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【第7章 : 星を継ぐものたち】



古文書――“Ἀλφαίανοーアルフェアノ”


 それを手にしたミサキ・アリアの小さな背中が、かすかに震えていた。


そっとナオヤが手を握る。


 その表紙に指先をそっと触れると、胸の奥に柔らかな波が広がった。


ナオヤに見守られながらミサキは表紙をめくる。


―――Ἀστήρ τὰς ψυχὰςσυνδέει.


 アルフェアノに記されていた最初の古代文字の一節だった。

意味はわからずとも、その音の響きだけが、なぜか懐かしく、心に引っかかる。


「……………あれ?」


ミサキの唇は無意識に動いていた。


「!! おまえ読めるの?」


隣にいたナオヤが、ミサキの小さな呟きに気づいた。


「え?」ミサキは首を傾げながら言った。


「なんか、この文字……読める、気がする」。


 ナオヤは目を丸くした。

「え、マジで? 何語だよ、これ」


 ミサキは古代文字の一節をなぞりながら、ゆっくりと声に出した。


「アス…テール…ター…ス プ シュ カース… スン デエイ……」


 ナオヤは驚愕の表情でミサキを見つめた。

「おいおい、本当に読めてるじゃないか… そんな言葉、初めて聞いたぞ!」


 ミサキ自身も、なぜ読めるのかわからなかった。

ただ、文字を見た瞬間、頭の中にその音が流れ込んできたのだ。


それはまるで、 以前から知っていた言葉を思い出したかのような、不思議な感覚だった。


―――Ἐγήγερται ἡ ὥρα.


 2ページ目の文字も、同じように頭の中で響いた。


意味はまだ掴めない。けれど、その言葉の感情的な響きが、胸の奥に小さな波紋を広げていく。


「……エ ゲー ゲル…タイ エー ホーラ……」


再び、ミサキが音にすると、ナオヤは信じられないといった表情で言葉を失った。


「鳥肌立ってきた……何なんだよ、一体……」


ミサキはアルフェアノに導かれるように、次のページをそっと開いた。


──Ὄναρ ὄνομα καλεῖ, σκιὰ κινεῖται.

(オナル オノマ カレイ スキアー キネイタイ)


 次は声に出さずとも、文字のひとつひとつが心に流れ込んでくる。


そして、その意味も、なぜか理解できた。


「……夢は 名を呼び、 祈りの 影が 動く……」自然と、その言葉が口をついて出た。


 ナオヤは息を呑んだ「今、意味までわかったのか?」


 ミサキはゆっくりと頷いた。


「うん。はっきりと――知ってる、って感覚?」


自分でもうまく説明できない。


でも、それは翻訳や知識によるものではない。

もっと、根源的な何か。


――魂そのものが覚えているかのような、確信。



Ὄναρ μαντεύεται τὴν ῥίζαν τῆς ψυχῆς.


 次もまるで当たり前のように、ミサキの胸に直接流れ込んできた。

その言葉が持つ、神秘的な力のようなものを感じた。


「……オナル マンテュエタイ テン リザン テース プシュケース……」


 ミサキが聞きなれない音を発すると、ナオヤは驚いて喉を鳴らした。


「もう勘弁してくれ……本当に、何が起きてるんだよ……」


 ミサキの指が、ひとりでにページをなぞる。そこに綴られた古代の言葉たちが、まるで心の奥から湧き上がるように――音もなく染み込んでくる。


「……わかる。これは……夢は語れり、魂の根源……」声は微かだったが、確かな実感を帯びていた。


 隣にいたナオヤは、その様子をただ息を呑んで見つめるしかなかった。


「ミサキ……全部、読めるのか……?」


ミサキはゆっくりと頷いた。


「うん。何故かはわからないけど――やっぱり知ってる、って感覚」


徐々に確信に変わってくる。


 そのとき、ナオヤの耳の奥にかすかな音が響いた。


声にもならない囁きのような気配。


(これって……何だ?)胸の奥が、わずかに震える。


ナオヤは、こめかみに手を当て少し辛そうに眉間を寄せていた。


 ミサキはナオヤを気にかけながら静かにページを閉じた。


 アルフェアノの表紙は、まるで鼓動するように温かかった。


「きっと、これは……ワタシたちに何か訴えかけてる気がするの。あなたの耳鳴りとも何か関係があるのかも」


「え?オレも……?」

ナオヤはまだ戸惑いながらも、ミサキの真剣な瞳に何も言い返せなかった。


(戻ってから、もっとじっくり調べてみないと…)


