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第四節

 錆が滲み、亀裂が奔った全身甲冑の鋼が異様に冷たく感じた。


 視界の端には人間の顔が映っている筈なのに、獰猛な獣が舌を出して嘲笑っているような気がしてならない。ニンマリと殺意に塗れた笑顔を浮かべ、一瞬にして生殺与奪権を握った黒鉄の剣士はガタガタと震えるクロウの頬を撫でると、キーラの赤毛を指先でクルクルと弄ぶ。


 「そうビビんなよ、別にとって食うワケじゃあるまいし。なぁに、俺ぁエルサのギルドに用があるだけさ。ついでに様子を見ようとしてるだけ……分かるだろ? ガキ共」


 「あの、僕達、その……貴男が上位だと、思ってなくて」


 「んなこと気にしちゃいねぇよ、単に面白いと思ったんだ。普通はさ、テメエの剣を壊した奴に啖呵なんざ吐けやしねぇ。これは俺なりの誠意なんだぜ? 喜べよ、なぁ? 上位一級が下位の為に動いてやるってんだ。笑えガキ……いや、クロウ、キーラ」


 少しも笑えない。途切れた息が肺に溜まり、少ししてからやっと吐き出される閉塞感。助けを求めるように向かいに座るダリアへ視線を向けるが、当の本人はこの状況へ愉快極まりないといった様子で紫煙を吹かし、マリアンヌもまた食事を進めるだけ。


 「ね、ねぇ、クロウ、ちょっと……ヤバいんじゃない」


 「……」


 「ア、アタシが術で隙を作るから、アンタだけでも」


 「……逃げるワケ、ないだろ」


 「はぁッ⁉ アンタ武器も無いクセに」


 ダァトの手を掴み、真紅の瞳を睨み付けたクロウは深く息を吸い、怖気づく心に喝を入れる。


 「冒険者になった時、言っただろ、二人で。死ぬ時も、生き抜く時も、絶対に一緒だって。だから……僕が囮になるから、キーラは逃げて欲しい。僕よりも……ギルドの人は君の話を聞く筈だから」


 「ば、馬鹿! その間にアンタが」


 「いやぁ、誤解されるなぁ、こう見えて俺は誠実な方なんだぜ? 面白いし、気に入ってんだよ本当に。だから此処で決めろ」


 「何を———ッ!!」


 ズルり———と、下卑た笑みを浮かべる影がキーラの足元に絡みつき、鈍い光を放つ刃の指がクロウの眼前に突き出される。


 「使い潰されるか、テメエを証明するか……二つに一つ。話せねぇなら首で返事しな」


 使い潰されたくはない。だが、それ以上に生きることは難しい。判断を決めかねていたクロウとは別に、キーラが「納得してるワケ、ないじゃない! 馬鹿にしないでよ!」残ったチキンを引っ掴み、皮と肉を食い千切る。


 「へぇ、どうしてまた」


 「私はね、ううん、私達はお金持ちになる為に冒険者になったのよ! お金を沢山稼いで、名のある冒険者になって強くなるの! だからこんなところで、黙ってなんていられない!」


