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第10話 欠けた朝

 母山羊の叫ぶ声で、意識が一気に現実に引き戻された。


 れいたちは藁の寝床から跳ね起きて、寝ぼけ眼をこする暇もなく声の方へ顔を向けた。周囲も同じように目を覚ましていて、すぐに幸人が母山羊に駆け寄る。


ゆきと「どうしたんですか?」


 その問いに、母山羊は今にも泣き出しそうな声で震えながら答えた。


母山羊「子供たちが……三匹しかいないの……っ」


ゆきと「……」

ゆきと(…もう物語がめちゃくちゃじゃないか…どうなっているんだ…)


れい「え……?」

れい「き、昨日から赤ちゃんも帰ってきていないね…」


かむい「………」


 神威はおもむろに古時計の方へ向かい、下の隙間を覗いた。

 前日、神威が置いた食べ物がなくなっていた事に、少しだけ安堵した。が、それと同時に古時計に耳を澄ますと、微かにだが、スー…スー…と言う小さな吐息が聞こえて、更に安堵した。

 神威は何も無かったかのように戻ってきた。


れい(…なんだろう…この目から伝わる違和感…寝起きと動揺でなのか、ハッキリとはわからないが、何か…)


りこ「赤ちゃん、紫ちゃん、青くん、水色くんがいないわ!」


 莉子が焦った声で言った。


 その言葉に僕の目が一気に冴えた。


 横を見ると、確かに藁の上で眠っている子ヤギは三匹だけ。


れい(…昨日、寝る前には──確かに六匹いたはずだ。道後くんのそばで、無邪気にくっついて眠っていたのに…)


れい「……そんな……」


 子ヤギたちも母親の声に起きたようで、あくびをしながら目を擦っていた。


子ヤギ(緑)「おかあさん、どうしたの……?」

子ヤギ(黄色)「おおきなこえ、どうして……?」


 まだ何が起きているのか理解できていないようだった。


どうご「……おい、探すぞ!」


 道後が声を張り上げた。

 全員が散り散りに、小屋の中を一斉に探しだした。


 けれど──探そうにもそもそも、この小屋には隠れるような場所なんて、最初からほとんど無い。

 収納も無ければ、家具らしい家具もほとんど無い。見渡して僅かに思い当たるところを探すだけで、誰もいないことがすぐ分かってしまう。


おとは「…外も探しましょう」


 そう言って、音羽が扉に手をかけた──その時。


おとは「……か、鍵が……かかったままですわ」


どうご「…っ!だからなんだよ!」


 苛立ったように、道後が返す。


ゆきと「……内側から鍵がかかってるってことは」


 その言葉を、幸人が静かに継いだ。


ゆきと「誰もこの扉を使って“出て行って”ないし──“入って来て”もいないってことだ…それか外に行った者が帰ってきて、もう一度内側から鍵を閉めない限りこの状態にはならない」


 ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。


れい「こ、小屋の壁……とか…ど、どこかに、隙間が……あるのかも……」


 れいがそう言うと、幸人が頷いた。


ゆきと「その可能性は高い。どこからか侵入できる場所があるのかもしれない」

ゆきと(…なにがどうなっているんだ…見つけないと、早く…)


 中をもう一度調べようとする幸人を、道後が腕で制した。


どうご「……今はいなくなったガキたちを探す方が先だろうが!」


 その言葉に、幸人は数秒だけ黙り込み──やがて、小さく息を吐いて頷いた。


ゆきと(…小屋の中になにか完結への手がかりがあるかもしれない…が…)

