血に濡れたダァトが最後の
「これで最後っと。大体二十かそこらか? まぁいいや、これで暫くは他の
首の骨を鳴らしながらフルフェイスを掌で擦り、全身を覆い尽くす戦闘甲冑を元の状態へ戻したダァトは剣にこびり付いた屍血を振り払う。
「……」
「どうした? どっか痛めたか? 具合が悪いなら」
「どうしたらいいのか考えていました」
掌に握ったロザリオを見つめ、厚い鉛色の空を見上げたマリアンヌは焼け朽ちた村を一望する。
村に未練は無い。教会に半ば軟禁状態にあった少女にとって、一つの村が消えたことなど気にも留めない些細な出来事の筈だった。
しかし、全てが焼け落ち、村と眷属の真相を知った少女は今更ながら村に興味が湧いてきたのだ。何故村人全員が劣化眷属に成り果て、村に訪れた冒険者を喰らって生きていたのか。血袋となった人間が教会の奥で生餌にされ、その後どうなるのか。
陣から一歩足を踏み出そうとしたマリアンヌへ「まぁ待てよ、焦るこたぁねぇさ。術が解けるからよ」ダァトは真紅の瞳を輝かせながら歩み寄る。
「術?」
「あぁ、血杯を囲ってた時空固定陣があるだろ? アレがもうじき崩壊する。見ものだぜ? 時間そのものが一気に動き出すなんてよ」
ケタケタと笑い、長椅子に腰かけたダァトは「五十年後にまた会おう」と呟き、瞼を閉じた。
どういう意味だろうか? 訝しむマリアンヌが陣から抜け出そうとした瞬間、教会を中心に大地が揺れ動く。小さな悲鳴を上げ、その場に伏せた少女が目にした光景は高速で回る太陽と星々の渦。
灰が風化し、焦げた木材から草花の萌芽が顔を覗かせる。人骨は雨に流されながら大地に埋もれ、荒涼とした村は瞬く間に緑に覆われた村跡地へ変貌した。
時間加速や時間跳躍などといった生易しい変化ではない。これはもっとこう、そう……失われていた時間が濁流の如く押し寄せる、世界の精神調和作用のようなモノだ。ダァトが言っていた陣術の効果が切れ、外の世界との時間が物理的に噛み合う現象。
息を切らし、断絶の陣の中で身を強張らせていたマリアンヌは徐々に朽ちるダァトへ視線を移す。剣の鞘が腐り、鋼は腐食し錆びつき割れる。それでも剣士は只管眠り、時々寝返りをうっては立ち上がり、血塗れで戻るとまた眠る。
時間の濁流が落ち着きを見せ、何時の間にか眠っていた少女は重い瞼を上げ、天井の裂け目から降り注ぐ陽光を瞳に映す。板で覆われていた教会は緑の神秘を纏い、生き物さえ寄り付かなかった筈なのに小鳥がダァトの頭で巣を作っていた。
腐った床板と変わらない床板。断絶の陣からそろりと歩み出し、ダァトの身体を揺さぶったマリアンヌは真紅の瞳を覗き込む。
「ダァトさん? あの、大丈夫ですか?」
「……」
「覚えてますか? 私のこと、その、マリアンヌです。マリアンヌ・フォス。えっと」
「あんまり緊張するなよマリアンヌ、覚えてるよ。五十年振りだけどな」
「私には一瞬のように感じたんですが……ダァトさんは本当に五十年も?」
「まぁ、色々説明したいことがあるんだけどさ……頭のコレ、取ってくんない? 煩わしいったらありゃしねぇ」
頭に乗った小鳥の巣を指差し、困ったような笑みを浮かべたダァトは錆塗れの鋼を軋ませる。
「……」
「黙ってないで取ってくれよ、糞をされたら堪ったもんじゃ」
自然と少女の頬が緩み、肩を震わせて笑ってしまう。
「おいおい、笑う前にさ」
「だって」
