りこ「さーて、じゃあ男どもを守ってあげますか~」
と軽い言葉とともに、泉のほとりで莉子と音羽、そして子ヤギは残って警護を始める。
それを背に男組は泉へ向かった。
太陽が、木々の隙間から差し込み、水面にきらきらと揺れる光を落としている。鳥の声は穏やかで、空気は静けさと安らぎに包まれていたが、張り詰めた緊張が隠れていた。
りこ「……見張り役、しっかりしないとね」
おとは「ええ。とはいえ……ここまで何も起きないのは、逆に不気味ですわ」
音羽は軽くスカートを払いながら立ち上がり、森の奥へと視線を投げる。どこまでも続いていくような木々の陰が、少しだけ恐ろしかった。
子ヤギたちは遊び疲れたのか、数匹は石の上で丸まって眠り始め、残りも足元でぺたんと座り込んでいた。
子ヤギ(桃色)「ねぇねぇ、お姉ちゃんたち……もうパパたち、おふろおわったかな?」
りこ「ふふっ、そうね。たぶんもうすぐ戻ってくると思うよ」
おとは「……あと少し、ここで待ちましょう」
その時、眠っていた子ヤギの一匹が草むらから小さな花を摘み、それをそっと莉子の手のひらに乗せた。
子ヤギ(水色)「これ、おかあさんとパパにみせたいな……きれいかな?」
りこ「うん、とってもきれい。きっと喜んでくれるよ」
そんなやり取りに音羽がふっと微笑む。風が一陣、木々を揺らして通り過ぎた。
そのとき、泉の奥から水音と共に男たちの姿が見えた。
どうご「おーい……って、おいコラ、誰がパパだ」
そう言いながらも、どこか満更でもない表情の道後。彼の背後には神威、幸人、そして少し控えめな様子のれいが続く。
ゆきと「異常はなかったようだな」
りこ「今のところはね。でも、ずっと胸騒ぎはしてる」
幸人は頷き、周囲を見回した。風の向きが変わり、遠くで小鳥の鳴き声が止んだ。
──その刹那だった。
母山羊「みなさん……」
森の奥から、母山羊が姿を現した。背には果物の詰まった籠。白い毛並みが揺れ、どこか急いできた様子だったが、顔には変わらぬ柔らかい笑みがあった。
母山羊「お昼の食べ物を沢山とってきましたので、小屋に戻って一緒に食べましょう」
どうご「おーっ、もう飯か!」
子ヤギたち「わーい!おひるごはんー!」
子ヤギたちは嬉しそうに跳ね回りながら、母の周囲に集まっていく。
れいは"ある方向"だけを見ていた。
れい(……ん?)
れい(……でも、いや、そんなはずは……)
れいは首を振って思考を断ち切った。
母山羊「…では、帰りましょうか」
* * *
小屋に戻ると、母山羊は慣れた手つきで籠から果物や木の実を取り出し、木の皿に次々と並べていく。
母山羊「これは甘い木の実、こちらは森で採れた山ブドウ……お口に合うといいのですが」
りこ「すごい……どれも美味しそう!」
音羽は布を丁寧に広げ、皆の前に皿を整えていく。子ヤギたちは待ちきれず、皿を覗き込んでは、わぁっと声を上げていた。
おとは「れい様、どうぞ」
れい「あ、ありがと……ございます」
渡された果実や木の実は、手に取った瞬間ほんのりと温かく、優しい香りが鼻をくすぐった。
どうご「うまっ……これ、マジで果物なのか?」
子ヤギ(桃色)「このきのみ、おくちのなかでとろける〜」
笑い声と食べる音が、小屋を和やかに満たしていく。
しかし、そのなかで──
母山羊「あら……いけない……!」
母山羊が、手を打つように声を上げた。
れい(…っ!?び、びっくりした…)
りこ「どうしたの?」
母山羊「お水を汲んでくるのを……すっかり忘れてしまっていました」
りこ「あ、じゃあ私も手伝いますよ」
れい「ぼ、僕も……」
れい(………)
そう名乗り出る二人に、母山羊はすこしだけ困ったように微笑みながら首を横に振る。
母山羊「ありがとうございます。でも……大丈夫です。これもいつも私がやっていることですから」
そう笑顔で答えた。
れい「……そう、ですか…」
れい(………)
母山羊「では……お水を汲んできますね。皆さんはゆっくり、ご飯を食べながら待っていてください」
そう言って立ち上がると、子ヤギたちの前にしゃがみ込んで、やさしく声をかけた。
母山羊「おかあさんは、これからお水をくんでくるから……その間、お利口さんにしててね。なにがあっても、おかあさんが帰るまで戸を開けちゃいけませんよ」
子ヤギたち「はーい!おかあさん、きをつけてねー!」
母山羊「はいはい。では、この子たちを、お願いします」
その言葉を残して、母山羊は扉を開け、そっと出ていった。
* * *
静寂が戻った小屋に、幸人の声が落ちるように響いた。
ゆきと「──聞いてくれ、多分、狼が来るとしたら……このタイミングだ」
その言葉に、全員がぴしりと身体を強張らせる。
りこ「……っ!」
莉子は素早く立ち上がり、戸に駆け寄って、鍵を閉めた。
りこ「ふぅ…。これで大丈夫……でも、なんでこれから来るってわかるの?」
ゆきと「……勘みたいなものだ。特に確証はない…だが、きっと来る」
幸人は莉子と音羽をまっすぐに見た。
ゆきと「……あと、今日、もし狼が来たら……その戸を、開けようと思ってる」
りこ「……なっ!?」
莉子が思わぬ発言に、目を見開く。
りこ「そんなことしたら、みんな……食べられちゃうかもしれないじゃない!?」
ゆきと「……俺たちは物語の中にいるんだ。待ってるだけでは"完結”にたどり着けない」
その言葉に、音羽が目を細める。
おとは「……危険すぎますわ」
ゆきと「これは多分、必要な行動だ。俺たちは“終わらせるために”ここにいるんだ。物語と向き合わないと"完結"の糸口は見えてこない…と思う」
言葉の重みが、小屋の中を満たした。
りこ「……勘で命懸けるなんて、ほんと……バカね」
小さくため息を吐きながら、莉子は言った。
りこ「わかったわ。なにかあったら、私の《代価の契約(バース・トレード)》でどうにかしてあげるから思いっきりやりなさい」
おとは「わたくしの《幸運の誘導(ラッキー・ガイド)》でも、最悪は……避けてみせますわ」
二人の声に、幸人は深く頷いた。
──そのときだった。
ザッ、ザッ、ザッ……。
外から、近づいてくる足音がする。
木の床がぎしりと軋んだ。誰もが息を呑む。
ゆきと「……来た」
ピンと張り詰めた空気の中──
???「──お母さんだよ。開けておくれ……」
その声は、穏やかで、やさしかった。
小屋の中に、再び深い深い沈黙が降りた。