ゆきと「……そうだな。後回しにしよう」


 道後たちは次々に小屋の外へ出て、周囲の草むらや木陰、岩の裏などを探して回った。けれど、何の手がかりも見つからない。


りこ「赤ちゃーん!どこ行ったのー!紫ちゃーん!青くーん!水色くーん!」


 莉子の声が一方的に響く。


どうご「おーい!いつまで隠れてんだー!かあちゃん心配してんだろうが!」


 道後の叫びも虚しく響く。


 時間だけがじわじわと過ぎていく。


母山羊「あ、あの…い、一緒に探してくださって、ありがとうございます……」


 しばらくして、母山羊がぽつりと呟いた。


母山羊「きょ、今日は……朝から、みんなで……泉に行く予定でしたよね……?」


 その声は明るく装っていたけれど──背中には喪失の気配を隠しきれない母山羊の姿があった。


どうご「…いや、まだ!…それどころじゃ…」


母山羊「も、もう大丈夫ですから、もう…大丈夫…ですから……」


 誰も何も言えなかった。


 その沈黙を破ったのは、音羽だった。


おとは「……これ以上探しても、きっと──」


かむい「音羽殿…」


 遮ったのは神威くんの低く通る声だった。


かむい「……みなまで言う必要はない。皆、察している」


おとは「………」


どうご「…チッ!……クソッ!!昨日までそこに居たんだぞ!!俺の…俺の隣で……寝てたんだぞ…」


 道後は、悲しさと悔しさに拳を握りながら、下を向いて震えていた。


りこ「……道後…」


 莉子は道後にゆっくり歩み寄り静かに服の端を指で引っ張った。


りこ「…戻ろ…」


母山羊「……じゃあ、じゅ、準備して……行きましょうか」


 母山羊が、精一杯の笑みを作って言った。


 ……誰も口を開くことなく、早々に小屋を出る準備を済ませ、皆で小屋を後にした。


 泉へと向かう道中、幸人が提案した。


ゆきと「…ちょっといいか。もしまた、万が一、また狼に遭遇するかもしれない。隊列を組んで警戒しよう」


 それに頷いた母山羊は、先頭に立った。後ろに残った子ヤギ三匹。その後ろを莉子、音羽、道後。そしてれい、幸人、神威が最後尾についた。


ゆきと「各々、周囲を警戒しながら行こう」


りこ「…わかったわ」


どうご「あぁ…」


 それぞれが、ただ静かに歩きながら──何かを考えていた。


どうご(…クソっ!…また、守れなかった…そのための力なんじゃねえのかよ……)


ゆきと(わからない…物語の完結の糸口が、全く…。なぜ子ヤギが三匹だけ残ってる。もし、夜のうちにこっそり狼が来たなら、六匹全ての子ヤギが食べられていたはずだ…。そもそも僕らだって危なかった…。なんとかしないと…)


おとは(…これからどうなってしまうの…怖い……)


れいも泉までの道中で落ち着きを徐々に取り戻していった。


れい「…はぁ…はぁ……」


 するとれいが何かに気付く───。


れい(…あぁ…なんとなく、少しずつだけどわかってきた、気がする。僕のこの能力は自分の精神状態でも見え方に強弱が出るのか……だとしたら…)


かむい「………」


 一時間ほど歩いた頃、母山羊が振り返って言った。


母山羊「もうすぐ……泉に着きますよ」


りこ「──あっ、みんな!見えたわ!」


 莉子がそう言って、指をさした先に、緩やかな光を反射する水面が広がっていた。


おとは「お、狼に会わなくてよかったですわ……」


 音 音羽がぽつりと呟いた。


 泉が見えかけた時、子ヤギ達が母山羊に話しかける。


子ヤギ(緑)「ねえ、おかあさん!おかあさん!」


子ヤギ(緑)「むらさきねえちゃんと、あおにいちゃんはどこいったの?」


子ヤギ(桃)「……みずいろにいちゃんも、いないよ?」


 純粋な問いかけに、母山羊は笑みを浮かべて──けれど何も答えなかった。


 笑っているのに、どこか泣いているように見えた。


 その横顔を、れいは黙って見つめていた。


 ──これは、物語の中の出来事なんかじゃない。


 確かに、“本の中の物語”にいるのかもしれない。

 けれど、目の前で起きた事は、まぎれもない現実だった。


れい(…こ、これから僕たちは、何度もこういう試練を超えていかなくちゃいけないんだ…)


 恐怖も、喪失も、選択も──全部、本気で向き合わなきゃいけない。


れい(…今日もう一度、確かめないといけない…)

れい(…この違和感という疑念を、確信に変えれなければ、多分…)


 その覚悟が、ようやく自分の中に根を張った気がした。

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