」
「君は魔法師団のほうからスカウトされるほど有能だ。魔力無しで捨てられた彼はきっと死ぬほど嫉妬しただろうね。それを君も分かっていたから、コンプレックスを刺激しないよう必死に能力を隠していたんでしょう」
エリックからの指摘に、熱かった頬がすっと冷えていく。
確かにフィルは昔からエリザが仕事の話をするのを嫌がった。
でも失敗談や怒られた話は積極的に聞きたがって、ダメな話であるほど喜んでいた。
きっと彼は、エリザが昔のまま何もできないか弱い女の子のままでいてほしかったのだろう。それがコンプレックスから来るものだったのかどうかは分からないが。
「……本当に痛いところを突くのね。でも別にフィル自身は魔力がないことを受け入れて前向きに頑張っていたわ。私が勝手に気を回していただけ」
それがかえってフィルのプライドを傷つけていたのかもしれない。
空になった皿をつつきながら考える。
エリザが師団からスカウトされたのは子どもの洗礼の日で、同時にフィルが魔力無しと判定された日でもある。
エリザの家族が喜ぶ隣で、フィルの両親は無表情で息子を見下ろしていた。
あの時フィルはどんな顔をしていただろうか?
泣いてはいなかった。引き攣った笑顔でエリザにおめでとうと言ってくれたような覚えがある。
「格差があり過ぎる二人が恋人になるには無理があったんですよ。いや、彼は最初からあなたを利用するために恋人になったのかもしれないよ。貴族籍を失った彼にとって、君との交際は失ったものを取り戻すチャンスだからね。僕からすると、下心が見え見えの交際申込みで、欲望丸出しで恥ずかしいくらいだよ」
「……っ」
何も知らないのに勝手なことを言わないでと怒鳴りそうになったが、すんでのところで言葉を飲み込んだ。
赤の他人なのだから何も知らないのは当たり前だ。
それなのに自分はいったいこの男にどんな言葉を求めていたのか。
昨日からどうもこの男のペースに乗せられて余計なことを喋りすぎている。
話すことで自分の気持ちが落ち着いたのは事実だが、男から望む言葉が返ってくるのを期待するのは間違っている。
「ごちそうさま」
まだ雑談を続けたそうな男の言葉を遮り、席を立ってさっと自分の皿を洗って片づけた。そして男に背を向けたまま厨房から出て居室へ向かう。
批判がましいことを言われたからってむきになるほうがどうかしている。それにむきになった理由は、フィルが最初から下心があって自分と恋人になったんだと言われたからだ。
あんな目に遭わされたのに、未だにフィルのことを擁護したくなるのは、未練が山ほどある証拠だろう。
そのことに気が付いて自分が嫌になる。
居室に入り、ふうと息をつく。
フィルのことを考えると、怒りと憎しみの間に未だに愛しさが紛れてくる。酷いことをされたからとすっぱり大嫌いにはなれないのは、それだけ二人の間に長い歴史があるからだ。
***
エリザがフィルの誕生日を祝うようになったのは、洗礼式の翌年の、二人が八歳の誕生日を迎えた年から始まった。
魔力無しだと判定を受けてから、フィルの家族は目に見えて彼を冷遇し始めた。能力至上主義の貴族のあいだでは魔力無しの子は平民同然に扱われることが多く、このままフィルを養育しても貴族としては生きていけないだろうと見切りをつけ始めていた。
衣服や学用品、食事にいたるまでフィルはぞんざいに扱われるようになっていたが、この時はまだ彼も魔力が無くても勉強を頑張って家族に認められるよう努力していた。
だが翌年のフィルの誕生日。家族は彼におめでとうの一言もかけなかった。
去年までは親しい人を呼んでお祝いのパーティーを開いて、たくさんのごちそうとプレゼントを用意していたのに、兄の誕生日は変わらず盛大にお祝いをしたというのに、フィルの誕生日に家族は彼に声すらかけなかった。
