「お前のカレシ、あ、もう別れたから元カレか? ソイツ、士官学校にいたよなあ。もう辞めたみたいだけどな」
遠回しに言われなくても分かっている。
本来魔法師団と関わりのない士官学校でエリザの噂が出ること自体がおかしいのだから、生徒から噂が広まったのはフィルの仕業だとしか考えようがない。
(……でも、なんでそんな噂を広める必要があるの)
彼の友人のように『金蔓』だと言われるならまだ分かる。
師団長の愛人になっているなどと言い出す意味も理由も分からない。そもそもフィルには基本的に仕事の話はしないため、彼は師団長が誰でどんな人かも知らないはずだ。
ただ単に、エリザのことを貶めたくて嘘の悪評を言い触らしていたのだろうか。
答えを求めて師団長の顔を仰ぎ見るが、彼はもう他へ指示を出してわざとらしくエリザの視線を無視した。
有能な上司は恐らく、その噂の出所がフィルだという裏付けも取っている。
フィルがどんな目的でそんな噂を言いふらしたのか分からないが、とにかくエリザの立場を悪くしてやろうという悪意を感じられる。
理由を考えると、ふと嫌な結論にたどり着く。
「……私が魔法師団に、いられなくするため?」
師団長は根拠のない噂などに踊らされるタイプではないから、これまで特に影響はなかったが、本来ならこんな噂がたったら原因となっているエリザを他部署に移すなどの対処をしてもおかしくなかった。
だが、そうだとしたら何故フィルがエリザを左遷させるようとするのかが分からない。
彼が学費のほかに教材費やら研修費など要求してくる金額を払えているのは、師団の給与に加え危険手当があるおかげだ。
恋人でなく金蔓というのなら、エリザが師団から移動になっては都合が悪いはずだ。それなら別の目的があったのか……そもそもフィルが噂の発信者であるという推測が間違っているのか。
考え事をしながら歩いているうちに目的のアジトに到着してしまい、そこで思考は途切れた。
踏み込んだアジトは、すでに逃亡された後で室内は嵐の後のように荒れ果てていた。
よっぽど慌てて出て行ったのか、重要なもの以外はもっていく余裕がなかったらしく様々な残留物が室内のいたるところに散らかっていた。
そのなかでも、書類は汚して証拠隠滅したつもりのようだったが浄化魔法で汚れ部分を除去できるので内容を読み取るのは容易だった。
そのほか、何かの指示書が引き出しの奥でぐしゃぐしゃになった紙も発見できた。恐らく見落として回収しそびれたのだろう。
イニシャルと数、そして数字が走り書きされているものや、不規則な文字と数字の羅列が書かれたものもある。
「これは販売先の情報でしょうか。後に続く数字は……なんでしょう、金額とかですかね? こっちの紙は受け渡し方法が書かれています。アジトでブツを受け取った者と販売する者は替えて、金を運ぶのもまた別にすること……手下が捕まっても、アジトまでたどれないように人を経由するようにと指示を出していたようですね」
これまで調査を進めても、捕まるのは下っ端だけで、運ぶだけの仕事を頼まれたとかひとつの役割しか請け負っておらず、指示を出している者もまた人を経由しているので、元締めを押さえることができずにいた。
メモ書きを師団長に渡すと、隣にいたクロスト補佐官がエリザの推測にダメ出しをしてくる。
「販売先ではなく、運び屋の情報でしょう。数字の並びは、数字を混ぜていますがおそらく住所ですね。王都の地図が頭に入っていればすぐに分かるでしょうに、」
適当なことを言うなと怒られ反論できず、すみませんと謝罪するしかない。クロスト補佐官はそんなエリザを無視して横を向いていた。
アジトでは、他にも薬が入っていたと思われる空の瓶が残っていて、その場で簡易検査をすると、昨日見つかった薬物と同じものである可能性が高いとの結果が出た。
これでこのアジトで見つかったメモ書きが、薬の運搬方法の情報でまず間違いないだろうと師団長が判断し、次はメモにある運び屋を特定し捕まえると団員に指示を出す。
アジトの調査が終わり、ひとまず事務所へと戻る。
待機していたほかのメンバーと情報を共有して、師団長がメモ書きにある運び屋の特定と確保にメンバーを振り分けて捜査を行うよう指示を出したが、エリザは今回、事務所待機で上がって来た情報のとりまとめ役をすることになった。
