「まあ、ヒモはご主人様が望まないことはしないから、ベッドにもぐりこむのは諦めましょう」
でも呼ばれればすぐに共寝いたしますなどと嘯いて笑う彼につられて、ついエリザも笑ってしまった。
言っていることは下品なのに、それを不快と感じないのは、彼が本気じゃないと分かるからだろう。
「……リゾット、美味しい。作ってくれて、ありがとう」
「それはよかった」
それ以上、エリックは喋らずリゾットを口に運ぶエリザを静かに見守っていた。
皿が空になると、早く湯を使うようにだけ言ってトレーを片付けるために彼は部屋を出て行った。
食事をしたせいか、冷え切って強張っていた手がいつの間にかぽかぽかと温まっている。
眠くなる前に風呂に入ろうと服を脱ぎ、エリックが用意してくれていたバスタブの湯に身を沈める。
お湯から花の香りがするのは、彼が気を利かせて香油か何かを垂らしておいたのだろう。
そういう細かい気遣いが、エリザの疲れた心にいちいち刺さる。
湯に浸かりながら、ぼんやりと彼に言われた言葉を頭のなかで反芻していた。
エリックの言う通り、自分はフィルの保護者のような思考になってしまっていた気がする。
あれだけのことをされたというのに、フィルと向き合った時にまた『優しい言葉』を探していた。
罵って、二度と来るなと言うべきだったのに、長年のくせというか傷つける言葉を言ってはならないというくせが無意識についてしまっている。
エリザは彼の保護者じゃなく恋人だったはずだ。
それなのにいつの間にか親のような役目を求められて、自分たちの関係は大きくゆがんでしまった。
エリザの中では、フィルは親に捨てられると泣いていた頃のままの姿で止まっていたのかもしれない。
(フィルはきっとまだ、私が許すと思っている……)
歪んだまま育って腐ってしまった二人の関係。
それを終わらせる責任が、自分にはあるのかもしれない。
***
フィルが待ち伏せをしていた日から、再び現れるのではと警戒していたが、予想に反してあれから姿を見せなかった。
気にはなったが、それよりも捜査中の事件で次々と貴族が関与している証拠が出てきてその調査だけでもてんやわんやで余計なことを考える暇がなかった。
最初に爆破されたアジトで保管されていたのも、現在国内で出回り始めている薬物だったと確定し、そこから芋づる式に薬物の販売ルートが判明した。
「薬物の取引先は、予想していたとおり貴族相手だった。秘密裏の夜会などで使用されていたらしい。ホストの貴族が招待した客に使わせて販路を広げていったようだな」
師団長の説明によると、貴族の関与がはっきりした時点でこの件は軍事警察が介入する事態になり、師団も協力して捜査に当たらなくてはならなくなったようだ。
「軍事警察ですか……厄介ですねえ。魔法師団とは犬猿の仲ですから、足を引っ張り合うことになりかねませんか?」
「あちらさんが言うには、我々魔法師団は皆貴族出身だから、身内をかばって事実を隠蔽するかもしれないから任せられないとのことだ」
クロスト補佐官の質問に対する師団長の返答に、団員の誰もが頷く。
軍事警察は平民出身も多く、貴族のみで構成される魔法師団を目の敵にしていた。一方的にこちらを疑っていて、こちらの情報は求めるくせにあちらは全く情報共有をしない。
師団長はそちらの対応にも追われていて、休む暇もなくあちこち飛び回っていた。
エリザは伝達係のまま、事務所詰めの日々が続いている。
補佐官のクロストも師団長に付き添い現場に出るようになってしまったので、エリザは一人でひたすら情報のとりまとめと連絡係を一手に担っていた。
エリザの魔力量が多いと知られているから、どれだけ伝達魔法を使っても大丈夫と思われているのか、皆が遠慮なく何度も伝達を頼んでくるので地味に疲労がたまる。
「この連絡送ったら、帰っていいって言われたけど……」
行動班は現場に出ずっぱりで、師団長すら事務所に戻ってくるのは稀だ。伝達魔法で各自の動きは報告されているが、エリザはここ最近師団の皆と全然会えていない。
先ほど師団長からの連絡で各班へ伝達を送ったら帰宅しろと連絡をもらっていたので、キリの良いところで帰宅しようと書類を片付け始めた。
以前なら、現場班が戻るまで自主的に待機していただろう。
自分に悪い噂が立っているのは気づいていたから、女だから優遇されていると言われないように他団員よりも多く仕事をしようと気を回していた。
だがクロストから悪い噂の出元がフィルらしいと聞いてから、そんな気を回していた自分が馬鹿みたいに思えてしょうがない。
そもそも、フィルのために頑張ってきたのに、その本人に足を引っ張られていたと知って、何のために厳しい師団の仕事をしているのか分からなくなってしまった。今はそこまでガツガツ働いてお金を稼ぐ必要もない。
フィルの学費を稼ぐために自ら厳しい任務に志願していたのに、本当に馬鹿みたいだ。
事務所でひとりだけ残されて孤独に作業していると、ネガティブなことばかり考えてしまう。
「……帰ろ」
いい加減帰ろうと立ち上がった時、事務所の扉が乱暴に開かれてドカドカと音を立て男たちが踏み込んできた。
大柄の男たちに囲まれ、居丈高に問われる。
「エリザ・ルインストンはお前だな?」
「そうですが……」
先頭に立つ男がエリザに問い質す。服装を見ると軍事警察の憲兵だろうが、捜査資料も保管されている魔法師団の事務所に踏み込んでくるのはどう考えてもおかしい。
もしかして例の件で捜査協力をして師団長が入室の許可を出したのかと思考を巡らせていると、憲兵は全く予想外の言葉を投げてきた。
「お前が地下組織の構成員である容疑がかかっている。捜査情報を漏らしている可能性もあるため、今からお前の身柄を拘束させてもらう」
「……は?」
言うが早いか、後方にいた憲兵がエリザを引き倒し手首を拘束する。反撃するか一瞬迷ったが、何の容疑をかけられたのか確かめるためひとまず従うことにした。
男は乱暴にエリザを立ち上がらせると力ずくで連行し始めた。
「待って、師団長に連絡をさせてください」
「口止めと証拠隠滅の恐れがあるからそれはできない。言いたいことがあるなら軍部の取調室で聞こう」
「ちょっ……! じゃあ伝言くらい……!」
他部署にはまだ多数残っていて、騒ぎを聞きつけ外に出てきた人たちが連行されるエリザの姿を見てぎょっとしている。ただでさえ悪い噂が流れているのに、さらには犯罪者の烙印まで押されたらいよいよクビかもしれない。
半ば投げやりな気分で、人々の視線を受け止めながら軍事警察の馬車に押し込まれていった。