以前のような規模のお祝いなんて期待していなかったにしても、まさかおめでとうの一言すらないとは思っていなかったフィルはこの出来事で完全に打ちのめされてしまった。
エリザは毎年招かれていたフィルの誕生日会のお誘いが今年はないことを不審に思い、一人でフィルの元を訪れた。
使用人に伝言を頼んで彼を呼び出してもらうと、すでに泣きはらした顔をしたフィルが現れ、家族に誕生日を忘れられているみたいだと告げられ衝撃を受けた。
「父さんも母さんも、兄さんも、僕のこと忘れちゃったみたいに無視するんだ。去年まではさ、生まれてきてくれてありがとうってたくさんお祝いしてくれてさ……母さんは毎年僕の大好きな苺のケーキを作ってくれてたんだ……誕生日の特別なお祝いだからって言って、これだけは母さんが全部手作りしてくれてさ、宝石みたいな苺のケーキが凄く誇らしくて、大好きだったのに……もうあのケーキは一生食べられなくなっちゃった」
その苺のケーキはエリザも毎年楽しみにしていたのでよく覚えている。
大きな苺がぎっしりと敷き詰められたそのケーキは、ツヤツヤに光り輝く美しい見た目で宝石のようだった。ナイフを入れるのが勿体ないと毎年恒例のように話していた。
あのケーキは、母が手ずから作ってくれた特別なもので、誕生日の象徴でもあった。
だがフィルの母はもう二度と彼のためにケーキを焼くことは無いだろう。
その事実に気付いてしまったと、フィルは静かに涙を流しながら語った。
魔力無しが貴族の家にとってどういう意味を持つのか、本当の意味で理解していなかったエリザもここでようやく彼がこれからたどるだろう未来がいばらの道であると知った。
「じゃあ、私がこれからもフィルの誕生日をお祝いする! ピカピカの苺ケーキを作って、毎年おめでとうって言うよ。だから……もう泣かないで」
彼の涙を止めるために、自分になにができるだろう。
一生懸命考えたけれど、こんな陳腐な言葉しか思いつかなかった。けれど彼にはそれですら慰めになったようで、嬉しそうに微笑んでくれた。
「本当に? でも……僕もいつまでこの家にいられるか分からないんだ。家名を名乗る資格がないって言われたから、いずれ家を出されると思う。そうしたらもうエリザに会えなくなる」
「フィルが別の家に行っても、どんなに遠くにいても、必ず駆けつけてお祝いする。苺のケーキを囲んで、二人で誕生日パーティーをしよう。毎年毎年、私があなたにおめでとうと言うよ」
エリザはフィルとの約束を守るため、記憶にある苺のケーキを再現しようと何度もケーキを作って練習をした。
料理人に教えを請うたり店で売っているケーキを買って研究したり、子どもながら考え付く限りの努力をして、多少不格好ながらもツヤツヤで記憶にある味のケーキが出来上がった。
親の目を盗み、フィルとエリザは物置小屋で落ち合い、ろうそくを立てて誕生日をお祝いをするのが毎年の恒例行事となっていった。
フィルは恐らく母が作ったものより劣るであろうエリザのケーキを美味しいと何度も言いながら食べてくれたが、当然のようにこの年も家族からのお祝いはなく、フィルはもういずれ家族から縁を切られることを覚悟し始めていた。
「エリザ、僕は多分近いうち養子に出されると思う。でも僕は……努力して士官になって身を立てるつもりだ。貴族でなくなっても、いつかエリザに見合うだけの人間になるから……いつか大人になったら結婚してくれない?」
家を出されればエリザと会うのは難しくなる。でもエリザとの約束があれば会えない間もそれを心の支えにして頑張れるからとプロポーズされた。
エリザも気持ちは同じで、もちろん将来一緒になるために頑張ろうと二人で誓い合った。
これからも毎年ずっと、彼の誕生日にはあのケーキを焼いて二人でお祝いする未来が続くのだと、馬鹿みたいに信じていた。