「クロストが暗号の解析をするから、エリザも手の空いた時に手伝ってやってくれ」
「はい……」
師団長は現場に出るそうなので、事務所でクロスト補佐官と二人で仕事をすることになる。さっそく気が重いけれど不満を言えるような状況ではない。
「書類の暗号と内容の照合は僕のほうでやるので、エリザさんは上がってきた情報を整理してください」
「分かりました」
各班から新しい情報が上がってくるたびにエリザが内容を取りまとめて他の班へ伝達魔法で伝える作業をおこなう。
地味な仕事だが、魔力消費が大きい魔法のため本来ひとりで長時間できる仕事ではない。
だがエリザは桁外れに豊富な魔力を有しているので、どれだけ伝達魔法を使っても魔力切れを起こすことはないと分かっているため、今回自分が事務所に残されたのだ。
クロストと二人きりは気が重かったが、実際始まってみると忙しすぎてあちらもエリザに嫌味を言う暇もなく仕事に追われていた。
この薬物の販売ルートは多数の場所を経由させて元締めを特定できないようにされているほか、取引のたびまた別の仲介者を用意するという周到さであった。
そのため、その膨大な量の情報から、薬の経由地や保管場所、受け渡し場所から元締めへとつながる手がかりを探し出さねばならない。
普段ならエリザに話しかけもしないクロストも、この時ばかりは協力して作業を進めた。
「エリザさん、このデータを師団長に送ってもらえますか?」
渡された紙の内容を魔法に変換し、師団長に宛てて伝達魔法を飛ばした。もう何時間もぶっ通しで机に向かっていたので、クロストにも濃い疲労の色が見える。エリザは自分がまとめた書類を手渡しながら、彼に話しかけた。
「クロスト補佐官、少し休憩しませんか? コーヒーでも淹れてきますので」
「あ、ああ……ハイ。頼みます」
疲れ切って嫌味を言う余裕もないのかクロストから素直な返事がくる。
彼はただ机に向かっているだけのように見えるが、魔法を駆使して普通の人の十倍速く情報処理をしている。
その分、疲労が大きいと聞いたことがあるので、余計なお世話と思いながらも休憩を申し出てみた。
「どうぞ。砂糖は勝手に入れました」
「……どうも」
甘すぎるくらいのコーヒーを手渡すと、複雑そうな顔をしながらも軽く礼を述べる。
「どうして砂糖を入れたんですか?」
「情報処理の魔法は脳が疲弊するから糖分が欲しくなると聞きましたので」
クロストは、三次元魔法と呼ばれる情報を立体的に組み直すことができる特殊な魔法を使える。この能力は、情報の分析が格段に進むだけでなく、地図や内部構造を立体に起こしたものを他人に渡すことができるため、現場での捜査にも非常に役立っている。
彼は元文官で戦いには不向きなのだが、この能力を買われて師団長が引き抜いてきたのだときいたことがある。
その話を聞かされた時に、ついでにクロストの飲み物は脳を回すためにいつも激甘なのだとも教えられたのを思い出したのだ。
普通なら嫌がらせと思われそうなほどの甘さだが、おそらく今はこれくらいの砂糖を欲しているはずだ。
まあどうせ余計なお世話だとか、甘すぎるとか言われるかと予想していたが、返ってきた言葉は意外なものだった。
「……エリザさんが部隊に加わると作戦がスムーズに進むと言われている理由は、きっとこういうところにあるんでしょうね」
突然誉め言葉が飛び出してきて、びっくりしてクロストの顔を仰ぎ見る。
「補佐官からお褒めの言葉をいただけるとは思いませんでした。てっきり私の仕事ぶりが不満で、早く辞めてほしいのかと……」
「エリザさんが優秀な魔術師であるのは皆が認める事実です。でも、どれだけ優秀でもやはりあなたは女性なんです。師団長はあなたを男と同等に扱っていますが、それはやはり正しくないと私は思っているからです」
「でも、今どきは女性が働くのなんて当たり前になっています。現場捜査を希望したのは私の意思でもあるので、女だからって区別せず働かせてくれる師団長に私は感謝していますよ」
事務方ではお金が稼げないし、という言葉はさすがに飲み込んだ。
クロストが嫌味を言ってくるのは、エリザに対する遠回しな気遣いだったようだ。
年寄りみたいなことを言うなあと思わないでもないが、魔力持ちであることも含め、怪我でもして子供が産めなくなったらどうすると言われることも多いので、彼の気遣いも分からないでもない。