 ミサキの中で何かが芽生えつつある。きっと自分達は、もう後戻りは出来ないのだとも思った。



 ━━✦━━



 その頃、ドウジンは神秘的な光を湛えるミテラの前に、一人静かに佇んでいた。


 コアの奥深く、 絶対的な静寂の中で、淡い光のゆらぎだけが、彼の長いシルエットをゆっくりと揺らしている。


『……あの子たちが君の祈りを受け継ごうとしているよ…導いているのは君なんだろ?』

思念で語り掛ける。


 眠る神秘的な存在――その神聖な核に在る魂の残響が、まるで彼の言葉に答えるかのように、微かに震えた。


 ミテラはまた眠っているように淡く温かな光を一定のリズムで刻んでいた。


 ドウジンは深く息を吸い込み、まるで安堵と微かな悲しみが入り混じったような、複雑な微笑みを浮かべた。

その横顔には、一瞬の、拭いきれない寂しさが宿っていた。




 ギルフェルドもまた、人気のない監視用の室で、古代データが記録された端末の波形を、一人静かに凝視していた。


共鳴値は、危険なほど臨界点に近づいている 。


「……やはり、導かれたか」


 古文書の“アルフェアノ”が開かれるその時、それはいにしえの“記録”が、再び強く息吹を取り戻す兆候。


「ならば、我々の受け継ぐ使命は──その聖なる灯火が二度と消えることのないよう、命を懸けて守り抜くこと」そう誓いを込めギルフェルドは静かに呟いた。




 ━━✦━━




自室に戻ったミサキは、自分のメモリーに写したアルフェアノの内容を忘れないようにと、日記帳を開いた。


 古代の断片を一文ずつ丁寧に書き写しながら、まるで遠い昔から知っていたかのように自然と浮かぶ読み仮名と意味を、1文づつページに記していく。


Ἀστήρ τὰς ψυχὰς συνδέει.

(アステール タース プシュカース スンデエイ)

――星は、魂を繋ぐ


 その古代文字を追うミサキの心には説明のつかない静けさが広がっていた。

ミサキの脳裏に、石の床に浮かぶ古めかしい紋様が短くフラッシュバックした。


Ἐγήγερται ἡ ὥρα.

(エゲーゲルタイ エー ホーラ)

――目覚めの時来たり


 古代の言葉が、まるでカノジョ自身の過去の叫びのように響く。

視界の隅に、かすかに赤い光が揺れる。


Ὄναρ ὄνομα καλεῖ, σκιὰ κινεῖται.

(オナル オノマ カレイ スキアー キネイタイ)

──夢は名を呼び、祈りの影が動く


 この古代の一文を書き写した時、ミサキの胸には、切なくも温かい感情が込み上げてきた。

それは、遠い昔に会っていた大切な誰かを想うような、特別な感情だった。


 言葉を追うたびに、心に深く「懐かしい」という感覚が染み込んでくる。


「これは…夢を辿ってる?…ううん、逆だわ、この一節一節が夢の導きみたいな文になってるのよ…」


 ミサキは驚きを隠せないまま、思わずページを閉じ、夜の仮想空の向こうに浮かぶ、蒼く輝くガイアへ不安げに視線を投げた。


“ワタシは、一体 、何に導かれようとしているの……?”

ミサキは、ナオヤの帰りを待ちながら独り、夢を思い出していた。




 それから数日が過ぎ、久しぶりの二人の休日を過ごしていた。


「ミサキ、最近……夢はどうだ?やっぱりあの古文書の内容にリンクするのか?」


あの日、帰ってから調べていたことはナオヤにも話していた。


 ミサキはためらいなく、ただ微かに 不安そうな表情を浮かべてから頷いた。 


「見てる……ほぼ毎晩」


ナオヤは少し躊躇しながらも言葉を継ぐ。


「……オレさ、ここんとこ耳鳴りが酷くなることがあって……」


「え?」ミサキは心配そうにカレの顔を見つめた。


「寝てる間にも……何かの音が、頭の中に響くような……しかも、あれ以来なんだ。 キミと“記録の間”に入ってから」


「……」ふたりは同時に言葉を失う。


 だが、その沈黙の中に、 目に見えない、けれど確かに感じられる “繋がり”が、静かに芽吹いている気がした。




 ━━✦━━



「──これは、“祈りの地”を守る者の記録」


アルフェアノの続きには、古代文字でそう記されていた。


“光が裂けし時、星の器は割れ、記憶は散る。けれど魂は繋がれ、祈りはかたちを変えて残る”


 読み進めるたびに、ミサキの頭の中には、かつて夢で見た温かい“ねぇさま”の姿が、 ますます鮮明に重なっていった。


──あの人の名前はいったい…

(そうか!あの時‘’ねぇさま‘’に手を引かれて行った神殿が、記録の間に似てるんだわ!) 


 名を思い出すことはまだできなかったが、ミサキは確信していた。

“あの人の温かい祈りが、 時を超えて、今の自分に確かに届いているんだ”と…。




そして――。

記された祈りの欠片は、まだ全てが明かされたわけではなかった。

アルフェアノが静かに脈打つたび、遠い記憶の扉がひとつずつ開き始める。

月の裏側に隠された“欠けた記憶”へと、

ミサキとナオヤ、ふたりの魂は静かに歩み寄ろうとしていた。




―第7章、閉じ。


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