時送りの村跡地、其処は時間が濁流の如く押し寄せる奇妙な場所だった。
曰く、村に足を踏み入れた者は笑顔を浮かべる男と出会う。男は旅人へ問いを投げかけ、納得したならば村跡地を通ることを許す。納得せずとも悪意を持たなければ男は腐った鞘に収められた剣を抜かず、黙って旅人を見送るという。
ならば悪意を持った存在が時送りの村跡地へ足を踏み入れ、男と出会ってしまった場合、彼はどんな行動を起こすか。答えは至極単純、血の雨を降らせるのだ。研ぎ澄まされた剣で首を撥ね、錆の刃で臓腑を掻き回しながら死を贈る。故意に一人だけを生き残らせて。
村に残るモノは朽ちかけた教会と焼け落ちた家々の残骸。急速に時が流れる様を見届けるのは至難の業であり、常人には不可能なこと。そもそも村跡地は冒険者や旅人が度々姿を眩ませる呪いの地と呼ばれ、
しかし、ある日を境に時送りの村跡地は緑に包まれた廃村へ姿を変えた。時間の濁流が止まり、教会を中心にして広がる深緑は静寂を取り戻しつつある。その理由は誰にも分からない。何故なら、全員が全員全く別のことを噂していたからだ。
男が消えた故に死が薄れ、調和が取れたと話す魔術師達。
世界の法則が一時的に乱れ、異界と繋がったが故に死が訪れたとノート片手に村へ足を運ぶ学者達。
名のある戦士が
誰が真実を語り、嘘を交え、語り継ぐのか……。奇妙な現象が消え、時送りの村跡地が形骸化した噂話になったとしても、いずれ人々は世界の流れに身を任せ、忘却を選択するだろう。伝承や伝説が生き物のように尾鰭を得て、自由自在に人の隙間を泳ぐように。
だが、人間という生き物は厄介なことに大きな問題を見つけては他人と共有したがる存在だ。一時的に時送りの村跡地の噂が広まったとしても、今の問題……黒薔薇の血霧城の話題で町のギルドは湧いている。多額の討伐報奨金が噂の主である
「黒薔薇の
「傭兵は必要か? 一日五千エルダなんだが、報奨金の百万エルダで十分お釣りが来るぞ? なに? 術だと? 戦士は身体一本勝負だ! 術なんか使えるか!」
「あー、あと一人メンバーが埋まらねぇ……。誰か戦士の人、盾を使える人はいねーか? え? 給料? そりゃまぁ……現地で集めた宝次第だけど?」
「不死者ねぇ、ふつーの人間じゃ手に負えねぇっての。あ、お姉さん一杯どう? 奢るよ? 人を待ってる? いやいや、お姉さんみたいな綺麗な人を待たせるなんて酷い奴だね」
喧騒の中に欲望が溶け、人間の熱に満ちた酒場は多くの冒険者で賑わい、しょうもない理由で殺し合い寸前の喧嘩まで起きている。時送りの村跡地から歩いて一週間、大陸南部に位置する新興都市エルサは小規模ながらも活気溢れる町だった。
若者が集まれば仕事が生まれ、仕事があれば需要と供給のバランスが望まれる。遺跡や廃都が密集する大陸南部は冒険者の需要が高まり続け、異界から現れる魔物を討伐する傭兵もまた必要とされていた。
「しかしまぁ、
「いいや? つーか時送りの村跡地だって最近の話じゃねぇか。アレって
「知らねーよ。それより……あそこの女、滅茶苦茶美人だと思わねぇか? フリーなら俺でも」
「やめとけって、どうせ連れ待ちだよ」
二人の冒険者がテーブルでグラスを揺らす隻眼の美女を見る。紫陽花を思わせる儚げな雰囲気を身に纏い、胸元が開いた派手なローブを着る薄紫の女。冒険者の視線に気が付いた女は白い手を振り、綺麗な笑みを浮かべた。
「……俺、行ってくるわ」
「バーカ、止めとけって」
「恋は止まらねぇッ!」
席から立ち上がった瞬間、酒場の扉が勢いよく開かれ、青痣だらけの男が転がり込んでくる。
「ったくよぉ、喧嘩吹っかけるなら相手を選べっての」
「わ、悪かったって! だから命だけは」
「取らねぇよ馬鹿野郎。何が楽しくて殺すんだか。マリアンヌ、大丈夫か? 具合が悪いならハッキリ言えよ? 話さなくちゃ分かんねぇからさ」
「別に大丈夫ですけど。それにしても……本当に人が多いんですね、外の世界は」
薄汚れたシスター服の少女と罅錆に塗れた甲冑を纏う笑顔の剣士。酒場に集まる冒険者の視線が一斉に男へ向かい、少女は物珍しいといった感じで周囲の光景を見回した。
「まぁ此処は大陸中から人が集まる場所だからな。王都とか聖都に比べりゃまだまだ発展途上だけどよ、質は保証するぜ?」
「質?」
「あぁ、装備とか魔導具、支援施設、後はそうだな……日常の一助ってところか。色々案内してやりてぇんだけど……先ずは、ダリア! 居るか! 居るなら返事しやがれ!」
剣士、ダァトが大声を発すると同時に隻眼の美女の手が揺れる。少女を引き連れテーブルに座った剣士はウェイターへ飲み物と料理を注文し、
「紹介するぜマリアンヌ、コイツはダリア。俺と同じ
と、小声で少女……マリアンヌに囁いた。
「
「……」
「なら必要無いわ。此処に居る
凛とした琴のような声。妖しく揺れる紫色の左目にマリアンヌを映すダリアは、一つ咳払いをするとニッコリと笑い、
「自己紹介から始めましょうか。私の名前はダリアェルス・モルガナント。世間からは破滅工房だなんて呼ばれてるけど、単なる魔導技師の一人。ダァトとは……結構長い付き合いね。それで貴女のお名前は? お嬢さん」
鋭い眼差しでダァトの装備品を睨み付けた。
「私の名前はマリアンヌ・フォスです。旅をしています」
「それだけ? 他に何か面白い話とかないの?」
「特に何も。面白いかどうかは分かりませんが、聖都へ行きたいとも思っています」
「それはただの目標よ? 何かを殺したいだとか、手に入れたい。そんな話しを期待していたんだけど……。面白くないわね。えぇ、本当に」
まぁ、そんなことよりも。微笑みながら睨みを利かせ、怒りを眼の奥に隠していたダリアがテーブルを指先でトンと叩く。
「ダァト、その剣と甲冑……どうしたの?」
「はぁ? 戦ってたからボロボロになった。それだけだぜ? ダリア」
「戦ってたからボロボロになった。へぇ、私の
「ダリアさん」
「なに? 貴女に用は無いんだけど。黙ってくれる?」
「破滅工房ってなんですか?」
「黙って欲しいんだけど。私はダァトと話を」
「教えて下さい。どうしてダリアさんは破滅工房って呼ばれてるんですか?」
「……」
おっかなビックリ、不死者であることを知った上でしつこく食い下がるマリアンヌへ好奇の眼差しを向けたダリアは、怒りを消し去り満面の笑みを浮かべ。
「ダァト」
「あぁ?」
「面白い子を拾ったわね。どう? 私にくれない?」
「冗談はその隠した目ん玉だけにしろよ。なぁ? ダリア」
酷く冷えた手で少女の頬を擦った。