第五節
死にたがりの
「……
「お、その反応をするってこたぁ一度は会ったことがあるみてぇだな? アーカード? ダリア? それともエストレィディア? あぁ別に答えなくてもいいぜ? 大体の予想は着くからよ」
剣先で地面を突き、悲鳴をあげる影を嘲笑ったダァトは「吸血型、夜行性、陽光の忌避……親はアーカードか? 吸血型の
「貴様は陽光を」
「歩いて来たさ、真っ直ぐに一直線でな?」
「我の影は」
「喰ったよ、最低最悪な味だったぜ? 人食い
戦ってはいけない。直ぐにこの場から逃げ出さなければならない。そうしなければ殺されるのは此方の方。マリアンヌの首を掴み、首筋に鋭い爪を向けた神父は脂汗を流す。
「……貴様が
「へぇ、どんな?」
「聖人の血杯……全ての呪いを打ち消し、神の祝福を授ける聖遺物を見ただろう? 我は完全なる不死となる為に血杯を使い、貴様は己が死の為に使うがいい。どうだ? 悪い取引ではない筈だ」
「そうだなぁ、お前が言いたい事は分かるぜ? けどよぉ、もっと簡単な方法があるんだ。俺が得をする方法が一つだけ。分かるか?」
スッと音もなく繰り出された剣刃が神父の首を刎ね、ドス黒い血を噴出させる。襤褸切れのようなマントでマリアンヌを包み、無数の蟲となって逃げ出した神父を一瞥したダァトは、
「お前を殺して、聖人の血杯を奪う。そうすりゃ俺だけハッピーエンドってワケ。簡単だろう? なぁ、
怒号を飛ばした瞬間壁が崩れ、唾液を滴らせる
「持っとけよ」
「……私は」
「元々それはお前さんのモノだ、ずっと心配してたんだぜ? 本当の親御さんはさ」
「ダァトさんは、私のことを知ってるんですか?」
「知ってるよ、赤ん坊だった頃も見た事があるんだ。ま、覚えてねぇだろうけど」
ギチリ———と、鋼が軋み、剣士の瞳が輝きを増す。
「俺の目的は二つあった」
「二つ?」
「あぁ、個人的な用件と昔の友達からの頼み。聖人の血杯は個人的な用事だけどさ、お前さんを助けてくれって頼まれたらイヤだとは言えなかった。悪いねマリアンヌ、遅くなった」
「あの」
続く言葉が見当たらない。疑問を抱くことも無く、ただ神父の言葉に従う。己の出自や生まれた意味さえも考えず、十六年間の孤独に慣れきってしまった少女は剣士が何故笑いながら怒るのか分からない。
「ダァトさんは怒ってるんですか?」
「女の子には怒らねぇよ俺は」
「怒ってるじゃないですか、笑いながら」
「……母親に似たのかねぇ、お前さんは」
組み付こうとする
「母はどんな人なんですか?」
「あー……生真面目で冗談が通じない人だな」
「生真面目?」
「そ、あぁ悪い意味じゃないぜ? 良い意味で真面目って言いたいんだよ俺ぁさ」
「……」
「うーん……悪いな、あんまり上手く言えねぇわ。まぁ俺よりも人間が数億倍出来ていて、誰にでも優しい
マリアンヌの母を語る時のダァトの笑顔は本物のように見えた。過去を沁み沁みと思い出し、少女の顔を見つめてはまた笑う。
「あ」
「どうした?
