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第4章

第4章

第1項|「その風は、真実を撫でていく」


「舞台」

物語の舞台は、増蔵市まくらしという地方都市の一角。古びた商店街の端に建つ電気店「羽根電器はねでんき」は、昔ながらのやり方で家電を扱っているが、その裏ではある秘密を抱えていた。


「登場人物(抜粋)」

しゅう:25歳の青年。無口で不器用だがまっすぐな性格。派遣仕事をしながら一人暮らし中。


羽根蟻はねあり:68歳の電気店店主。頑固で人を信じない性格。裏では廃棄家電の無断転売をしている。


第1節|夏の夕暮れ


夏の夕暮れ、柊は羽根電器で「展示品につき激安特価」の扇風機を購入する。

しかし帰宅して動作確認すると、スイッチを入れても反応せず、内部の配線もむき出し。明らかに不良品だった。


翌日、柊は返品・交換を求めて再び羽根電器を訪れるが、店主・羽根蟻はそれを一蹴する。

「展示品だから保証はない」と強く突っぱねられ、柊は何も言い返せずに「……もういいです」と店を後にする。


第2節|思いと雨と


その日の夕方。

雨が降る中、柊が歩いていたのは再び羽根電器の前。

ふと視界の端に、小さな子猫が震えているのを見つけ、思わず手を伸ばした――


その瞬間、足元の濡れたタイルで滑り、身体ごと羽根電気のショーウィンドウに突っ込んでしまう。

砕け散るガラス、騒ぎ立つ通行人、そして呼ばれる警察と救急車。


事情聴取の場で、羽根蟻は告げる。

「こいつは昨日返品を断った客だ。報復でやったに決まってる」


柊は否定するが、防犯カメラの映像には「前かがみになってガラスへ突っ込む柊」の姿が映されており、子猫の姿は映っていなかった。

警察は器物損壊の疑いで書類送検、柊は立件されることとなる。


第3節|弁護士の仕事


国選弁護人として現れたのは、あかり


灯は、聖都東地区・花翁町で名を馳せる若き弁護士であり、花翁法律事務所の所長を務める女性だ。日本とアイルランドのハーフとして、異国の血を引く彼女は、冷静で論理的な思考で業界でも一目置かれる存在となった。しかし、彼女の現在の姿には、決して簡単には理解できない過去が隠されている。


かつて灯は、極優會の幹部として、その名を轟かせていた。裏社会で名を馳せ、冷徹な判断力と巧妙な策略をもって、数々の問題を解決してきた。組織内ではその存在感は絶大で、多くの部下からも信頼を寄せられていた。

しかし、次第に彼女の心に疑念が芽生える。暴力と犯罪に満ちた世界に身を置く中で、次第にその生き方に疑問を抱き、ついにはその世界を抜け出す決意を固めた。


極優會からの脱退後、灯は新たな道を歩み始める。法律という形で人々のために力を尽くすことを決意し、弁護士としての道を選んだ。

だが、その過去を完全に消し去ることはできず、彼女の冷徹で論理的な性格には、どこか組織の教えが色濃く残っている。今でも、彼女が直面する難解な案件に対して、時にはその過去の経験が活かされることもある。


