ホールの中心に行く途中、グレースは寄り道をしたいと言った。
寄り道とはいっても少しそれて音楽隊の方に行くだけであったが。
彼女は何かを耳打ちし、音楽隊もそれを了承した。
「何を言っていたんだ?」
「曲を曲調のゆっくりなものに変えてもらったのよ」
「なるほどね。じゃあ踊ろうか」
「そうね。ゆっくり踊りましょう」
俺たちは手を取り合って中心に行き、ゆっくりと踊り始める。
周りにも次々とペアが参入してき、踊りの輪に加わっていく。
グレースもベアトリーチェのカリナンほどではないが大きなダイヤのはめられたティアラを付けており、その美しさに多くのものが目を奪われる。
「ねぇルフレイ、ゆっくりと踊りながらでいいから話を聞いてくれないかしら?」
「構わないぞ。何の話だ?」
「実はね……助けてほしいの」
「え?」
ゆったりとした踊りの中に急に重たい話が投げ込まれ、俺は困惑する。
ただ幸いにも体は天使たちが動かしているので、ダンスは止まること無く続けられる。
俺は声のトーンを落としてグレースに聞いた。
「助けてほしいって、何についてだい?」
「婚約問題よ。軍務卿が『そろそろ結婚なさっては?』とか言って勝手にお見合い表を作って持ってきてね、結婚するように迫られているのよ。でも私はあなたと結婚したいし、その回避策としてこのパーティーを主催したの」
「……なるほど。因みに今の婚約候補に挙げられているのは誰なんだい?」
「軍務卿の孫のヴェルナー=コンラート、ゼーブリック王国王子のロイド=ゼーブリックよ。少なくとも後者は絶対に嫌だわ」
さっきは仲良く踊っているように見えたが、心のなかでは激しく憎悪していたらしい。
もう2,3年前のことではあるが、対抗戦でのあの行動はグレースのトラウマになり続けているようだ。
そんな彼女を放っておいて、少し申し訳ない気持ちがある。
「残りのヴェルナーも良い人なんだけれどね、あまり魅力がないのよ。でもそれを軍務卿の前で声を大にして言うことも出来ないしね……」
「ヴェルナーねぇ。その結婚にはタイムリミットはあるのか?」
「えぇ。私の20歳の誕生日を迎える10月25日までよ。それまでに考えてもらえないかしら? 私との婚約、結婚を」
グレースは踊りながら小声で懇願する。
軍務卿は悪い人ではないと思うが、軍務卿の孫であるヴェルナーと結婚すると大きな権力を持つことにつながるだろう。
そうなってしまうとルクスタントの政治的バランスが、ひいては三冠王国の政治的バランスが崩れかねない。
「……善処しよう、としか言えないな。政治的に考えると、同盟関係にあるとは言えど、俺の結婚候補としてはベアトリーチェのほうが上だろうと思う。ミトフェーラ側の国民はそれを望んでいるし、そうなれば2人以上の結婚になってしまい不可能だ」
「ベアトリーチェ様ね、なんとも強敵だわ。でも重婚は認められているからやろうと思えばできるわよ?」
「え? でもどの国家の国王もそんなことはやっていなくないか?」
「えぇ。でも貴族の重婚なんて普通にあるし、何なら重婚していない最近の王族のほうが変なのよ。まぁ愛人がいないのかと言われると謎だけれどもね」
重婚……日本人的価値観の俺にはあまり理解できないことだな。
だがグレースとの結婚は、なんだかバチバチし始めている気がしなくもない二重帝国と三冠王国の間の架け橋となるというメリットが存在する。
ここの間のつながりが強固になれば、それこそ大陸の安定がより図れると言えるだろう。
「少し時間がほしい……とは言っても今までさんざん時間を貰っていたはずなんだがな」
「戦争もあったせいでそんなことをゆっくり考える暇もなかったでしょう。仕方がないわ」
「すまない。もっと考えておくべきだった」
「大丈夫よ、そんなに自分を卑下することないわ。さぁ、もうすぐで曲が終わるわ。楽しかったわよ」
曲の終わりとともに俺たちはダンスを終了し、別れて自分の席に戻る。
椅子に座ったまま静かに考える俺を見て、オリビアたちは踊ろうとは言い出さなかった。
ベアトリーチェも何も言わず、白ワインを飲みながら俺の方を見つめている。
「何かあったのか?」