 「……キーラ、少し静かに」


 「クロウ! アンタもアンタよ! いっつも申し訳なさそうな顔してさ! アンタは」


 「キーラ」


 少年の瞳が恐怖に慄きながらも少女を見つめ、呆れたような笑みを浮かべる。


 「……もう何日もまともな食事を摂っていなかったね」


 「……」


 「悪いと思ってるし、不甲斐ないとも思ってる。僕の我が儘に付き合ってくれたキーラには感謝してる。だから」


 刃の指を握り、真っ赤な血を滴らせたクロウもまたダァトを睨み、


 「これは僕の選択なんだ、絶対に。僕が僕であって、クロウ・ノーコードがキーラ・エストと一緒に生きられるようにする為に」


 飢えに耐えかねチキンを食む。


 「……いいねぇ」


 二人を解放したダァトは手を叩く。素晴らしい演劇を鑑賞した貴人を思わせる仕草で、歓喜の色を瞳に浮かべながら。


 「青いってのは眩しいねぇ! 増々気に入ったよ! おいガキ……違うな、クロウそしてキーラ。俺ぁ好きだぜ? お前等みたいな馬鹿は特にな!」


 グリグリと頭を力任せに撫で、満面の笑みで椅子に座り直したダァトは「悪いマリアンヌ、用事が出来た。観光でもしようぜ? 腐った大人を見にな」プレートを首から下げる。


 「もういいんですか? 私にはもっと当たりが強かった気がしますけど」


 「そりゃぁお前さん、アレは荒治療だよ。悪いね」


 「いいですけど。クロウさんでしたっけ? 大丈夫ですか? その指」


 「え? 指———ッ」


 今更になって痛みに悶え、汚れた包帯を取り出したクロウへダァトが傷薬を投げて寄越す。


 「使えよ、冒険者ってのぁ身体が資本だ。金は要らねぇぜ? 金持ちだからな、んな形でもさ」


 「ありがとうございます……あの、ダァトさんは」


 「後は得物だな……それは“後々”でもいいか。おいキーラ」


 「何よ……」


 「お前の啖呵、中々良かったぜ? 若いってのぁそうでなくちゃ。なぁ? アリエル」


 「別に? マリアと比べれば面白さの欠片も無い小娘だけど、鍛えればそれなりになるんじゃない? 得意でしょう? 子育て」


 「馬鹿言うなよ、何が楽しくて他人のガキを育てるんだか。けどまぁ……死なねぇ分には面倒見てやるか。暇潰しに」


 笑い合う上位者を一瞥したキーラはマリアンヌへ視線を寄せ、延々と食べ続ける様に舌打ちする。


 「アンタさ」


 「何でしょう?」


 「アイツとどんな関係?」


 「どんな関係とは?」


 「いや、どんな関係かって聞かれればさ、普通冒険者仲間とか言うでしょ。なに? アンタも上位者なの?」


 「違いますね、そもそも冒険者ではありませんし。それと」


 「それと?」


 「私の名前はマリアンヌ・フォスです。マリアと呼んで貰っても構いませんよ?」


 「なに? 馬鹿にしてんの? それともアンタの方が強いワケ? 私はね、術が使えるのよ? それも結構大きな」


 「強いかどうかは分かりませんが……戦う必要が無いのならそれでいいかと。確かキーラさんでしたよね? 貴女が使う術とは、私が使える聖光の術と何が違うのでしょう? あとどうして杖を?」


 瞬間、キーラは目の前の少女が何も知らないと言葉無く察し、更に疑問を深める。


 「……アンタ、シスターでしょ? 治療術とか使えないの?」


 「いいえ? 全く」


 「じゃぁ支援術は?」


 「何ですか? それ」


 「……マジ?」


 「キーラ、その子……マリアンヌさんにも色々事情があるんだろ。其処までにしとけって」


 「事情ったって知らな過ぎでしょ? 箱入り娘じゃあるまいし! それにあの子のシスター服、随分前に廃止されたモノでしょ⁉ 幾ら何でも」


 「そういうとこだって……ごめんマリアンヌさん。キーラにも悪気は無いんだ。少し知りたがりな性分で」


 「いえ、反応が新鮮で面白いです。成程、術にも色々と種類があるんですね。ならその杖は私のロザリオと同じ魔力を操るモノ。あ、クロウさん、貴男もマリアと呼んでくれたら嬉しいです」


 「え、あ、はい……」


 玲瓏に燃える緋色の瞳に射抜かれ、赤面しながらしどろもどろになるクロウの足を踏み付けたキーラは、最後のチキンを手に取る際マリアンヌの指に触れる。


 「……」


 「……」


 「離しなさいよ」


 「嫌です」


 「アンタもう十分食べたでしょ⁉ こっちはお腹空いてんの!」


 「私もまだ食べ足りないのですが?」


 「———ッ!! アンタ何歳よ! 私十六歳なんだけど⁉」


 「あ、同い年なんですね。嬉しいです」


 「コッチは嬉しくないわよ!」


 「そうですか、残念。しかし……どうしてそう張り合うんですか? 別に私はクロウさんのことを普通の人だとおもっていますが?」


 「ハァッ⁉ 私がコイツのこと好きって言ってんの⁉」


 「好きなんですね、それは良いことです」


 「え」


 「それにしてもクロウさんとキーラさんは、どうして怒鳴り合うんですか? 単純に仲が良いからですか? それとも支え合いたいから?」


 一瞬の隙を付き、最後のチキンを頬張ったマリアンヌは水を一口飲み、


 「なら喧嘩はしない方が宜しいかと。偶にならいいですけどね」


 椅子から立ち上がったダァトへ視線を向けた。


 「ダァトさん」


 「ん?」


 「ギルド、行くんですよね」


 「まぁな、お前も行ってみるか?」


 「はい、どんな場所か見ておきたいので。ダリ……アリエルさんも御一緒にどうですか?」


 「私も誘ってくれるの? 優しいのね、凄く嬉しいけど……用事を思い出したからまた後でね? ありがとう、マリア」


 「此方こそ、色々とお世話になりました。ありがとうございます」


 親指サイズの水晶をウエイトレスへ手渡し、会計を済ませたダァトは「じゃぁ、また明日なアリエル」プレートを弄りながら酒場の扉を開ける。


 「あの、ダァトさん、何処に」


 「あぁ? ギルドに決まってんだろ、話し聞いてたか? 安心しな、コレを提げてる限り無碍には扱えねぇだろうさ、俺をよ」


 「……だといいですけど」


 「心配するなよ、一応奥の手も考えてるし、どうとでもなる」


 眉間に皺を寄せるクロウとは別にダァトは笑い、彼の後を追うようにマリアンヌが隣を歩く。


 「……信じられる? アイツ」


 「……どうだろ、分からない。けど……嘘を吐くような人とも思えない。キーラ」


 「……」


 「もし何かあったら……ううん、ごめん。もう少しだけ頑張ってみよう。僕達も」


 「……アンタは何時も頑張ってるじゃい。クロウ」


 頷き合い、二人の後を急ぎ足で追ったキーラとクロウは、都市の生温い風を頬に浴びた。


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