冷静に淡々と資料を確認しながら、柊に語りかける。


「あなたの言い分を、事実として証明できる材料が必要です」


調査に乗り出した灯は、商店街の聞き込みを開始。


自転車屋の老婆が語る。

「あの羽根さんねえ、よく夜中に向こうの“家電パレス・マクラシ”の裏でゴソゴソしてるよ」


さらに、主婦のひとりが告げる。

「うちもあそこで照明買ったけど、点かなかった。返品?無理だったわよ」


そして灯は、羽根電器の裏口付近に設置された古い監視カメラの存在を発見する。


そこには――


廃棄された家電を物色し、ビニール袋に詰めて持ち去る羽根蟻の姿が映っていた。


第4節|法廷にて


裁判で羽根蟻は言い切る。


「絶対にわざとだ。俺が返品を断った直後にガラスを割りやがったんだ。因縁だよ!」


しかし灯は静かに立ち上がり、裏カメラの映像を再生する。


大型家電店の裏で、廃棄扇風機を拾い上げる羽根蟻の姿。


それは、「展示品」という名目で売るには、あまりに不自然な行動だった。


「これは、展示品ではありません。廃棄品を不正に持ち出し、客に売った。あなたの行為が問われるべきです」


灯の一言が、法廷の空気を変えた。


裁判官は最終的にこう言い渡す。


「被告人・柊の行為に、器物損壊の故意は認められない。店舗設備の瑕疵、ならびに販売形態の不正が確認される。よって、本件についての過失責任は成立しない」


――無罪。


第5節|「風と命と」


裁判後、川沿いの遊歩道を歩く柊。

夕暮れの光の中、小さな鳴き声が再び彼を呼び止める。


ミャッ


あの時の子猫だった。

汚れた毛並みのまま、まっすぐに彼の足元へ近づいてくる。


しゃがみこみ、そっとその小さな体を抱き上げる柊。

腕の中に収まったその命は、あの夜の記憶を優しく塗り替えていく。


後ろから灯が歩み寄り、静かに言葉を紡ぐ。


「あなたは、ただガラスを割ったんじゃない。命を守ったんです」


柊は、あたたかな風に吹かれながら、わずかに笑った。


風が吹く。

真夏の、静かで、確かな風だった。


第6節|「静かな捜査の始まり」


そして――数日後。


羽根電器の店舗裏。

羽根蟻が店を片づける姿に、二人の刑事が近づく。


「羽根蟻さんですね。家電パレスの廃棄物の持ち出しについて、いくつかお話を伺いたいのですが」


羽根蟻は、一瞬だけ手を止め、顔をこわばらせる。


それは静かで、しかし逃れられない“法の風”が、確かに吹き始めた合図だった。


第7節|終わりに……


事務所に戻った灯は、薄暗い照明のもとで静かに焼酎のロックを口に含む。


グラス越しに揺れる氷の音だけが、部屋の静けさを切り取っていた。


電子煙草を咥え、細く長い吐息を天井へと流す。

視線はふと、デスクの隅に置かれた小さなフォトフレームへと移る。


そこには――

かつて某国で、連邦最高裁判事として女性の権利拡大のために戦い続けた一人の女性の姿。


彼女の言葉が、静かに蘇る。


「ガラスの天井は、依然として高く、厚く存在する。

だが、いつか誰かが、私たちが思うよりも早く、それを打ち砕いてくれるだろう」


女性たちの闘いのバトンは、確かに未来へと手渡されている。


そしてここ、花翁町の片隅にある、小さな法律事務所の灯の中にも、その炎は息づいている。


第2項「消えた注文品」鉄真てつまそらの物語

第1節暁商店あかつきしょうてん


花翁町の商店街にある暁商店は、日用品を扱う老舗の雑貨店だ。ここには、町の人々が必要とするありとあらゆるものが並んでいる。石鹸、洗剤、文房具、鍋、雑貨……さらには、どこで手に入れたのか分からないようなちょっと珍しい品まで揃えている。


この店の店主が鉄真だ。

白髪を七三に整えた、痩せた体つきの男だが、その腕力は見かけによらず強靭で、店の奥から重い米俵を片手で担ぎ出すほどの力持ちだった。


「愛をお届けします」が口癖で、足腰の悪いお年寄りや、体が不自由な者には、自ら商品を届ける「出張販売」も行っている。


「商売人ってのはな、物を売るだけじゃねぇ。お客の生活を支えるのも仕事だろ」


そう言って、鉄真は今日も配達用の荷物を準備していた。


第2節|不可解な紛失


その日も鉄真は、いつも通り配達へ向かっていた。配達先のひとつは、常連の梅おばあさんの家。彼女は足が悪く、重い荷物を持てないため、鉄真が定期的に日用品を届けている。


