「エリザの悪い噂について調査をする過程で、お前の恋人が地下組織と関わっていると分かっていたんだ。それと共に、師団の捜査情報が組織に流れている可能性が出てきてお前を疑わざるを得なくなった」
「捜査情報が?」
師団が組織の取引現場やアジトを押さえようと動くたび、一足遅く確保できない事案が続き、内部からの情報流出が疑われた。状況的にエリザはその容疑者として最も疑わしい人物だったため、だいぶ前から内密に調査していたのだと語られた。
「そ、それで私の疑いは晴れたんでしょうか……?」
「まあ、だいぶ前からシロだと分かっていたが、組織が仕掛けてくると思って泳がせていたんだ。内部情報が漏れた件は、調査チームの調べでお前は容疑から外れているから心配するな」
ひとまず安心してホッと息をつく。
とはいえ、地下組織の構成員と恋人関係だったことは事実なわけで、今後師団でのエリザの扱いがどうなるかは分からない。クビにはならなくとも、一度ケチの付いた魔術師など使いにくくなるから辞職を勧められるかもしれない。
辞めることになっても仕方がないと諦めがつくけれど、やはりこんな不名誉なかたちで自分の努力が無になるのは少し悲しかった。
一通りの尋問が終わり、警察からかけられていたエリザの容疑が全て晴れたところで、フィルと侵入者の三人は憲兵に引き渡された。
あちらの手柄になってしまうのにいいのかと訊ねたが、運び屋なんて下っ端を捕らえても大した手柄にならないと笑って流されてしまった。
侵入者が持ち込もうとした証拠品も憲兵が回収していき、彼らは無言でエリザに頭を下げて帰っていった。
「さて、俺も軍部に苦情を言いにいくか」
「あっ、じゃあ私も……」
「馬鹿者。さすがにお前はもう休め」
師団長も報告のために一緒に軍部に行くというので、エリザも同行しようとしたが、体力的にも限界だろうと言われありがたく従った。
言われてみれば、休憩も取らせない過酷な取り調べで全く寝ていないせいで疲労がたまっている。お腹もすいているのでとにかく何か食べて休みたい。
「エリザさんお疲れ様。なんだか大変なことになっていたんだねぇ。とりあえず何か食べるかい?」
肩すくめながらエリックが話しかけてくる。
――――そう、大変だった。
仕事のあとに軍部警察に拘束されて、長時間圧力をかけられながら取り調べを受けて、もうへとへとだ。ベッドに飛び込んでそのまま眠りたい衝動にかられる。
でも、どうしても今確認しなければならないことがある。
「エリックさん」
呼びかけると、彼は作り笑いを浮かべて振り返る。
「ああ、それともすぐに寝たいかな? かなり疲れてそうだ。バスタブにお湯を張ろうか」
「いえ、それよりも聞きたいことがあります」
話を遮ると、彼は眉をひそめ作り笑いをひっこめた。
「あなたは戻らなくていいんですか?」
「……えっと、どこへかな?」
「魔法師団ですよ。あなたは私を監視するために派遣された諜報員なんでしょう? もうこれで調査は終わったんじゃないですか? それともまだ私の容疑は晴れていませんか?」
夕食のメニューを当てるくらいの気軽さでエリックの秘密を口にすると、彼は一瞬目を見開いたように見えたが、動揺は見せず薄く笑うだけだった。
魔法師団の諜報員。特殊工作部隊、通称『赤狗』
表の部隊とは別に、秘密裏に動く部隊が存在する。
赤狗は魔法師団のなかでも隠された部隊で、同じ師団員であっても関わることはない。顔を知らないのはもちろん、赤狗が何人存在しているかというのすら、通常の団員は知らされていない。
その理由は、彼らが潜入捜査官でありその捜査対象は身内である魔法師団も含まれるためである。
先ほどの師団長の話と状況的に、エリザに監視が付けられていたのは間違いない。
それに気づいた時、ようやくエリックの存在が腑に落ちたのだった。
エリックは無表情でそれを聞いていたが、ふっと苦く笑うと肩をすくめていつもの軽い口調でエリザの言葉を肯定した。
「あーあ、ばれてしまったか。ただのヒモ男が、侵入者を簡単に捕まえてしまうのはさすがに不自然だったかな。でもいい証拠だから侵入者は捕まえておきたくてね。最後まで騙し通したかったんだけど、失敗したな」
「いえ……最初から不自然さはありました。その理由が今分かっただけです」
震えそうな声を必死にこらえて、冷静に返事をする。
「なんだ、最初から疑っていたのかい? 驚いた、ホームレスになったヒモ男を上手く演じられたと思ったんだがな」
確かに彼の演技は完璧だった。
やる気のないヒモ男という設定に違和感はなかった。あれが演技だなんて疑う理由は少しもなかった。
「演じているとは思いませんでした。でも、見た目の汚れ具合に対し、あなたからは体臭がほとんどしなかった。だからわざと服を汚してホームレスらしく見せているのではないかと、あの時思ったんです」
汚れた衣服とすり減った靴。爪先が真っ黒に汚れているのを見て、最初は本当に公園で寝泊まりしている浮浪者なのだと思った。
だが話しているうちに違和感を持った。
エリザも任務で野営をして何日も風呂に入れないこともあるから分かるのだが、数日風呂に入らないだけで人は臭うのだ。だからあれだけ服や手足が汚れているのに体臭がしないなんてことはありえない。
――――この男は、必要以上に服や手足を汚している。
本当は路上生活をしていないのではとあの時点で疑いを持っていた。
「最初から疑っていたのに、どうして僕の話に乗ったんだい?」
「どういう目的で近づいて来たのか確かめたかったというのもありますが……まあ少々捨て鉢になっていたから、どうにでもなれっていう気分だったんです」
「どうにでもなれと言う割には、居室のドアに守護魔法を常にかけて警戒していたよね。不在時に僕がカギを壊して侵入するのを警戒していたんだろう?」
「そうですね。でも魔術師のあなたには無意味でしたね。破ってもかけ直せますから、私には気づかれないでしょう」
さすがに魔術師だとは思っていなかったから、彼の意図を探るため色々な術を室内に施していたのだ。でも結局それも全て彼の手のひらだったかと思うと自分が情けない。
「……騙すような真似をして悪かった、と思っているよ」
少しうつむいてエリックは謝罪を口にした。
謝られるとは思っていなかったため正直驚いたが、どう返答すべきか分からなくて黙って目を逸らした。
彼は任務を遂行しただけで、本来謝る必要などないのだ。そう言うべきなのに、彼と過ごした日々が思いだされて受け流すことができずにいる。
最初から、不自然で疑惑を持ったまま始まった関係だった。
けれど一緒にいる時間が増えるほど、彼を信じたい気持ちになっていた。最初に感じた違和感はずっと心の中で引っかかっていたのに、本当に住むところを求めて転がり込んできたダメ男だったらいいのにと願ってしまっていた。
フィルにこっぴどく振られたあの夜、疑わしくても受け入れたのは、彼のおかげで最低な気分から救われたからだ。
厳しい言葉も、温かい食事も、全部彼の優しさのように感じていたが、潜入捜査なのだから人の心を掴んで油断させるための人心掌握術に過ぎなかったのだろう。
当たり前のことなのに、あれが全て偽りだったと知ってひどく絶望する自分がいた。それほどまでにこの人に心を寄せてしまっていたことに気づいてしまって、胸が苦しくなる。