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第三節

 黒く淀んだ水面を見つめ続け、月の輪郭さえも忘れてしまった存在。


 空へ手を伸ばしているつもりが泥を手繰り、掬い上げた泥を星だと言って疑わない愚者。


 生を見失い、死を願い、命を渇望する。忘れてしまったが故に求め、失った何かを塗り潰したいが為に終わりを欲する者。それがダリア……破滅工房と呼ばれる不死者の現実である。


 破滅工房の作品を手にした者は例外なく死ぬ。不死者であろうとも命の代わりである感情を食い潰され、人間であればたった一つの命を磨り潰されてこの世を去る。使用者をも死に至らしめる作品は正に破滅への道標。それを造り出す存在であるが故に付けられた名が『破滅工房』なのだ。


 「……先ず一つ、破滅工房は一人だけよ。誰一人として私の道は歩ませない。無知は罪だけど……無垢は白。マリアンヌ……いえ、マリア」


 「マリア? 私の名前はマリアンヌですよ?」


 「渾名よ、親しい人を呼ぶための名前。いいじゃない、好きよマリア。貴女みたいな女の子」


 「ありがとうございます、私もダリアさんは嫌いじゃありません」


 「へぇ、どうして?」


 「悪い人じゃないと思ったからですね」


 「変な子」


 「そうですか?」


 「そうよ」


 左手を黒手袋で覆い、硝子煙管を咥えたダリアがダァトを見つめ「黒薔薇の血霧城……あそこに私の失敗作があるんだけど、仕事を受けてみない?」と薄い紫煙を吐く。


 「あそこに居る不死者は好かねぇんだよな、陰気臭ぇんだよアイツ」


 「アイツ? お知り合いなんですか?」


 「知り合いも何も、三回くらい殺しに行って、その度になぁなぁで済ませてる女。面白くも何ともねぇぜ?」


 「どんな人なんですか?」


 「そうだなぁ……端的に言えば狂ってる。死にぞこないを極限まで煮詰めたような不死者だな。俺と違って優しくねぇぞ、アリアーデ・ノワール=ド=ヴァルモンって奴はよ」


 剣を鞘に収め、退屈そうに欠伸をかいたダァトがクツクツと喉の奥を鳴らして笑う。


 「最近やっと討伐依頼が出されたみたいだが、破滅工房の作品……それも失敗作があるんじゃ無駄だろうな。良くて三分の二、最悪のケースを考えれば全滅からの眷属化。ま、どうでもいいけどな」