しかし、いつも玄関先で待っているはずの梅の顔が、今日はどこか不安げだった。


「鉄真さん……すまないねぇ。荷物が届いてないんだよ」


鉄真の眉がピクリと動く。


「……届いてない?」


確かに、今朝、注文を受けたときに荷造りし、配達リストにもチェックを入れた。間違いなく、梅の荷物は自分の手で準備したはずだ。


「おかしいな……俺ァ、忘れるようなタチじゃねぇし」


鉄真は店のリストを見直し、配達の順番を思い返す。しかし、いくら考えても、途中で荷物を落とした覚えはない。


「まぁ一旦、もう一つ用意するよ」


そう言って、鉄真は店に戻って品物を再準備する。しかし、商店街の他の住人たちも、何やら同じような話をしていた。


「俺のところも、注文した洗剤が届いてないんだよ」

「さっき、商店街の裏で誰かがゴソゴソしてたよ」


何かがおかしい。鉄真は、ふと唇を噛みしめる。


 ……誰かが、うちの荷物を盗んでやがるな?


事件の匂いがする。鉄真は腕を組み、鋭い目つきで町を見回した。


第3節|彼の苦しみ


調査を進めていく中で、七福商会の藺草が情報を持ってくる。


「昨夜、商店街を歩いてたらね、夜中に子供が一人でうろついてたよ。何かを探してるようだったけど……まさか、泥棒じゃないよね?」


鉄真はピンときた。その少年は花翁団地、光安の隣部屋に住む母子家庭の息子、昊だった。


光安の部屋を訪ねると、彼はちょうど昊に勉強を教えていた。昊は10歳。今できることとして勉強を熱心にする子だったが、生活がまともにできない状況が続いていた。彼の母親は長い間病を患い、仕事ができず、家にはまともな収入がない。


鉄真は、商品の事を昊に問うた。昊はどうしていいかわからず、店の商品を盗むことしか思いつかなかった、と答える。


鉄真の怒声が響く。


「お前……本気で、これで母ちゃんを助けたつもりか!?盗みで手に入れたモンが、本当に母ちゃんを幸せにすると思ってんのか!?」


昊は肩を震わせる。


「ち、違う……違うけど……!」


「違うんだったら、なんで盗んだ!?腹が減ったのか!?寒かったのか!?それとも、誰かに頼るのが怖かったのか!?」


「……わかんなかった……どうすればよかったのか、わかんなかったんだよ!!!」


鉄真は、昊の頭をぐしゃりと鷲掴みにし、グッと抱え込む。


「恥ずかしいのはな、盗みを働いたことだろが……!!助けを求めることは、恥ずかしいことじゃねぇ!!!」


昊の目が大きく開く。


「俺はな、商売人だ。商売人ってのは、人を助けるためにいるんだ!!お前みたいなガキが腹を空かせてたら、俺はメシを届ける!寒いなら服を売る!人が困ってたら、それを助けるのが俺の仕事だ!!!」


「昊!だったら働け!!!堂々と自分の力で手に入れろ!!!それが出来るなら、お前はこの町の中に生きる仲間の一員だ!!!」


昊は涙を拭いながら、深く頷いた。


「……僕、働きたい……」


「よし、そしたらよぅ、明日からお前は暁商店の従業員だ!!バイト代はきっちり払う!その金で母ちゃんにメシ食わせて、薬を買え!!学校に行け!!」


第4節|新しい未来へ


翌日、暁商店の店先に、

小さなエプロンをつけた昊の姿があった。


「いらっしゃいませ!!!」


鉄真は、彼を見ながらフッと笑い、


「おう、これが本物の商売だ」


そう呟きながら、店の奥へと戻っていった。


第3項「花翁町のリアカー劇場」高田たかだ中吉なかよしの物語

第1節|ガラガラ


ガラガラ…

ガラガラガラ…


午後四時、花翁町の通りに車輪の音が響く。遠くから、ゆっくりと、だが確実に近づいてくるその音に、町の人々は顔を上げた。


「……あっ」

優愛が思わず声を漏らす。


「あぁ、あの音だなぁ…」

飽君は静かに頷き、腕を組んだまま音の方を見つめた。


ガラガラガラ…

「……田……んじゃ」

「……んだよ!……」


そしてその音は近づく——


ガラガラガラガラガラガラ!!!


