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第五節 お嬢様と最期の夜

 私がカミル辺境伯様のもとへと参じ、事情をすべてお伝えして都へ戻ったときには、すでにすべてが手遅れでございました。


 お嬢様はすでに囚われの身となっておられ、その処分も形式としてではなく、『決定事項』として確定していたのでございます。罪状は、国家反逆罪・国家転覆罪・国家騒乱罪・王家不敬罪・王家侮辱罪……重きものから軽きものまで、ありとあらゆる罪が列挙されておりました。


 そして最終的に下された判決は、『死罪』。しかも、公衆の面前での断頭台にて……。それが、お嬢様に課せられた、あまりにも過酷な『終わり』でございました。


 誰が見ても不当な裁きでございます。明確な証拠など、どこにも存在いたしません。けれど、真実を知るこの私の証言には、何ひとつ『価値』が認められなかった。貴族の一語は、メイド百の声にも勝る。その現実に、私はただ立ち尽くすしかなかったのです。


 巷では、国家に仇なす『悪逆令嬢』などと、お嬢様は嘲笑と共に呼ばれておりました。風評とは申せ、あまりに酷うございます。


 お前たちは、一体お嬢様の何を知っているのか!


 どれほど平等を愛し、どれほど清らかなお心を持った方であったか……。


 何一つ知りもせず、知ろうともしなかったくせに!


 流されるまま、信じたいものだけを鵜呑みにし、疑いもせず、与えられた声を真実と崇める、何と愚かで、醜く、哀れな豚共か!


 お嬢様は、ただ皆を救いたかったのです。


 不正にまみれた政治を、少しでも良くしようと、あの方は、『あなた方』の幸福のために声を上げていたのです。


 それを。


 それすらも踏みにじって、十字架にかけて悦に浸るとは!


 嗚呼、民衆とはかくも、妬みと臆病と欲で動く、愚鈍なる群れなのでしょうか!



     ◇



 その夜……。


 私とカミル辺境伯様は、伝手を頼ってお嬢様の囚われている牢獄へと密かに向かいました。もちろん、お嬢様をお救いするためでございます。


 そして、鉄格子の向こうにそのお姿を見つけた瞬間、私の頬には、耐えがたい涙がとめどなく溢れておりました。


 かつては絹糸のように艶やかだった髪は、ぼさぼさに縮れ、陶器のようだったお肌は荒れ、かさつき、豊かだったお身体は骨ばかりが目につくほど、やせ細っておられました。


「お嬢様……!」


 思わず声が漏れておりました。静かに顔をこちらへ向けられたお嬢様の眼差しからは、かつての生気が失われているように見えました。それでも、私の姿を認めると、わずかに口元がほころびました。


「……マリア? 来て……くれたのね」


 声は弱く掠れていましたが、確かにいつものあの優しい響きでした。


「クラリッサ! 大丈夫か! 俺がわかるか!」


 続いてカミル様が鉄格子に手を掛け声を張りました。その姿を目にされた瞬間……お嬢様の目から、大粒の涙がぽろぽろと溢れ落ちました。言葉もなく、ただその涙がすべてを物語っているようでした。


「ああ……カミル……! よかった、あなたが無事で……最期に会えて本当に……よかったわ」


「何を言ってるんだ、クラリッサ! さあ、ここから逃げよう! 俺の領地にさえ入れば、あとは何とかなる! さあ、手を!」


 カミル様が鉄格子の隙間から、必死にその手を差し伸べられました。


 けれど、お嬢様はその手を取られませんでした。かすかに微笑みながら、首を静かに横に振られたのです。


「……なぜだ、クラリッサ! こんな濡れ衣で、死ぬなんて馬鹿げている! 俺と一緒に逃げよう! 二人で暮らそう!」


 カミル様の声は切羽詰まっておられました。


「……それは、できませんわ。カミル」


 その声は穏やかで、そしてどこか遠くを見ておられるようでした。


「いずれ、私とあなたの仲は世に知られることになるでしょう。その時、私を匿ったと疑われれば、王家はたとえ証がなくとも、あなたの領地に兵を差し向けるでしょう」


「それがどうした! 君のためならば、俺は何だって!」


「あなたは、よいのかもしれません。でも……領地に生きる民草たちには、何の罪もありません。関わりなき者を巻き込み、命を奪わせるわけにはいきませんの、カミル」


「……っく、それは……」


 カミル様は唇を噛み言葉を失われました。お嬢様は、なおも穏やかなまなざしで彼を見つめておられました。


 民を守るために自らを棄てる。それが政治というものならば。あの方は、最期まで志の人でおられたのです。


「……ね? 貴方は私を選んではいけないのよ。……カミル。貴方は、貴方の幸せを見つけてちょうだい。私のことなんて……忘れて、どうか、幸せになってちょうだい。……お願いだから」


「……クラリッサ……っ!」


 カミル様のお顔は、涙と嗚咽でぐしゃぐしゃに崩れておりました。両の掌を鉄格子に縋らせたまま、声にならぬ声を漏らしておいででした。


 けれどお嬢様は、そんなカミル様を、まるで幼子をあやすような穏やかな眼差しで、静かに見守っておられました。



     ◇



 ああ、神さま……。

 なぜ、どうして、あなたはこのような仕打ちをなさるのですか。


 お嬢様も、カミル様も。


 あの方々は、心から人として優しく、美しく、尊くあられるのに……。


 そんな方々に死を与え、己の保身と妬みばかりにまみれた下劣な人間どもに、生を許すのですか。


 あまりに、理不尽ではありませんか。


 この世界には、お嬢様のような方が必要なのです。


 あの方なら、きっと。


 きっと、この国を、民を、未来を……導いてくださったはずなのです。


 なぜ……なぜ、その道を奪うのですか!


 ……ならば。


 私は、神を拒みます。


 あなたの定めた運命など、滑稽な児戯に過ぎません。


 私はこの手で罪を犯しましょう。


 ただ、お嬢様の幸せのためだけの、この私だけの罪を。


 そして、この罪だけは。


 誰にも、決して、赦させはしない。


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