 「何がですか?」


 「人死にのことだよ、マリアンヌ。俺達にゃこれっぽっちも関係の無い些細なこと。誰が何処で死んで、生き残ってもなぁんにも問題は無い」


 けどまぁ———真紅の瞳がダリアを射抜き、聞き耳を立てている冒険者を一瞥すると、


 「どんな作品を与えたんだ? 話せよ、ダリア」


 笑顔の裏に超圧縮された狂気を蠢かせた。


 「頼まれたから造っただけなんだけど……魔力で動く庭園よ。私がアリアーデにあげたのは」


 「へぇ、で?」


 「それが最近誤作動を起こして、あの子の領域を想定外な場所に顕現させているのよ」


 「ふぅん」


 「壊してもいいし、回収してもいい。損はしない筈よ? ダァト」


 テーブルを指先で叩き続けるダァトはチラチラと此方の様子を窺う若い冒険者……二人の少年少女へ視線を向ける。


 「一つ聞くけど」


 「えぇ」


 「他の作品はどうしたよ」


 「さぁ? 放任主義なのよね、ウチは」


 「此処の冒険者の手にあるのは?」


 「無いわね、あぁ、でも模倣工房の愚図があるわ」


 「そりゃぁ……面倒だな。最低だ」


 椅子から立ち上がり、目を丸くする少年冒険者に近づいたダァトは腰に吊るされている剣を一瞥する。


 「な、なんですか? あの」


 「得物を寄越しな」


 「はぁ!? 何で」


 「死にたくなければ寄越せってんだよ。別に自殺志願者を止める主義は持たねぇが、ガキが無意味に死ぬ様は見たくねぇ」


 剣を抜き、白刃を少年の首に当てた剣士の口角が歪む。術を唱えようとした少女の口を魔力操作で塞ぎ、簡易的な断絶術を施す。


 「お、僕達、アンタに何かしましたか!? 金なんて」


 「金なんざ要らねぇよ馬鹿野郎」


 「なら」


 「黙って剣を出せよ、痛い目にあいたくなけりゃぁな」


 震える少年から剣を奪い、鞘から刃を抜いた瞬間、幾万本もの鋼の棘が黒鉄の篭手に突き刺さる。


 「な―――」


 「ガキ」


 「は、はいッ!!」


 「これ、何処で手に入れた」


 「えっと……孤児院の、その、母から」


 「あっそ、別に大切なモノじゃないんだな?」


 「大切って言えば、大切なんですが―――」


 「命よりもか?」


 「それは」


 「違うよな、お前は別に死にたがっちゃいねぇもん。なら……壊してもいいか」


 血を啜る鋼の棘に許容量以上の魔力を流し込み、刀身に罅を入れたダァトは血罪剣を振り上げ、力の限り剣に振り下ろす。


 キン―――と甲高い金属音が酒場に鳴り響き、砕けた剣から現れたのは子供の骨。それを床に放り捨て、踏み潰したダァトは「出来損ないの模倣品。本物の塵だな、こりゃ」と軽く笑った。


 「これ、は?」


 「呪物だよ、それも悪趣味な」


 指を振り、少女への魔力操作を解いたダァトが微笑を湛え、


 「誰かを生き返らせようとしてたんかねぇ、人様の命を奪ってさ。気ぃ付けた方がいいぜ? 無償の善意程危ねぇモンは無い。あぁ、あとお前等は今回の不死者討伐……黒薔薇の血霧城の依頼は止めとけ。雑魚だから」