「歩けねぇんだから、仕方ねぇだろ…」

「てめぇが飲み過ぎるからだろ!」


町の誰もが知る、

高田と中吉のやりとりが今日も響き渡る。


第2節|高田と中吉


リアカーを引いているのは、高田という男だ。70歳になった今も、背筋をピンと伸ばし、力強く車輪を引きずる姿はどこか職人の風格を感じさせる。

だが、その額には深い皺が刻まれ、ボサボサの白髪はまるで風に吹かれ続けた木のようだ。着ているのは、薄赤色の鳥柄の着物。長年着続けたせいか、色はすっかりくすんでしまっている。

首から下には無数のタトゥーが刻まれ、その過去を物語るが、本人はそれについて何も語らない。ただ一言、「これで終わったわ」と呟くのが口癖だった。


そんな高田のリアカーの上に、ふてぶてしく座っているのが中吉だ。75歳になるこの男は、どこでも自分の特等席を確保するのが得意で、今日もリアカーの上を玉座のように使っている。

ボサボサの白髪に長い白髭。着ているのは、昆虫柄が描かれた麻色の着物だが、すっかり色褪せてしまっている。酒をこよなく愛し、どこへ行くにも手には酒瓶。

町の誰もが知る酒好きで、今日もまた「これは始まり」と意味深な言葉を呟きながら、酒をあおっている。


そんな二人がリアカーと共に町を巡る時、

町の人々は「ああ、またか」と思うのだった。


第3節|七福商会の藺草との攻防


リアカーはまず、八百屋「七福商会」の前で止まった。


「おや、中吉さん。また飲んでるのかい?」

藺草が腕を組んで睨みつける。


「ワイの血の一部や…」

中吉がリアカーの上でふんぞり返ると、藺草はため息をついて、無言で大根をリアカーの荷台に乗せた。


「おい、なんか増えてるぞ!!」

高田が振り返って叫ぶ。


「ちゃんと野菜も食べなきゃダメだよ!特に中吉さん、酒ばっかりじゃなくて、栄養も摂んな!」


藺草は軽く怒ったように言いながら、さらにキャベツまで乗せる。


「誰が買うっちゅーねん!」


中吉が慌てて手を振るが、藺草は笑顔で「サービスだよ」と言い残し、店の奥へと戻っていった。


「くそっ、荷物が増えたわ…!」


高田はぼやきながら、再びリアカーを引っ張り始める。


第4節|鉄真の店、暁商店でのやりとり


次に二人が立ち寄ったのは、鉄真が営む日用品店、暁商店。


「いらっしゃいませぇ!あなたに愛をお届けします!」

鉄真が勢いよく声をかけると、高田は渋い顔でリアカーを停めた。


「酒売ってるか?」

中吉が即座に尋ねる。


「ここは日用品店やぞ!酒なんかあるわけ……いや、待てよ?」鉄真は店の奥をガサゴソと探り始め、何やら古びた瓶を持ち出した。


「これ、昭和時代の料理酒やけど、いるか?」


「料理酒!?ワイは飲む為の酒が欲しいんや!」


「一緒やろ、アルコール入っとるし。」

「ちゃうわ!!」


「どうせ酒飲むなら、リアカーにエンジンつけて酒屋まで直行できるようにしたらどうや?」

鉄真が冗談めかして言うと、中吉の目が輝いた。


「おぉ!ええなそれ!いくらや?」


「てめぇが歩けば解決するんだよ!!」

高田が即座に怒鳴りつけ、リアカーをガタッと揺らす。


「おいおい、揺らすなって!ワイ、酔うやろ!!」

「酒飲んどる奴が乗り物酔いすんな!!」


町の人々が笑う中、再びリアカーは動き出した。


第5節|リアカーでの迷子事件


「ちょっと休憩や…ワイは疲れた…」

中吉がそう言うと、高田はため息をついてリアカーを適当に道端に止めた。


「勝手に寝てろ。オレは煙草でも吸ってくる。」

そう言って高田が少しその場を離れる。


…が、その直後だった。


近くにいた町の子供達が、面白がって中吉が乗ったリアカーを転がし始めたのだ。


