「こんなに苦労したのに……大した収穫もなかったわね」
茶会が終わる前に屋敷へと戻った私は、自室でドレスを脱いでいた。右足に巻き付けた特別な術式が刻まれた包帯を確認する。効力を失った術式は、魔力の名残を残して静かに消えようとしていた。
包帯の下の足は、くるぶしから脛にかけて灰色を帯び、触ると本物の石のように硬い。朝見た時より、僅かに広がっているように思えた。
私の右足は、5歳のときに起きた魔術テロにより、進行性の呪いに侵されている。
徐々に身体を蝕み、最終的には全身を石に変える『石化の呪い』。
この呪いを解くため、両親は方々に手を尽くしてくれた。だけど、分かったのは、激しい運動や精神的な負荷が進行を早めることくらい。
そこで私は幼いころから、感情の起伏を見せず、余計な動きを抑えるよう教え込まれた。
茶会やパーティーへの参加を極力抑えているのは、感情の起伏は足の痛みを増幅させるから。姫君だろうとメイドに頼まないようなことまでさせているのは、無駄な動きは呪いの進行を早めてしまうからだ。
その行動が結果として、父の事業の支えになっているのは、とてもうれしかった。
(呪いがかかったままの娘なんて、どこからも貰い手がない。魔術の才能があればよかったけど、それもない……)
何もない私にあるのは、この呪いだけ。
しかし、この数日、私の右足の石化はこれまでになく進行していた。幼い頃は右足首までだった呪いが、とうとう膝を覆いつくそうとしている。
お父様が海外の商人から入手した「呪いの進行を緩める」という高価な薬でも、効果がない。本当に、近い将来、全身が石になってしまうかもしれない。
(そんなの嫌。まだ、たったの19年しか生きていないのに!)
今日の茶会は、公爵家主催の、王家も注視する大規模なものだった。
こんな機会は滅多にない。解呪の方法について何か有益な情報が得られるかもしれないという、藁にもすがるような思いで出席を決めたのに。
包帯を外しつつ、メイドのイレーヌが優しく肌をさすってくれる。
「ですが、ようございました。一時的とはいえ、歩くのに支障のない術式を書ける祈祷師が、わが国にもいると分かったのですから」
「そうね……。お父様、この術式にいくらかかったか教えてくれた?」
「……いいえ。お力が及ばず、申し訳ありません」
私はため息をつく。
お父様は、私の呪いのためにはお金を惜しまない。いくら我が家が『魔導通信機』の開発で莫大な富を得ていたとしても、最近の使い方は気がかりだ。
室内で使うためにお父様が用意してくれた、白いローブに袖を通す。治癒効果のある術式が刺繍されており、着るだけで少しだけ体が軽くなる優れものだ。
「ありがとう、イレーヌ。さて、夕食にいかなくちゃ、お父様が待ちかねているかもしれないわ」
彼女が差し出した手を頼りに、無事な左足を使って立ち上がる。そのまましばらくバランスをとってから、ゆっくりと歩きだした。右足に継続して走る痛みには、もうとっくの昔に慣れている。
しかし、その直後だった。廊下から父の声が聞こえる。
「ステラ! 大変だ!」
いつもは冷静なお父様が、珍しく興奮したような声を出している。何かあったのだろうか。父はすぐさま私の様子に気づいたのか、優しく支えて部屋のベッドに戻してくれた。
父は古ぼけた地図と、何枚かの巻物を取り出す。興奮した面持ちで、眼鏡の奥にある緑色の瞳がいつになく輝いていた。陰鬱な私の目と違い、父の目はまるで宝石のようだ。
「ステラ!」
父は、抑えきれない喜びを声にした。
「やったぞ! ついに、ついに呪いが解けるかもしれない!」
父が指差したのは、地図に記された、隣国の山奥にぽつんと描かれた小さな印だった。その横には、簡素な絵と文字が記されている。
「どういう、ことですか?」
呪いが解ける……?
あまりにも信じがたい知らせに、私は思わず身震いする。心臓が、激しく高鳴った。何年もこの身体を蝕み、さらに私を『冷酷な悪役令嬢』という役割に閉じ込めてきた呪いが、解ける?
「本当ですか、お父様……?」
震える声で尋ねると、父は力強く頷いた。
「ああ、かなり確実だ。この
公爵家……レオニスが、何かしてくれたのだろうか?
茶会での彼の態度が、頭をよぎる。しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。
「すぐにでも向かうべきだ、ステラ。これ以上、呪いが進行する前に……」
父の言葉に、私は喜びを隠しきれなかった。全身に温かい血が巡るような感覚。
私は震える足を、壁に飾られた母マリアンの肖像画へと向けた。優しい微笑みを浮かべる母は、今から3年前に亡くなった。私が呪いを受けた事故以来、母は病に臥せがちになり、ついに力尽きたのだ。
「お母様……私、きっと治るわ」
肖像画に語りかけながら、私は涙ぐむ。どうしよう。
「そしたら、真っ先に……」
歩けるようになったら、何がしたいか。
まずは思いっきり、走りたい。庭を、誰にも気にせず、思い切り駆け回ってみたい。母に教えてもらったきりのダンスも踊りたい、今度は誰かのリードで。
それからお買い物! 普段は父が家に出入りの商人を呼んでくれるが、街で実際に父の「魔導通信機」が使われている様子を見てみたい。
ささやかな夢が、胸いっぱいにあふれていった。
私はクローゼットの奥から、ずっと大切にしまっていた、真新しい外套を取り出した。それは、生前の母が最期に私に贈ってくれたものだ。柔らかく、明るいベージュ色。今の私の黒ずくめの服とは対照的な、あまりにも優しい風合いの生地。
(そうよ。隣国の高地なら、この外套がピッタリだわ……)
その時、にわかに廊下が騒がしくなった。