 と、一方的な忠告を残しながら元のテーブルへ戻る。


 「ダァトさん」


 「ん?」


 「どうして剣を壊したんですか?」


 「気になったから」


 「あの人達を助ける為じゃなくて?」


 「別に? どうでもいいんだよ、本当に」


 「焦ってたのに?」


 「はぁ?」


 「見るからに焦ってましたもんね、どうしたらいいのか分からない感じでした」


 真紅の瞳が僅かに揺れ、マリアンヌから視線を逸らす。まるで己の内側から目を背けるように、そっと。


 「結果的に良かったと思います。アレがダァトさんのやり方なら仕方ありませんし、私がとやかく言うのは間違いですから。けど……やっぱり優しいですよね、ダァトさんは」


 「止せよ、照れるだろ?」


 「あ、本当に照れてる」


 「うるせぇよ」


 「うるさいんですか? 私」


 「いや、別に……良い声してると思うよ。少し……昔を思い出す」


 「昔?」


 「御伽噺とか伝説の中の話さ、だからずっと昔の事だな。マリアンヌ、お前は……似てるんだよ。大切だった人にさ」


 「それは母のことですか?」


 「あのねぇ、お前のお母さんは俺とダリアより若いんだぜ? 生ける伝説って呼ばれてるけど、御伽噺まではいかねぇよ。多分な」


 マリアンヌの頭を乱暴に撫で、腕を組んだダァトはテーブルに足を乗せる。


 「ダリア」


 「なぁに? 王子様」


 「お前の依頼はマリアンヌの判断に任せる。コイツが行くって言えば、俺も付いていく」


 「気が変わったの? 貴男が誰かと歩くなんて……久々じゃない」


 「前はテメエの後始末をしただけだ。殺したかった奴を殺すだけの旅。だから……そうだな、俺を探し出して、旅に誘ってくれたマリアンヌの両親に借りがある」


 「借りなんて返す質だっけ? 貴男」


 「暇潰しだからな。マリアンヌが聖都に辿り着いて、その後どうしようが俺には関係ねぇんだよ。ガキってのはな……親元で暮らすべきなんだ、本当はな」


 聖書の紙片で巻いた煙草を口に咥え、火を着けた剣士は紫煙を吐く。


 「だからマリアンヌ」


 「はい?」


 「お前が大人になるまで傍に居ると思うなよ? 悪いけど……不死者ってのぁ全員薄情なんだよ。特に俺みたいな奴はな」


 「そうですか、残念です」


 「マリアにはあんまり響いてなさそうよ? 王子様」


 「うるせぇや」


 灰を床へ弾き落とし、続々と運ばれてくる料理に目を丸くしたダァトはテーブルに置かれた注文票を上から下まで凝視する。


 「……マリアンヌ」


 「何ですか? 見て下さい、美味しそうですよ? さ、食べましょう」


 「いや食べましょうじゃねぇよ、全部食いきれるのか? えぇ? 食い物を無駄にするってのぁ俺としちゃ許せねぇな」


 「なら手伝って貰いましょうよ」


 「誰に?」


 「あの人達、ダァトさんが助けてあげた二人組の冒険者に」


 涎を垂らして此方を見つめる二人組の少年少女がそっぽを向く。グラスに満たされた水を一口一口味わうように飲みながら。


 「……おいガキ共!」


 ビクリと肩を震わせた子供達が汚れた硬貨をカウンター席に置き、


 「腹ぁ減ってんならこっちに来い! 飯食わせてやる! ありがたく思えよ!」


 酒場を去ろうとしたが、大股で近寄ったダァトに首根っこを掴まれながら椅子へ無理矢理座らされる。


 「ちょ、ちょっと!」


 「おま、静かにしとけって! 殺されるかもだし……」


 「けどコイツは普通じゃないでしょ絶対! ヤバいって!」


 「それは分かってるけど……武器とか無いだろ、僕等」


 「うるせぇな、食うか食わねぇかハッキリしろってんだよ全く……。ガキ、名前は?」


 「え、あ、はい……。僕はクロウ・ノーコードで、こっちの五月蠅いのが」


 「五月蠅いって何よ! 私は」グゥと腹の虫が鳴り、赤面した少女は「……キーラ・エスト」と呟くように名乗った。


 「あっそ、まぁいいや。食えよ、俺の奢りだ」


 訝しむ少年は猛烈な勢いで食事を進めるマリアンヌを一瞥し、恐る恐るガレットを一切れ手に取った。


 確かに腹が減っている。ギルドの安い賃金で扱き使われ、一日食べるのがやっとの極貧生活。孤児院の粗末な食事も大概だったが、まさか都市でも薄い粥を飲む日々が続くと誰が予想できただろうか。


 「言っとくけど」


 ローストチキンを掴んだキーラがダァトを睨む。


 「お金なんてビタ一文払わないんだからね! それとアンタ、クロウの剣も弁償しなさいよ!」


 「馬鹿キーラ! お前って奴は本当に!」


 「アンタもアンタよ! 何時までギルドの中位連中に頭下げてるつもり⁉ もううんざりなのよ、私はね!」


 「へぇ、んな形でもギルドに所属出来てるんだな、優しい世の中になったねぇ」


 「ダァトさん」


 「ん? どうした? マリアンヌ」


 「ギルドってなんですか?」


 食べ物を噛みながら手を止めず。既に四分の一を食べ尽くしていたマリアンヌがダァトに問う。


 「あー、ギルドってのぁ、そうだなぁ……簡単に言えば依頼斡旋所だな」


 「依頼斡旋? それってさっきの不死者について何か関係が?」


 「あるね、ギルドの依頼は危ないヤツ程報酬が良い。あぁ、一応ダリ……アリエルもギルドに所属してんだぜ?」


 「アリエル?」


 マリアンヌの瞳がダリアを見つめ、魔女は妖艶な笑みを浮かべながら人差し指を唇に当てた。まるで聞かないように———と、不死者の身分を隠すように。


 「で、ギルドには実力を示す為に階位と級位があるワケだ。こいつ等の場合……多分下位の三級ってところか? 雑魚の上澄みだな」


 「そうなんですね、勉強になります。つまり弱いから不死者には手を出すな。ダァトさんはそう言いたかったワケですね」


 「そーいうこと。あぁ、因みにアリエルは魔導ギルドの上位一級だ」


 「イヤねダァト、人のプライバシーを話さないでくれる?」


 「それって、凄いんですか?」


 「人外も人外、この二人に比べりゃ天上人……いや、現人神みたいなモンか? ま、性根は腐り果ててるけどな」


 ダァトの話に耳を傾けつつ、彼を睨み付けたキーラは「偉そうに言うけど、どうせ大した事ないんでしょ。ギルドの中位みたいに」侮蔑を込めた言葉を吐く。


 「止めろって、お前そういうトコだぞ……ホント」


 「クロウ、アンタは黙り過ぎなのよ! 前だって報酬が引かれてたのに文句の一つも言わないでさ! アイツだって」


 「一応言っとくが、俺ぁ上位一級だぜ? クソガキ」


 ポーチの奥に押し込まれていた純金製のプレートを見せたダァトが厭らしく笑い、


 「けどまぁ、活きの良いガキは嫌いじゃない。面白れぇじゃねぇか、会わせてくれよ。お前が言った中位連中って奴にさ。なぁ?」


 驚きのあまりチキンの骨を取り落としたキーラと、咽込むクロウの肩を握った。


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