母山羊の叫ぶ声で、意識が一気に現実に引き戻された。
れいたちは藁の寝床から跳ね起きて、寝ぼけ眼をこする暇もなく声の方へ顔を向けた。周囲も同じように目を覚ましていて、すぐに幸人が母山羊に駆け寄る。
ゆきと「どうしたんですか?」
その問いに、母山羊は今にも泣き出しそうな声で震えながら答えた。
母山羊「子供たちが……三匹しかいないの……っ」
ゆきと「……」
ゆきと(…もう物語がめちゃくちゃじゃないか…どうなっているんだ…)
れい「え……?」
れい「き、昨日から赤ちゃんも帰ってきていないね…」
かむい「………」
神威はおもむろに古時計の方へ向かい、下の隙間を覗いた。
前日、神威が置いた食べ物がなくなっていた事に、少しだけ安堵した。が、それと同時に古時計に耳を澄ますと、微かにだが、スー…スー…と言う小さな吐息が聞こえて、更に安堵した。
神威は何も無かったかのように戻ってきた。
れい(…なんだろう…この目から伝わる違和感…寝起きと動揺でなのか、ハッキリとはわからないが、何か…)
りこ「赤ちゃん、紫ちゃん、青くん、水色くんがいないわ!」
莉子が焦った声で言った。
その言葉に僕の目が一気に冴えた。
横を見ると、確かに藁の上で眠っている子ヤギは三匹だけ。
れい(…昨日、寝る前には──確かに六匹いたはずだ。道後くんのそばで、無邪気にくっついて眠っていたのに…)
れい「……そんな……」
子ヤギたちも母親の声に起きたようで、あくびをしながら目を擦っていた。
子ヤギ(緑)「おかあさん、どうしたの……?」
子ヤギ(黄色)「おおきなこえ、どうして……?」
まだ何が起きているのか理解できていないようだった。
どうご「……おい、探すぞ!」
道後が声を張り上げた。
全員が散り散りに、小屋の中を一斉に探しだした。
けれど──探そうにもそもそも、この小屋には隠れるような場所なんて、最初からほとんど無い。
収納も無ければ、家具らしい家具もほとんど無い。見渡して僅かに思い当たるところを探すだけで、誰もいないことがすぐ分かってしまう。
おとは「…外も探しましょう」
そう言って、音羽が扉に手をかけた──その時。
おとは「……か、鍵が……かかったままですわ」
どうご「…っ!だからなんだよ!」
苛立ったように、道後が返す。
ゆきと「……内側から鍵がかかってるってことは」
その言葉を、幸人が静かに継いだ。
ゆきと「誰もこの扉を使って“出て行って”ないし──“入って来て”もいないってことだ…それか外に行った者が帰ってきて、もう一度内側から鍵を閉めない限りこの状態にはならない」
ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
れい「こ、小屋の壁……とか…ど、どこかに、隙間が……あるのかも……」
れいがそう言うと、幸人が頷いた。
ゆきと「その可能性は高い。どこからか侵入できる場所があるのかもしれない」
ゆきと(…なにがどうなっているんだ…見つけないと、早く…)
中をもう一度調べようとする幸人を、道後が腕で制した。
どうご「……今はいなくなったガキたちを探す方が先だろうが!」
その言葉に、幸人は数秒だけ黙り込み──やがて、小さく息を吐いて頷いた。
ゆきと(…小屋の中になにか完結への手がかりがあるかもしれない…が…)
ゆきと「……そうだな。後回しにしよう」
道後たちは次々に小屋の外へ出て、周囲の草むらや木陰、岩の裏などを探して回った。けれど、何の手がかりも見つからない。
りこ「赤ちゃーん!どこ行ったのー!紫ちゃーん!青くーん!水色くーん!」
莉子の声が一方的に響く。
どうご「おーい!いつまで隠れてんだー!かあちゃん心配してんだろうが!」
道後の叫びも虚しく響く。
時間だけがじわじわと過ぎていく。
