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第13話 君は保護者じゃない



 クロストは、フィルがエリザと結婚したいがために悪い噂を流して価値をさげようとしたのでは、と言っていた。


けれどその意見には少し違和感があった。エリックの言葉でようやく納得がいった。




 ――――フィルはエリザを憎んでいたのだ。




 自分が得られなかったものを全て持っているエリザがそばにいることで、彼は自身のコンプレックスを肥大させてしまった。


そして彼の中でエリザは恋人から己を苦しめる存在と変化していったのだ。




「そうだとしても、単なる逆恨みだ。自分が無能だからって恋人に八つ当たりするようなクズとは別れて正解だよ」




「そうね。むしろもっと早く別れるべきだったんだわ。気づくのが遅すぎた」




「でもさっき、彼は復縁を迫ってきたね。手のひら返しが早いけど、他の金蔓にすぐ逃げられて困っているんじゃないかい?」




「ああ、そうかもしれません」




 金輪際近づくなと啖呵を切ったくせにあちらから接触してきたのは、何か事情が変わって困った事態に陥っていると考えて間違いない。




「泣きつかれても絶対お金を貸しちゃあ駄目ですよ。もう別のオトコを飼っているからお前を養う余裕はないとキッパリ断りましょう」




 エリックの冗談にふっと笑うと、彼は頬を緩めて笑顔になった。そしてねぎらうようにポンポンと背中を叩かれる。




「……?」




「ええと、ヒモらしくご主人様を慰めようかと」




「慰め方は案外下手なのね。私なら大丈夫だから気にしなくていいわよ」




「残念。弱ったところにつけ込むつもりだったのに」




 それじゃあ胃袋からつかみますか、などと嘯いて、夕食を用意しておくから着替えておいでとエリザを自室に促してくれた。




 服を着替えながら、はあと大きなため息が漏れる。




(しゃべりすぎちゃったな……)




 あんな詳しい事情まで話すつもりはなかった。


 乗せられる自分も悪いのだが、彼の話術と洞察力につい興味を引かれてしまい、つられてべらべら喋ってしまった自分のうかつさに呆れる。


実際、フィルに関する考察は目からうろこだった。


 ずっともやもやしていた感情が収まるべきところに落ちたように感じてすっきりして、話してよかったとすら思ってしまう。


エリックに上手く転がされているようで少々悔しい。




「でも彼に話すことで救われているのは事実なのよね。悔しいけど」




 上着を脱ごうとして、フィルに押し付けられたプレゼントのことを思い出す。エリックに取られたまま忘れてしまっていた。


 フィルに突き返してやりたいが、そのために彼に会いに行くのもバカバカしい。


 ――――奇麗なリボンかけられた箱に入っていた奇麗な瓶の香水。


 いかにも若い女性が好みそうなデザインだったが、子どもの頃以来プレゼントなんてくれたことがない人だから、多分誰かに買わされたか選んでもらったものだろう。




 あの日、フィルの家にしどけない恰好の女性がいたことを思い出す。




(あの女性たちが選んだプレゼントなのかしら……)




 金蔓ちゃんと呼ばれた記憶が蘇る。


 やっぱり金蔓ちゃんをキープしておこうと彼女たちが言い出したのではなかろうか。


 それで不本意ながらフィルはプレゼントでエリザのご機嫌をとろうとしてきたのかも……と想像すると、急な復縁要請も納得がいく。


 想像を膨らませ、ひとりでイライラしていると、エリックが声をかけてきた。




「エリザさん? 着替え終わったかな」




 食事の用意ができたと言われ、慌てて上着を着る。




「あっ……今行きます」




 扉を開けるとエリックが食事を乗せたトレーをもって立っていた。




「疲れていると思って、お食事を部屋までお持ちしましたよ。ご主人様」




「わざとらしくご主人様っていうのやめてもらえる? というか、わざわざいいのに……」




 と言ったものの、本当に疲れていたので食事を持ってきてもらえたのは有難かった。ソファに座るとトレーを膝にのせてくれる。


 深めの皿に盛られたリゾットが美味しそうな匂いを漂わせ、一匙口に運ぶと優しい味でとても美味しかった。


多分、エリザが遅くなるのを見越して消化に良いものを用意してくれていたのだろう。




「お湯も準備してあるから、早く風呂に入って寝たらいいよ。疲れが顔に出ている」




「ありがとう……」




 実家を出て魔法師団に入ってからは、メイドも雇わずずっと一人でやってきた。誰かに世話をされるのは子どもの頃以来で、どうにも落ち着かない。


 ……いや、違う。こうして誰かに気遣ってもらうことが久しぶりすぎて、心が弱くなりそうで怖いのだ。


 赤の他人に依存するほど自分は弱くないはずだ。


 これまで辛い時も悔しい時も自分一人でなんとかしてきた。


 ぐっと唇を噛みしめて気持ちをこらえていると、エリックが静かな声で語り掛けてきた。




「……別に、元カレは君のことを憎んでいたわけではないと思うよ。小さな子どもが親に我儘を言って、どこまで許されるか試す行動みたいなものだ。己の感情しか見えていなくて、君がどれだけ傷つくかということまで考えられないほど思考が幼いんだよ。でも、君は彼の保護者じゃないのだから、すべてを許して彼の我儘を受け止める必要なんてないんだ」




 ハッとして顔をあげると、こちらをまっすぐ見つめるエリックと目が合う。彼は憐れむでも笑うでもなく、ただ少し痛みをこらえたような表情に既視感を覚える。




 昔もこんなことがあったような気がした。


 任務で敵対勢力とぶつかり、戦闘になり初めて人を殺した時。


 吐き気をこらえきれず人目につかないところに逃げて一人で吐いていたエリザに、そっと水を差しだしてくれた人がいた。


 その頃の自分は、女だからと舐められるのも特別扱いされるのも嫌で、必死に虚勢を張っていた。


だから水を差しだされても素直に受け取ることができず振り払ってしまったのに、その人は怒るでもなく水と一緒にタオルをエリザの横に置いてくれた。


 それでもまだ、吐いている自分に対し、『女だからしょうがない』とか『だから女には務まらないんだ』という言葉を警戒していたが、その人はただ静かな声で、「つらいのをこらえる必要はない、誰でもそうだ」とだけ言ってこちらを見ないようにして去っていった。


 顔見知りでもない、通りすがりの別部隊の人だったが、言葉を選んでこちらを気遣う雰囲気がとても伝わってきて、たったそれだけのことだったがずいぶんと救われた気持ちになったのを覚えている。


 今のエリックからも、あの時の人のようにただエリザをとても気遣っているのが言葉や表情から伝わってきた。




「急に……なに? 私が気に病んでいるように見えた?」




「そうだね。夜、枕を涙で濡らすくらいには傷ついているように見える。僕が添い寝して慰めてあげられればいいんだけど、ベッドにもぐりこんだら蹴り殺されそうだからそれはできないし」




「そんなに足癖は悪くないわ。まずベッドに侵入させないし」




 エリックの作り笑顔に少し励まされる。


 腹の底が見えないこの居候にずいぶんと救われてしまっている。全てが嘘くさいのに、行動のあちこちに優しさが垣間見えてしまうから、つい心を許してしまいたくなる。





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