クラウスは指揮棒を持って音楽隊の前に立つ。
するとそのとき、突然部屋をまばゆい光が満たした。
俺達はその輝きに思わず目を閉じる。
「なんだ、何が起こったのだ!」
光が収まったので、俺は目を開く。
するとそこには、居ないはずの人間がいた。
彼らは皆それぞれの楽器を持ち、そして顔は隠されている。
「君たちは……」
俺は呼んだ覚えのない彼らに困惑する。
だが彼らは何も答えず、ただそこに立っていた。
そんな状況をただ1人、クラウスだけが直感で理解したようで、彼は手に持つ指揮棒を振った。
” Freude!” ” Freude!”
『歓喜よ!』 『歓喜よ!』
” Freude!” ” Freude!”
『歓喜よ!』 『歓喜よ!』
"Freude, schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.Himmlische, dein Heiligtum!"
『歓喜よ、神々の麗しき霊感よ 天上楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて 崇高なる者よ、汝の聖所に入る』
彼の指揮通りに演奏が始まった。
驚くべきことに、顔を隠した集団は一度も合わせて練習したことがないにも関わらず完璧に演奏をこなしている。
それに本来はいないはずの合唱をする人までいるのだから驚きだ。
"Deine Zauber binden wieder,Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,Wo dein sanfter Flügel weilt."
『汝が魔力は再び結び合わせる 時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる 汝の柔らかな翼が留まる所で』
俺は【言語適応】があるので意味を理解できるが、他の人は何を言っているのかよく分かっていない。
だがこの歌が確かに神聖なものであることは肌で感じていた。
そして彼らは歓喜の歌に酔いしれ、夢中になっていた。
”Wem der große Wurf gelungen,Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,Mische seinen Jubel ein!”
『ひとりの友の友となるという 大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は 自身の歓喜の声を合わせよ!』
その瞬間、窓から日光が差し込んでくる。
先程まで空一面が雲に覆われていたのに、こんなにも急に晴れてくるものなのだろうか。
俺は思わず窓辺に移動して、そこから空を覗いた。
「!」
”Ja, wer auch nur eine Seele Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!”
『そうだ、地球上にただ一人だけでも 心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ!
そしてそれがどうしてもできなかった者は この輪から泣く泣く立ち去るがよい!』
「空が……割れている……」
”Ja, wer auch nur eine Seele Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle Weinend sich aus diesem Bund!”
『そうだ、地球上にただ一人だけでも 心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ!
そしてそれがどうしてもできなかった者は この輪から泣く泣く立ち去るがよい!』
空を見ると、あれほどあった雲がこの宮殿を中心として円形に消滅していた。
そしてその間からは日光が柱のように海面へと降りていく。
ヴィロンたちもその異常さに気がついたのか、窓辺によってきた。
”Freude trinken alle Wesen An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen Folgen ihrer Rosenspur.”
『すべての存在は 自然の乳房から歓喜を飲み
すべての善人もすべての悪人も 自然がつけた薔薇の路をたどる』
「これはこれは、たまげたなぁ……」
べオルトが空を見てそうつぶやく。
他の者達はその光景に圧巻されて言葉も出ていなかった。
そんな驚く俺たちの後ろで演奏は続けられる。
”Küsse gab sie uns und Reben,Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,und der Cherub steht vor Gott.”
『自然は口づけと葡萄の木と 死の試練を受けた友を与えてくれた
快楽は虫けらのような者にも与えられ 智天使ケルビムは神の前に立つ』
ぽっかりと開いた雲の穴が光り始める。
何が起こったのかと思っていると、そこからは環状の虹がゆっくりと降りてきた。
それも1つではなく、全部で6つの虹の輪っかが同心円状に並んだ。
”Küsse gab sie uns und Reben,Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,und der Cherub steht vor Gott!”
『自然は口づけと葡萄の木と 死の試練を受けた友を与えてくれた
快楽は虫けらのような者にも与えられ 智天使ケルビムは神の前に立つ!』
「これが神の使徒の治める国、神の導き……我々には到底……」
空に現れる虹を見たユリウスが膝から崩れ落ちる。
それに続いてべオルトとヴィロンも崩れ落ちた。
軍務卿だけは唯一立ったままだったが、その額からは冷や汗が流れ落ちていた。
”und der Cherub steht vor Gott!”
『智天使ケルビムは神の前に立つ!』
”steht vor Gott!”
『神の前に立つ!』
虹の輪っかの中心に文様が浮かび上がる。
十二枚の羽、イズンを、創造神を象徴するものだ。
その様子をべオルトらは膝を折りながらも、泣きそうになりながらも、ただ目に焼き付けていた。
”vor Gott!”
『神の前に!』
これを最後に、演奏は終了した。
俺ははっと我に返り、演奏者たちの方を振り向く。
すると顔を隠した彼らは、光りに包まれながら消えようとしていた。
「まて、君たちは一体どこから!?」
俺は消えゆく彼らにそう問いかける。
すると1人が笑ったように口角を上げた。
いや、実際にそれは見えていない、だが俺はただそう感じたのだ。
「……
そうとだけ答えて、彼らは光の粒子と化した。
そこに先程までいたはずの彼らはもういない。
クラウスたちもまた一連のことに驚いていた。
「クラウス、彼らは何も喋っていなかったがなぜ指揮棒を振らねばと思ったんだい?」
「はい。特に何か言われたりしたわけではないのですが、私は気がつけば指揮棒を振っていました。まるでそうすることが当たり前のように、定められた運命であるように」
……こんな事ができるのはイズン唯一人しかいないな。
当の本人は先程から変わらない場所に無表情で立ち尽くしている。
この会議が終わったら理由を聞こう、と俺は思った。