「……いや、特に」
「ふぅん。困ったならばいつでも相談してくると良いぞ?」
「ありがとう。その時はそうさせてもらうよ」
結局そのままダンスパーティーは終了し、俺たちは帰宅の途についた。
だが主催者であるグレースがいないことだけが、俺の心のなかに引っかかった。
◇
『〜〜〜〜!!』
「うん? ルフレイよ、今なにか聞こえなかったか?」
「そうか? 俺には何も……」
俺には何も聞こえないが、ベアトリーチェの耳には何かが聞こえたらしい。
後ろについて来ているメイドたちにも確認を取るが、やはり誰も聞こえていなかった。
俺たちは耳を澄まし、再度聞こえないか確認する。
『〜〜〜〜!! 〜〜!!』
「いや、やはり……ここじゃ!」
ベアトリーチェはそう言うと、彼女の横の扉を睨みつける。
だがその時、ゼーブリックの兵士が前に出てきて扉を塞いだ。
ベアトリーチェはその場を退くように抗議する。
「なんじゃ、邪魔じゃな。何かやましいことでもあるのか?」
「申し訳ございません。ここはロイド様のご意向により封鎖させていただいております。従われぬ場合は武力制圧も許可されております」
「ほう、いち兵卒ごときが妾に楯突くとは面白い」
「ひっ……!」
ベアトリーチェは怒りをあらわにして、翼を出現させる。
それに怖気付いた兵は、腰が抜けてしゃがみ込む。
よっぽど恐ろしかったのか、彼は粗相をしており当たりに生暖かい液体がにじみ始めた。
「粗相するぐらいであれば始めから楯突かなければ良いものを……見苦しい、退け」
「は、はいぃぃ……」
兵は慌てて股間を押さえながら走り出す。
俺たちは液体を踏まないようにと思って下を見たが、そこにもう液体はなかった。
イズンが気を利かせて消してくれたらしい。
「? まぁ良い。では行くぞっ!」
ベアトリーチェはドレスの中身が見えることもいとわずに、扉を蹴飛ばした。
衝撃で扉は枠から外れ、内側へと倒れる。
そして暗い部屋の中に俺たちは入り込んでいった。
「なぁ、良いじゃないか。挿れさせろよ。そろそろ限界なんだよ……ってなんだお前たち!」
「さぁ、お前こそ何なんじゃ? 何をしておる?」
「これは……ベアトリーチェ、お手柄だぞ」
暗い密室では、ロイドが下のズボンと下着を下ろした状態で、グレースにのしかかっていた。
気を利かせてイズンが中を明るくしてくれ、その光景を見たメイドたちは顔をそらす。
グレースも半分脱がされており、こちらを見て小さく震えていた。
「まて、これは違う!」
「何が違うだ……ロイド、貴様は対抗戦の時と同じ過ちを犯すのか!」
「お前に何がわかる! 女、グレースを愛する俺の気持ちが!」
「うるさい! 問答無用だ、くらえ! 1000カラットアタック!」
俺は手に持っていた王笏のダイヤ部分でロイドの頭を思いっきり殴打する。
鉄よりも硬いダイヤで叩かれたロイドの頭はめり込み、泡を吹いて倒れ込んだ。
その間にベアトリーチェがグレースの服を着せ、介抱する。
「ベアトリーチェが気づかなければ危なかったな」
「逆になぜ気づかん? 丸聞こえじゃったじゃろう?」
「いや、そんなことはなかったと思うが……」
「まぁ、妾自身が昔に似たようなことがあったからかもしれんな。それと重ねたのかもしれん」
ベアトリーチェはそう言って寂しく笑う。
彼女の過去に何があったのかはよく知らないが、当事者にしか分からないことなのかもしれない。
俺は倒れる下半身を露出させたロイドを、オリビアに携行させておいたカメラで写真に収め、後でオラニア大公に突きつける材料とした。
「あ、妾はまだ生娘じゃぞ? 安心せい」
「誰もそんなことを聞いていない……」
「そうか、まぁ知っておいて損はないじゃろう。それとグレースがショックで気絶したようじゃ」
「直ぐにベッドか何かに寝かせよう。あとあれは……身ぐるみを剥いで外にでも転がしておけ。おいそこの兵士! 少し手伝え!」
大慌てでグレースが運び込まれるところは、大勢の人間に見られることとなった。
また身ぐるみを剥がれて外に放り投げられたロイドも、人々の記憶に強烈に残ることとなる。
俺はベアトリーチェやメイドを伴い、グレースを看病する。