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第1話 灰色足の悪役令嬢

 王都一の由緒ある公爵邸の庭園に、貴族の子女たちが集う華やかな茶会が開かれていた。色とりどりのドレスが咲き誇る花々のように庭を彩り、朗らかな笑い声と、ひそやかな囁きが混じり合う。


「エルム男爵家、ご令嬢。ステラ・エルム様のおなぁりぃー」


 衛兵の声が響く。陽光の下、誰もが優雅な一時を過ごす中。私は、周囲の視線を一身に浴びながら、庭の入り口に立つ。


 私――ステラは、周囲の華やかな色彩とは対照的な、漆黒のドレスに身を包んでいた。


 日の光さえ拒むような厚手の生地は、私の白い肌を一層引き締め、鮮やかな緑の瞳を不気味なほどに際立たせる。


 傍らの、衛兵の1人に目を付けた。彼は先日、我が家の商会で大きな買い物を済ませたはずだ。


「そこのあなた、先導を。お願いできますわよね? ゴールドの魔導通信機、あと数日でお手元にお持ちいたしますから」

「は、はっ、かしこまりました」


 即座に頷いた衛兵が、非常識だろ、と言いたげな顔をしながらも動き出す。


 背筋をぴんと伸ばし、頭の位置を変えないように歩く私の立ち姿は、トレンドのシフォンをたっぷりと使うドレスの中において異質そのものだろう。


「ごらんになって、あの子ですわ。ほら、もう命令している」

「まぁ、横柄なのは相変わらずなこと」

「茶会の招待、流石に断れなかったようですね」


 ひそひそと交わされる囁きが、風に乗って私の耳に届く。私の登場で、茶会の賑やかだった空気は、一瞬にして凍りついたかのようだった。


 狼狽えることは何もない。私は自分が社交界でどう呼ばれていくのか、よく知っている。


 エルム男爵家は、由緒ある貴族ではない。父イヴァノの功績により叙爵された新興貴族だ。成り上がりと蔑まれることは日常茶飯事。


 旧来の貴族社会における周囲の目は一層厳しく、この不安定な地位を維持するためには、社交界での信頼と影響力の確保が不可欠。


 父の事業の成功も、すべては王家や貴族社会からの理解と支援の上に成り立っている。私はそんな彼らにとっての『ガス抜き』の役目を担ってきた。


 現れたかと思えば、現れた時には周囲を威圧するような漆黒のドレス。常に誰かに命令し、その態度は横柄。


 どれもが、貴族社会から忌み嫌われるに十分な理由。


 『まるで物語の悪役のよう』という意味で『悪役令嬢』のレッテルまで貼られている。


 黒ずくめの服装は、周囲の侮蔑の視線を跳ね返すための威圧。人々の列が、漆黒のドレスの前に割れた。


(まったく。私を避けるくせに、お父様の『魔導通信機』はちゃあんとお使いなのね……)


 私に冷淡な眼差しを向ける人々の手には、白銀の小さなプレートがある。父イヴァノが開発した『魔導通信機』という画期的な発明だ。


 あのプレートで魔力を共有した相手となら、大陸の向こうにいようとも速やかに話ができる。貴族社会では「持っていなければお話にならない」と言われるほどの重要なアイテム。


 父の発明を見ると、誇らしさで胸がいっぱいになる。私は足の痛みも忘れ、先ほどより少し速足で歩くことさえできた。


(何か……何かほんの少しでも、情報はないかしら……)


 スカートの下に隠された『灰色の足』が、ずきりと傷んだ。


 私はゆっくりと、歩き始める。私の足取りは、誰もが息を呑むほどに淀みなく、完璧に優雅に見えたはずだ。


 しかし、この黒いスカートの裾の下、誰にも見られることのない私の右足の奥では、鈍い痛みがじわりと広がり、冷たい石のような感覚がくるぶしから脛へと忍び寄っていた。


 茶会の参加者たちから距離を置くように、庭の隅にある人目につかない東屋へと衛兵に先導させる。そこならば、座って休みつつ、情報収集ができる。


 庭という物陰で話す人は、意外と声が大きいものだ。


 しかし、その東屋には既に先客がいた。しなやかな金髪と品のある蒼い瞳。私の記憶に間違いがなければ、彼はこの国にとって、そして茶会に置いて誰よりも優先されるべき重要な人物の一人。


 公爵家の長男、レオニス・フォルティア。


 彼は私に気づくと、一瞬、澄んだ蒼色の瞳をそらした。間が悪いと思いながらも衛兵を職務へ戻し、相手の出方をうかがう。と、彼は眉をしかめたまま話しかけてきた。


「ステラ。こんな騒がしい茶会にまで顔を出すとは……よほど暇を持て余していると見える」


 こちらを鋭く見つめる目は、全てを支配しようとするかのような威圧感を秘めていた。


「お久しゅうございます、レオニス様。8年前の夏、公爵夫人が披かれたサロン以来でしょうか」

「ふん。母上のことを、もうメレナおばさまとは呼ばないのか?」

「そのような頃もございましたね」


 レオニスと私は、幼馴染の間柄だ。


 互いの父親が軍の同じ部隊に配属されたことをきっかけに親交を深め、その縁で彼と私も身分を越えて共に過ごした。だが、成長するにつれ、私が『悪役令嬢』として孤立していく中で、彼との関係も疎遠になっている。


 これ以上の会話は避けたい。私は、ただ冷たい視線を返した。スカートの下の『灰色の足』を、そっとそろえる。


 彼は、この足の秘密を知らない。そして、知られるわけにはいかない。


「どなたかと待ち合わせかしら? でしたら、わたくしはお邪魔になりますわね」

「君は相変わらず、人を刺すような言い回しをするな……昔は違っていた」


 レオニスはそう言うと、立ち上がって会場の方へ戻っていく。


(……珍しい。昔のことを口に出すなんて)


 普段ならば、彼は私を無視する。それなのに、今日はどういうわけか、彼は眉をひそめながらも、私に声をかけてきた。


 何かあるのではないか。嫌な予感を覚えながらも、私は自身の未来のため、情報収集にいそしむのだった。



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