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第二部 【過去編 第5章:静かなる決断】



 コポっ… コボボっ…



 ド…クン… ドクン… ドクン…



 深く暗いみな底より、何かの鼓動に合わせて気泡が海面へと登ってゆく…


 誰も近づくことができるはずもない深海から

 静かに、だが確かにそこにあった…もの…

 悠久の時を経て、命が芽吹き始めていた。


 それは、とても暗く、哀しく、孤独な感情の、ようなもの


 その者は、今まさに魂の欠片を、受け止められる器を物色していた…





 コノコエガ…キコエシモノヨ…


 ワレノ…バイタイト…ナッテ…


 ワレニ…シタガウノダ…


 ソノ…クルシミカラ…カイホウ…サレ…タクハ ナイカ…





 ━━✦━━



 夢にうなされて目が覚めた。

(…ここは……)

 少しずつ意識がはっきりしてくると、自室でないことがわかった。


 私は、どのくらい眠っていたのだろうか……

 無機質な部屋の天井が、少しぼやけて見える。


 頭だけ右に傾けると、ガラス張りの向こうに、ルーベスとレノヴァンが見えた。

 声は聞こえないが、言い争っているようだ。




「兄上は、ドミネン様をどうするおつもりですか!」


 ルーベスが兄レノヴァンに詰め寄る。


「ドミネン様のお身体には、明確な異常は見られなかった。

 問題なのは、精神への影響――干渉の兆候だ。


 最近、城下の民の中に“インフラックス”と呼ばれる干渉信号のようなものに反応し、

 高熱の後に突発的な奇怪な行動を取る者が現れているという報告が複数上がっている。


 ドミネン様も、その影響を受けた可能性が高い。

 だが、今の我々の脳科学では、この“インフラックス”の正体を解明できていない。


 よって、しばらくのあいだ、ここで経過を観察させていただく。

 この処置については、すでに陛下の許可を頂いている。」


「そんな……」


「心配するな。決して悪いようにはしない。こちらでゆっくりしていただくと捉えるが良い。」


 ルーベスは、そのまま黙り込み、拳を握り締めて身体を震わせていた。

 側で仕える者として、自分の不甲斐なさを痛感しているのだろう。


「しばらくは、ドミネン様を一人にしないよう、側に仕えているんだ。」


「……承知しました。」


「!!」


 ルーベスが、ガラスの向こうのドミネンがこちらを見ていることに気がつく。


「ドミネン様! 兄上、ドミネン様が気が付かれた!」


 ガラスの向こう、ドミネンがこちらをじっと見つめていた。


「……気がつかれたか。」


「兄上! 早く開けてください!」


 ドミネンが寝かされている部屋へは、レノヴァンと他数人の研究チームの者しか開錠できない仕組みになっている。


「ルーベス、慌てるな。そう焦らずとも良い。」


 ルーベスとは対照的に、落ち着いた動作で開錠するレノヴァン。

 その横で、ルーベスはひとりやきもきしていた。


 開錠とともに、ルーベスがドミネンの元へ駆け寄る。


「ドミネン様……」


 目を潤ませながら、ドミネンが寝かされているガラスを嵌め込んだ繭まゆのような装置に縋りつく。


「聞こえますか? ドミネン様……」


 こくり、とドミネンがうなずいた。


「あ、兄上、ドミネン様のご容体は……」


 ルーベスの焦るような声に、レノヴァンは無言のまま、

 装置からドミネンに関するあらゆる情報を読み取っていた。


「兄上、この繭のようなものは開けられないのですか!」


「ルーベス、落ち着きなさい。まだしばらくは、ドミネン様にはこちらに入っていただく必要がある。」


「そんな……せっかく意識が戻ったのに……」


「案ずるな、ルーベス。この繭は、ドミネン様をあらゆる干渉から守るものなのだ。」


「干渉から守る? それはいったいどういう物なんですか……」


 二人の会話が微かに漏れ聞こえてくる。

 レノヴァンは、ルーベスにどう説明すれば納得するか、考えあぐねているようだった。


 声を出そうとしたが、長く眠りについていたせいか、声が出ない。


 ――あんなに取り乱すルーベスを見るのは初めてな気がする。


 それだけ心配をかけているのだな……


 この奇妙な揺らぎも、この繭の中では、不思議と静まっていく。これさえあれば……この忌まわしき不調の原因を、私自身の手で突き止められるかもしれない。父上や兄上にも、証明してみせなければ……


