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第7話 偽りの声、戸の向こう

 戸の隙間から外を見つめていた音羽が、気づけば震えていた。


 おとは「……あ、あれ……」


 声にならない声を漏らしながら、彼女の肩が小刻みに揺れる。

 おとは「は、は…っあ……はぁ…っ」


 息がまるで出来ていない。その顔は蒼白で、瞳は強張ったまま。戸の向こうを凝視して、目を逸らせなくなっていた。


 れい(音羽さん……?)


 りこ「音羽ちゃんっ!──音羽ちゃん!!」


 莉子が駆け寄って肩を掴み、動かなくなった音羽をゆっくり"さぁ、こっちへ"と優しく言いながら移動させた。


 りこ「大丈夫、こっち見て?ほら、息吸って……ゆっくり、はいて……」


 震える音羽の背中をやさしくさすりながら、莉子が落ち着いた声で呼吸を促す。


 おとは「……っ、は……ぁ……」


 ようやく音羽の身体から強張りが抜けて、膝をついた。


 その時だった──


 戸の外から、耳を疑うような“声”が聞こえた。


 ???「──お母さんだよ。開けておくれ……」


 れい(……!)


 声が、明らかにおかしい。

 その声を聞いた瞬間、子ヤギたちは飛び跳ねるように一斉に散り散りに隠れた。

 ただ、神威の上で寝ていたいちばん小さな子ヤギだけはそのまま寝ていた。


 掠れていて、低く、どこか意識を引きずるような──決して“母山羊”のものではなかった。


 れいは息を呑み、隣の幸人の方を見る。


 ゆきと「……」


 幸人は無言のまま、足音を立てないように戸の方へ歩き、戸の隙間に目を近づけた。


 ゆきと「……やはり、どう見ても“狼”だな。母山羊じゃない」


 幸人は冷静そうに見えたが、声から緊張の色がにじんでいた。


 すると、幸人は道後の方へ振り返った。


 ゆきと「──君の《守護輪廻(ガーディアン・リレー)》は、この小屋全体につけることができるのか?」


 どうご「ん?……ああ、やったことねぇけど、多分いけると思うぜ」


 言うが早いか、道後は無言で前に進み、右手のひらを正面に突き出した。


 次の瞬間──


 どうご「……守れ、《守護輪廻(ガーディアン・リレー)》」


 彼の掌から緑色の光がふわりと浮かび、小屋の壁を這うようにして全体に広がっていった。


 光はやがて見えなくなったが、何かに包まれたような安心感が空気を覆う。


 どうご「──よし。これで大丈夫だぜ」


 そのとき、道後の声を聞いてか、小屋の中で隠れていた子ヤギたちが、次々に顔を出して狼の声に反応し始めた。


 子ヤギ(紫)「おかあさんのこえじゃない!」

 子ヤギ(青)「おかあさんはそんなガラガラしてないもん!」

 子ヤギ(桃)「ぜったい、あけてなんかやんないよ!」

 子ヤギ(黄)「かえってよ、にせもの!」


 怒ったように、でもどこか怖がりながらも、子ヤギたちは全力で“戸の向こう”に向かって叫んだ。


 その声が届いたのか──


 狼は、それ以上何も言わず、足音ひとつ立てずに去っていった。


 れい(……か、かえったのか…)


 僕が息をついたとき、同時にひとつ気づいた。


 れい(……そうか。僕の《感情視(エモーションサイト)》は──)


 れい(“相手の姿が見えていないと”感情もなにも見えないんだ……)


 あの狼の姿は見えなかった。だから、なにも視えなかった。


 れい(僕の能力も、これから知っていかないとな…)


 ゆきと「……去ったのを確認した。けど、童話の通りなら、また来るはずだ。君はこのまま結界を維持してもらえるか?」


 どうご「ああ、任せとけ。まだ全然いける」

 どうご「あと、他人行儀なのは好きじゃねぇんだ。道後でいいぜ」


 ゆきと「……あぁ、わかったよ。道後」


 しばらくして、時間だけが静かに流れた。


 誰も言葉を発さないまま、狼がまた現れるのではないかと息をひそめていた。


 ──けれど。


 何分たっても、再び現れる気配はなかった。


 次第に、緊張の糸が少しずつ解けていく。


 子ヤギたちは元気を取り戻し、部屋の中でぴょんぴょんと遊び始めた。


 紫ちゃんと青くんが、道後のまわりを跳ね回っている。


 子ヤギ(紫)「パパー!さっきはかっこよかったー!」

 子ヤギ(青)「パパつよいんだね!」

 どうご「だからパパって呼ぶんじゃねぇ!」

 れい(…なんか、この光景にも慣れてきたな…)


 そして──


 おとは「……すみませんでしたわ。取り乱してしまって」


 音羽が、そっと頭を下げた。


 ゆきと「気にしなくていい。あれは驚くのが普通だよ。僕も……あんな大きい狼は初めて見たからな」


 どうご「大きいっつっても、狼は狼だろうが。俺たちはリライターなんだぜ、怖いもんなんかあるかよ」


 幸人は少し眉を上げて、平然と言った。


 ゆきと「じゃあ、道後。聞くが──“ライオンくらい”ある狼を、見たことがあるか?」


 その一言で、僕と、道後くんと、莉子さんの背筋が一気に凍った。


 れい(ら、ライオン……? そんなの、相手になるのか……?)


 そのとき──


 戸の向こうから、再び“声”が聞こえてきた。


 ???「……ねぇ、中に入れて。わたしよ、お母さんだよ」

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