母山羊「あ、あの…い、一緒に探してくださって、ありがとうございます……」
しばらくして、母山羊がぽつりと呟いた。
母山羊「きょ、今日は……朝から、みんなで……泉に行く予定でしたよね……?」
その声は明るく装っていたけれど──背中には喪失の気配を隠しきれない母山羊の姿があった。
どうご「…いや、まだ!…それどころじゃ…」
母山羊「も、もう大丈夫ですから、もう…大丈夫…ですから……」
誰も何も言えなかった。
その沈黙を破ったのは、音羽だった。
おとは「……これ以上探しても、きっと──」
かむい「音羽殿…」
遮ったのは神威くんの低く通る声だった。
かむい「……みなまで言う必要はない。皆、察している」
おとは「………」
どうご「…チッ!……クソッ!!昨日までそこに居たんだぞ!!俺の…俺の隣で……寝てたんだぞ…」
道後は、悲しさと悔しさに拳を握りながら、下を向いて震えていた。
りこ「……道後…」
莉子は道後にゆっくり歩み寄り静かに服の端を指で引っ張った。
りこ「…戻ろ…」
母山羊「……じゃあ、じゅ、準備して……行きましょうか」
母山羊が、精一杯の笑みを作って言った。
……誰も口を開くことなく、早々に小屋を出る準備を済ませ、皆で小屋を後にした。
泉へと向かう道中、幸人が提案した。
ゆきと「…ちょっといいか。もしまた、万が一、また狼に遭遇するかもしれない。隊列を組んで警戒しよう」
それに頷いた母山羊は、先頭に立った。後ろに残った子ヤギ三匹。その後ろを莉子、音羽、道後。そしてれい、幸人、神威が最後尾についた。
ゆきと「各々、周囲を警戒しながら行こう」
りこ「…わかったわ」
どうご「あぁ…」
それぞれが、ただ静かに歩きながら──何かを考えていた。
どうご(…クソっ!…また、守れなかった…そのための力なんじゃねえのかよ……)
ゆきと(わからない…物語の完結の糸口が、全く…。なぜ子ヤギが三匹だけ残ってる。もし、夜のうちにこっそり狼が来たなら、六匹全ての子ヤギが食べられていたはずだ…。そもそも僕らだって危なかった…。なんとかしないと…)
おとは(…これからどうなってしまうの…怖い……)
れいも泉までの道中で落ち着きを徐々に取り戻していった。
れい「…はぁ…はぁ……」
するとれいが何かに気付く───。
れい(…あぁ…なんとなく、少しずつだけどわかってきた、気がする。僕のこの能力は自分の精神状態でも見え方に強弱が出るのか……だとしたら…)
かむい「………」
一時間ほど歩いた頃、母山羊が振り返って言った。
母山羊「もうすぐ……泉に着きますよ」
りこ「──あっ、みんな!見えたわ!」
莉子がそう言って、指をさした先に、緩やかな光を反射する水面が広がっていた。
おとは「お、狼に会わなくてよかったですわ……」
音 音羽がぽつりと呟いた。
泉が見えかけた時、子ヤギ達が母山羊に話しかける。
子ヤギ(緑)「ねえ、おかあさん!おかあさん!」
子ヤギ(緑)「むらさきねえちゃんと、あおにいちゃんはどこいったの?」
子ヤギ(桃)「……みずいろにいちゃんも、いないよ?」
純粋な問いかけに、母山羊は笑みを浮かべて──けれど何も答えなかった。
笑っているのに、どこか泣いているように見えた。
その横顔を、れいは黙って見つめていた。
──これは、物語の中の出来事なんかじゃない。
確かに、“本の中の物語”にいるのかもしれない。
けれど、目の前で起きた事は、まぎれもない現実だった。
れい(…こ、これから僕たちは、何度もこういう試練を超えていかなくちゃいけないんだ…)
恐怖も、喪失も、選択も──全部、本気で向き合わなきゃいけない。
れい(…今日もう一度、確かめないといけない…)
れい(…この違和感という疑念を、確信に変えれなければ、多分…)
その覚悟が、ようやく自分の中に根を張った気がした。