 そのまま、再び意識が遠のいていった。


「兄上! ドミネン様が……また意識を!」


「だから落ち着けと言っている。ルーベス、ドミネン様は眠られただけだ。」


 ルーベスは、ほっと安心したように息を吐いた。


「兄上、私にもわかるように説明してください。この装置はいったい何なのですか? なぜドミネン様が……」


 気持ちを滲ませて、ルーベスがレノヴァンに詰め寄る。


「おまえには明かしていなかったが……実は、この《魂安の繭(ケリュキオン)》は、ドミネン様のご意志で研究が始まったのだ。」


 ルーベスは驚きを隠せない様子で、こちらを見ていた。


 その戸惑いも無理はない。側仕えという立場は、主の一番近くに付き従い、何事も理解していると信じて疑わないものだからだ。


「ルーベス、そのように思い詰めるな。ドミネン様とて、理由もなく臥せっていたわけではない。


 まずはこの《魂安の繭こんあんのまゆ》について語る前に、ドミネン様の想いをおまえに話しておこう。」


 そう言って、レノヴァンは静かに語り始めた。


「おまえも知ってのとおり、ドミネン様は幼少期よりお身体があまり強くなく、体術や剣術に励まれるよりも、書室に籠もってあらゆる文献を読み、知識を蓄えることでこの国の役に立とうと努力してこられた。」


「はい。存じております。」


「様々な書物や文献を読み解くうちに、ある“仮説”を立てられたのだ。」


「仮説……?」


 黙って、レノヴァンはうなずいた。


「かつてこの国でも、病に臥せれば司祭が祝詞を捧げ、癒しの力を天に願っていた。それが“医術”と呼ばれていた時代だ。


 天災も人災も、争いごとに至るまで、神の御告げとされてきた時代があった。


“人”は、愚かな生き物なのだ。文明が栄え、発展しても、最後には人同士の争いで自らを滅ぼしてきた。


 ドミネン様は、その事をとても熱心に調べられていて、古い文献に行き着かれた。


 ──古来、この星に衝突したとされる小惑星。


 それが放った何らかの“干渉波”が、人の精神に微細な影響を及ぼし続けているのではないか、という説だ。


 特に、自我の輪郭がまだ曖昧な者や、強い欲望を抱える者ほどその影響を受けやすく、やがて自己の制御を失い、周囲を支配しようとする衝動に駆られていく……


 ドミネン様は、そうした事例を古代からの記録に重ね合わせながら、“何か”が周期的に人の魂を揺さぶってきたのではないかと考えられたのだ。


 そして、この仮説をもとに、ひとつの“保護構想”を立てられた。


 ──仮にその“干渉”が魂に触れるものであるとすれば、肉体の外側を守るだけでは意味がない。


 必要なのは、魂そのものを静め、安定させ、外からの波に“共鳴”させない器。


 ……それが、この《魂安の繭(ケリュキオン)》の原型構想だったのだ。」


「でも兄上、なぜドミネン様はそんな仮説を立てることができたのですか? 私にもわかるように説明してください! どうしてドミネン様がこんなものに……!」


(レノヴァンは、一瞬だけ、目を伏せた。どう説明すれば、この純粋な忠誠心を持つ弟を、絶望させずに済むだろうか。科学の限界という、残酷な真実を突きつけずに済むだろうか。だが、それももう、時間の問題なのかもしれない)

 ──そのとき、静かに扉が開く。


「……その件については、私が話そう」


(振り向くルーベスとレノヴァン)