「だって?」
「可笑しいんですもん、頭に鳥の巣を乗っけるなんて……。外の世界じゃそれが普通なんですか?」
「あー……普通じゃねぇかもな。いや、悪い、普通じゃねぇわ。けどよ、頭に鳥の巣が乗ってるなら可愛いもんだろ? 俺が会った
「普通ですね」
「だろ?」
仕方ないと肩を竦め、蔦根が絡まった腕を持ち上げたダァトはそっと小鳥の巣を持ち上げ、肉食動物が届かない木の上へ移動させる。半壊した甲冑を身に纏い、腐った鞘を吊る剣士の姿に少女は言い得ぬ神秘を感じ取る。
「しかしまぁ、お前さんが一瞬だと思ったのは仕方ねぇよ。なんせ村一帯はマジで五十年の月日が経ってたんだからな」
「理由を聞いても?」
「んー……インディルの血杯が回収された事と、陣術を張っていた
「時間調整? それって……村そのものがおかしかったってことですか?」
「そ、例えるなら紐の堅結びが一気に解けて、一本の紐に戻ったんだよ。世界っちゅう紐が無理矢理時間を調整した。悪いね、魔術理論に関しちゃ俺は半分独学だからよ。上手く説明出来ねぇや」
「つまり……祭壇に刻まれていた時空固定陣? それが神父様の死によって壊れ、村の時間が五十年分押し寄せた。世界は別に変わらないし、変わったのは村だけってことですか?」
「聡いね、ダル魔導国の王立学院に入学したら化けるぜ? お前さんは」
草花を引き千切り、乾いて固まった屍血を剥いだダァトはゆっくりと立ち上がる。関節の可動域を確認するように肩を回し、一冊のノートを取り出しながら。
「ダァトさん」
「んー? どうした?」
「これから私は」
「お前さんの好きにしたらいい」
「……」
「別に俺ぁ友達からの頼みを聞いただけで、連れ帰ってとは言われてねぇからな」
ノートに機械仕掛けのペンを奔らせ、記録を残した剣士は表紙に刻印された陣へ魔力を流し、
「けどさ」
マリアンヌを見つめると満面の笑顔を浮かべ、
「マリアンヌがどっかに行くなら付き合うぜ? 助けてくれって言われてるからな、お前の親御さんからよ」
「良いんですか?」
「別に構わねぇよ? どうせ俺は死ねないし、やることって言ったら血杯探しだけなんだぜ? だから……そうだな、暇潰しになるだろ? マリアンヌと居たらさ」
遠い昔を懐かしむような、それでいて今を見つめる奇妙な視線を少女へ向けた。
「ダァトさんにとって私と一緒に居るのは暇潰しなんですか?」
「そりゃぁお前さん、俺ぁ
「そうですか、なら別に悲しんではいないんですね」
「……そうだよ」
また嘘を吐く。言葉で隠していようとも、笑顔の仮面を貼り付けようとも、真紅の瞳は悲しみを湛え、無理に笑っている。
無意識にダァトの手を握ったマリアンヌは「なら暫くは大丈夫ですね」薄い胸を張る。
「ダァトさんが暇潰しって言うなら、私は生まれ故郷に行きたいです。聖都でしたっけ? どんな場所か楽しみですね、ダァトさん」
「悪い場所じゃねぇよ、人間なら住みやすい場所だろうな」
「
「俺ぁ例外だよ、なんせ女教皇のお友達だからな」
剣を引き摺り、壊れた鎧を軋ませたダァトは一歩ずつ歩み出すと、
「じゃぁマリアンヌ、お前は何処に行きたいんだ?」
「そうですね、人が居る場所……ダァトさんが言う普通の場所ですかね。出来れば今日中に」
「そりゃ無理なお願いだぜ? なんせ俺とお前は」
歩く早さが違うんだからよ。新緑に覆われた村跡地を後にした。