「どうやら、庭師同士のいざこざのようですね」
イルーナが呟くように言った。
庭師たちは、地面に散らばった植木鉢の破片と、無残に折れた薔薇の花を指差して、言い争いを続けている。一人は自分の不注意を棚に上げ、もう一人は相手の作業を妨害したと主張しているようだった。
(困ったわね……)
このままでは、公爵家の庭がこれ以上荒らされることになり、別宅の体面に関わる。そして何より、この混乱に乗じて私の秘密が露見するような事態だけは避けたかった。
私はイルーナたち、メイドに目配せする。緩やかに立ち上がり、廊下へと出た。右足の痛みがズキンと走るが、顔には決して出さない。
私が廊下に現れたことに、公爵家側のメイドたちがざわめくのが聞こえた。
「静粛になさい!」
庭に、私の声は驚くほど響き渡った。その声に、騒がしかった庭師たちの動きがピタリと止まる。全員の視線が、私に集中した。。
「己の職務を忘れ、子供のように言い争うとは。公爵家の庭を預かる身でありながら、そのような醜態を晒して、恥を知りなさい。あなた方はフォルティア公爵家の名を汚すつもりかしら?」
私は冷徹な視線で庭師たちを見回した。身にまとう黒一色のレース仕立てのドレスをなびかせる。
「壊れたものは、すぐに片付けなさい。そして、責任の所在は後で問います。今は、これ以上騒ぎを大きくしないこと。さもなければ……さて、どうして差し上げましょうか?」
これ見よがしに漆黒の扇を広げ、笑みを浮かべて見せる。庭師たちは、一瞬にして冷静さを取り戻したらしい。
レオニスが屋敷に帰らないことで、統制が取りにくくなったのだろう。元は有能な庭師たちのはず。
彼らはハッと我に返り、すぐに散らばった破片を片付け始め、言い争いもやんだ。庭は、嘘のように静けさを取り戻す。
私は、一切の感情を顔に出さず、踵を返して自室へと戻ろうとした。右足の痛みが増している。部屋に戻りやすくするために、私は一瞬だけ右足につけた術式が刻まれた足輪に魔力を流し、痛みを和らげる。
その時。背後から、声が聞こえた。
「ステラ」
いないはずの、レオニスの声。つい先日の冷たさとは違う、僅かに戸惑いが混じった声だった。
「……今日は戻る予定がなかったはずでは?」
私は立ち止まったが、振り向かない。
「なぜ、そこにいた」
質問に答えない彼の問いは、私を試すようだった。
「騒がしかったから、気になっただけですわ。それに、貴方様の管理する別宅の規律が乱れては、公爵家婚約者であるわたくしの名誉に関わりますもの」
私は、表情筋を一切動かさず、冷たい声で答えた。
レオニスは何も言わなかった。しかし、彼の視線が、私の黒いドレスの裾、その奥の足元に、一瞬だけ鋭く注がれたのを、私は確かに感じた。
「そうか……てっきり、お前が薔薇の鉢を壊したのかと思った」
「まあ、どうして?」
「魔力の痕跡がある。お前の……体に」
ヒヤリと、背筋に冷たいものが走った。今、彼は何を、どこまで感じ取ったのだろう。
何か勘繰られないといいけど。ただそれだけが、心配だった。
レオニスの前から立ち去った後。私は自室で痛む右足をケアするために、ベッドに横たわっていた。
全身を覆う冷や汗がとまらない。レオニスの視線は、確かに私の足輪に向けられていた。あの時、彼がどこまで見抜いたのか、それがひどく気がかりだった。
だが。心労は呪いの進行を速めてしまう。
「うぐっ……」
膝下に鋭い痛みが走った。呪いの進行が加速している今、一刻も早く隣国にいるという治癒師の元へ向かいたいほどだ。
「ステラ様、このような時に申し訳ございません。道中の安全を確保するためにも、護衛の人数を増やすべきかと存じます」
私の想いを察したのか、イルーナが心配そうに言う。
「……いいえ、少人数で十分よ。目立つのは得策ではないわ」
公爵家から派遣される護衛は、私が「放蕩する男爵令嬢」として隣国へ遊びに行くと思っている。彼らに呪いの事実を知られるわけにはいかない。
「ですが」
「いいったら!」
思わずイルーナに怒鳴り返し、私はハッとした。痛みのあまり、ときどき、気持ちにゆとりがなくなってしまうことがある。今日はその日だったようだ。
「……ごめんなさい、イルーナ」
「いいえ、お気になさらず。今日はレオニス様が屋敷に滞在しておられます。気を張っておられるのです」
そういえば、確かにそうだった。
彼はどうしているだろう。そもそも、なぜ、屋敷に戻ってきたのだろう。私がいなくなるまで顔を合わせないようにすればいいのに、なぜ。
そちらに意識が向くと、気持ちが落ち着いてくる。
「ステラ様。もし、もしもですが、レオニス様がなぜ屋敷に滞在されるのか、少し探ってみませんか?」
イルーナは、私の顔色をそっと窺いながら、控えめに提案した。思っても見ない内容で、私は眉を顰める。
「何故、私がレオニス様の私事に首を突っ込む必要が? もし、呪いのことがバレたら……」
「ステラ様が、先ほどからずっと彼の様子を気にされていらっしゃるからですわ。それに、何か公爵家にとっての緊急事態であれば、ご婚約者であるステラ様にとっても無関係ではございません」
イルーナの言葉に、私はぐっと詰まった。確かに、自分でもレオニスのことが気になっていた。
父の事業の資金源でもある公爵家に何かあれば、私の解呪のための支援にも影響が出るかもしれない。それに、幼い頃から彼を知っている身として、彼が何かを思い詰めている姿を見るのは、少なからず胸が騒いだ。
(これも、悪役令嬢としての役割を全うするため……)
私は立ち上がった。右足に走る痛みが、一瞬、私の気を引き締める。
「……そうね。別宅の図書室に、以前から読みたいと思っていた本があったわ。ついでに寄ってみるのも悪くないでしょう」
わざとらしい口実をつけ、私はイルーナに支えられながら、ゆっくりと部屋を出た。公爵家の使用人の目を意識し、私は普段通りの、無関心で冷たい顔を保つ。
ゆっくりと、書斎の隣にある図書室へと向かう。別宅の図書室は、お父様の書庫ほどではないが、それでも膨大な数の書物が並んでいた。
(公爵家ではなくあえて別宅に戻るのだとしたら、この図書館が目当てのはず……)
埃一つない静寂の中に、紙の擦れる微かな音だけが響く。目当ての本があるかのように書棚を眺めるふりをする。
奥の大きなテーブルに、レオニスがいた。