「おいおいおいおい!!なんか動いとる!?」

中吉が目を覚ましたときには、すでにリアカーは猛スピードで坂道を下っていた。


「イエェェェェェイ!!」

「花翁リアカーレース開幕!!」


子どもたちが爆笑しながら、中吉を乗せたままのリアカーを押しまくる。


「やめろおおおお!ワイは乗り物酔いするんやぁぁ!!」


その様子を、飽君は腕を組んだまま無言で眺め、

優愛は困惑しながらも微笑んでいた。


第6節|パン屋「BLOOD & BREAD」へ


しばらくして、ようやくリアカーは落ち着きを取り戻し、二人はパン屋「BLOOD & BREAD」の前へとたどり着いた。


ガラガラガラガラ……ガラッ!


「パーーーーーーンをくれ!!」


高田が大声で叫ぶと、店先で腕を組んでいた飽君が呆れたように目を細めた。


「……高田……俺はパンは食わねぇよ…」


「うるせー!!リアカー引いてる俺の飯だよ!」


高田はそう言い捨てて店の中へ入っていく。


その間、中吉はリアカーの上から店の看板をじっと見つめ、しばらく考え込んでいたが、やがて不満そうに言った。


「酒は売ってねぇのか……」


「酒売ってるパン屋がどこにあんだよ!」


飽君が即座に突っ込むと、中吉は舌打ちをした。


「ちっ……」


そう言いながらも、どこからか取り出した酒瓶を手にし、リアカーの上でぐいっと喉を鳴らす。いったいどこで仕入れたのか、それは誰にもわからない。


再びガラガラとリアカーの車輪が音を立て始める。


「おい高田ぁ、今日はどこ行くんだぁ…?」


中吉が白髭を撫でながら間延びした声で問う。


「テメェを山に捨てに行くんだよ!!」


そのやりとりを聞きながら、飽君も優愛も苦笑いを浮かべる。まるで毎週恒例の光景のように、町の人々も特に気にすることなく、それぞれの日常を過ごしていた。


今日もまた、花翁町には変わらない午後の時間が流れていく。


第4項|「リムジン」


花翁堂の前に、一台の白く大きな高級車が静かに停まった。


ボディはまるで新雪のように輝き、無駄のない流線型のデザインがその高級感を際立たせている。エンジン音はほとんど聞こえず、まるで空間そのものが歪んだかのように、突然そこに現れたかのような存在感だった。


しかし、パン屋の中では、小麦とバターの香ばしい匂いが立ち込め、優愛と飽君は忙しく仕込みに没頭していた。


「くそっ、こっちの生地、まだ発酵が足りねぇな……」

「じゃあもうちょっと温度上げる?でも、焦ると失敗するわよ?」


二人はオーブンの前で真剣な表情を浮かべ、目の前の生地に集中している。パンの出来がすべて。今は外の世界など気にしている暇はない。


そんな彼らの知らぬ間に、白い高級車の後部座席のウインドが、ゆっくりと開き始めた——。


「BLOOD & BREAD……パン屋、ねぇ……」


車内に低く響く声。静かだが、

どこか嘲るような響きを持っていた。


「早い所、ぶっ潰さないとな……」


後部座席の影に隠れた人物が、煙草をくゆらせながら窓の外を見つめる。そこには、のどかにパンの香りが漂う小さな店、「BLOOD & BREAD」があった。


店内では、優愛とあきくんがパンを仕込みながら談笑している。彼らはまだ気づいていない。


車のエンジンが静かに唸りを上げ、ゆっくりと動き出す。


花翁堂の前に停まっていた白い高級車は、

まるで影を残すように静かに去っていった。


その痕跡を残すことなく、ただ、ほんのわずかな煙の匂いだけが、店の前に漂っていた──。


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