 ドルトン王太子が、重い足取りで部屋へと入ってきた。


「……ドミネンから、相談を受けていたのは、私だ」


「ドルトン様……」


「ある日、ドミネンは偶然、書庫の奥にある隠し扉を見つけた。

 その奥に、王家に封印された記録──《セファリオス記録》と呼ばれる禁忌の書が眠っていたのだ」


「禁忌の書…ですか?」


「そうだ。

 その書には、“空から来た黒き星”が人の理性を狂わせたという記述があった。

 ドミネンは、それをただの神話としては捉えなかった。

 むしろそこに、今もなお続いている“何かの影響”があるのではと、真剣に考え始めた」


 ドルトンは一度、息を吐く。


「私は最初、信じきることができなかった。だが、

 あいつの目には確かな決意があった。

 それで私は……レノヴァンに頼んだんだ。

“ドミネンの仮説を、形にしてやってくれ”と」


 レノヴァンは無言で頷く。


「こうして、《魂安の繭(ケリュキオン)》の研究が始まった。

 まだ完成には程遠い、試作の段階にすぎない。

 だが今、こうして彼がこの繭に守られているのは……

 あの日の問いかけが、確かにあったからだ」


 ドルトンとレノヴァンは、繭の中で静かに眠る若き王子の姿を見つめていた。

 その眼差しの奥には、言葉にはできない想いが宿っていた。


 何が正しかったのか、まだ誰にもわからない。

 だが少なくとも今は、これ以上、あの優しい心が侵されることのないようにと願っていた。


《魂安の繭》はまだ未完成であり、確証もなかった。

 それでも兄として、信じたかった。弟が見ようとした“何か”を。


「……あとは、任せたぞ」

 ドルトンが静かに告げ、部屋を後にする。


 静寂が戻った室内に、再び繭の微かな脈動音だけが響いていた。



 ━━✦━━



 ――その頃、王宮の一角では。

 この出来事をまだ知らぬもうひとりの少年が、苛立ちと不安の狭間で、心を揺らしていた。



「カリム!」


 居室からドウジンの声がローカに響く。

 その声を聞いて慌ててカリムが駆けつける。


「はっ、ドウジン殿下 どうなさいました」


「ドミネン兄上の容態はどうなんだ!」


「はい。それに関しましては、我長兄のレノヴァンの研究室に運ばれたことまでは、解っておりますが、その後の詳細までは、わたくしのところにも伝わってきておりません。ただ、一度意識は取り戻され、回復に向かっていると兄ルーベスから聞いております。」


「一度?では、また意識を無くされたということか!」


「詳細まではわたくしには、教えて貰えず…」


「…役に立たないなおまえは…」


「申し訳ございません。」


(違う、カリムを責めたいわけじゃない。ただ、どうしようもなく、もどかしいのだ。幼い頃、母の記憶がない私に、いつも優しく本を読んでくれたのは兄上だった。熱を出した夜は、そっと手を握ってくれていた。いつも私を守ってくれていた兄上が、今、苦しんでいるのに……私は、こんなところで待つことしかできないのか!)


「もういい!レノヴァンの研究室なら私にもわかる、行くぞ!」


「お待ちください!ドウジン様」

 ドウジンを引き止めようとカリムが前に周りドウジンの両肩を押さえる。


「離せ!カリム!」

 だが、カリムの手は真剣で、彼の忠誠心を拒絶できなかった。


「ドウジン様は、近寄らせるなとドルトン様から逢瀬つかっております。」


「なんだ!それは…また俺だけ蚊帳の外か!」


 その時、背後から声がした。


「ドウジン殿下」

 とても重々しく威厳のある声だった。


 ドウジンが振り替えると遥かに見上げる形で立っている男がいた。


 フェルド家の当主ゼフィド•ギル=フェルドだった。


 ドウジンは、圧倒され、一歩後方へたじろいだ。


 スッと、ドウジンの前に片膝をつき、拝礼する。

 慌ててカリムもゼフィドに続き膝を折る。


「聡明なるドウジン殿下。

 我が息子達の配慮が足りず、申し訳ございません。ですが、どうかわたくしに免じて、ここは、ドルトン様のお言い付けを聞いていただけませぬか」


 ゼフィドは、今まで、ドウジンに膝を折るようなことはした事がなかった。


 セリオン国王の側近として、またフェルド家の当主として、激務に終われる身、ほぼ口を聞いた事が無かった。それが今、ドウジンの為に膝を折り、最上級の敬意をもって願い出ている。


 そんな姿にドウジンは、冷静を取り戻し一息吐いて、彼に答えた。


「ゼフィド•ギル=フェルド

 わかった、今は兄上の命に従おう、だが、私にもできることがあるのなら、速やかにカリムを通じ伝えて欲しい」


「ありがとうございます。

 ドウジン様、必ずや殿下が”動くべき時”が参ります。

 それまでは、今しばらくご辛抱を…」


 そう言って深々と頭を下げ、ドウジンの返事を待つ


「わかった、他ならぬおまえの頼みだ、聞き入れよう… 後はカリムと話す。父上のところに戻るが良い」


「ありがとうございます。では、失礼致します。」


 ゼフィドは、そう言って立ち上がり、カリムの方を一瞥しただけでその場を後にして行った。


「ふーっ、こんなに長くおまえの父親と話したのは初めてだ、私のことなど父上同様、何も気にかける存在にないと思っているのだと思っていた…」


 ドウジンがゼフィドが立ち去った方向を見ながら呟く


「ドウジン様…」


「すまなったな、カリム。私はやはりまだまだ子ども、なのだな…」


「ドウジン様、そんなことは…」


「いいんだカリム。戻ろう…」


 ドウジンは、ゼフィドの言葉の重みを噛み締めていた。

 自分が成すべき事をちゃんと見極める力をつけようと


 そして最後にゼフィドが言った”動くべき時”に備えようと決意を胸に刻んだのだった。


自室に戻る回廊を歩きながら、ドウジンは無意識に、腰に差した母の短刀の柄に触れていた。すると、ほんの一瞬、その紋章が、彼の決意に応えるように、微かに、温かい熱を帯びたような気がした。気のせいか、と首を振る。だが、その確かな熱の感触だけが、掌の中に、静かに残っていた。





 第二部ー第5章、閉じ。



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