「いま、本当に笑いましたね」
「え?」
「母の話をした時、笑ったような気がしました。怒ってない本当の笑顔。ダァトさんも笑えるんですね」
「おいおい俺ぁ毎日笑ってるぜ? じゃなきゃ可怪しくなっちまうからな」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
「よぉ
「……完全なる不死者、父上から聞いたことがあるぞ。陽光を恐れず、水を飲み下し、聖なる物質をも血肉に変える
「長ったらしい。そんな文句を勉強してる暇があったら俺と殺し合う準備でもしたらどうだ? ま、無駄だろうけどさ」
「舐めるなよ……ッ!!」
ガラスが割れたような音が響き、時間と空間を固定していた術式が解除される。血杯に溜まったマリアンヌの血を飲み、魔力と身体能力を増幅させた神父は強烈な多幸感に白目を剥く。
「これが」暴発する魔力が魂に引き寄せられて圧縮し「聖人の血杯の力!!」人間と
「マジかよ……」
神父の肉体を覆い尽くす黒い瞳の影達がダァトを見つめ、
「ダァトさん、アレは」
マリアンヌは神父が説いた異形の神を想起する。
混沌が体を成し、聖人の血杯に溜まった銀の血が異界の門を開く。祝福を知らず、呪いだけを知る無垢は不死を与える魔を異界―――魔界と呼ばれる裏の世界から呼び寄せた。
心が本能的に恐れを抱き、人間とは別存在である影に怯え竦む。気が
歓喜に打ち震え、獲物を見つめる捕食者の笑顔。圧倒的な威圧感に頭を垂れず、幾万通りもの殺害を思い浮かべる殺戮者の顔。熱い息を吐き、マリアンヌを静かに下ろしたダァトは狂ったように笑いながら異形の神へ斬りかかる。
「……」
斬って、斬られて、抉り、刻まれる。黒打ちの甲冑が瞬く間に血に塗れ、金切り声を響かせる異形は魔力の刃を形成するとダァトの右腕を斬り飛ばす。
生温かい血が頬に飛び、滑った体液がマリアンヌの熱を奪いながら伝い落ちる。眼の前で繰り広げられる殺し合い―――血で血を洗う死闘に声を失っていた少女は、知らぬ間に足首を覆っていた影に小さな悲鳴をあげた。
「誰に手ぇ出してやがる! あぁ!? 魔族よぉッ!!」
錆の刃が影へ振るわれ弾かれる。怒声を飛ばしながらも笑い狂い、斬り飛ばされた右腕を蹴り上げたダァトは切断面と切り口を合わせ、剣の柄を繋がった右腕に握る。
「ダァトさん」
「あぁ?」
「神父様は」
「食われたよ」
「食われた?」
「満たされない血杯、不完全な儀式、陣の強制解除、まぁこれだけ揃ってたら魔界の門を開くにゃ十分だわな。
何処の誰に吹き込まれたんだか知らねぇけど、聖人の血杯ってのぁ聖遺物の器に過ぎねぇワケよ。中身が伴ってなきゃガラクタ同然なんだぜ?」
「なら、あの影は」
「魔族の影……うんにゃ、不完全な状態で出てきたから魔物って呼んだ方がいいか? 一言で言えば敵だよ、アレは」
教会が揺れ、大地が唸る。漆黒の稲妻が窓に打ち付けられた板を引き剥がし、溶けて濁った屍肉が地面を這い、弾けた血袋から噴出した鮮血が渦を巻いて練り上げられる。
「マリアンヌ」
「……はい」
「お前さん、この村に未練とかあるか?」
「……」
無いとは言えないが、あるとも言い難い。脳裏に浮かんだ思い出は悲鳴と闇、そして破れた書を読み漁る孤独の記憶。楽しいという感情を知らず、喜びも知らず、無自覚の恐怖に凍った少女は首を横に振るう。
「いいえ」
「なら……そうだな、全部ブッ壊しちまうか! こんな辛気臭え場所なんて無い方がいい!」
顔を掌で覆い隠した瞬間、ダァトの頭が漆黒の兜で包まれ、
「俺ぁ……そう思うね」
錆と血に塗れた甲冑は仰々しい戦闘甲冑へ変貌し、
「ブチ殺し確定だ、震えて死ねよ? 魔族」
黒白の剣を異形……否、魔物へ向ける。