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第7話

離れを案内しろと晴麿に言われた付喪神たちは、意気揚々と美弥を廊下に連れ出して次々と襖を開けていった。


「お嬢、客間の隣が居間と茶の間だ」


「居間は若とクラとミチがご飯を食べるときに使ってて、茶の間はあたい達や、若が使役してる妖怪達が使ってるのさ」


「若達も一緒に食べれば楽しいんだけどねえ。あっ、お嬢はどうするんだろう? 若と一緒に食べるのかな? そうしたらあたしたちとは食べられないの? そんなのイヤだよ~」


コハクが泣きそうな表情で美弥の腕にしがみつくと、もう片方の腕をチョウが掴み、眉を下げた。


「あたいもお嬢と一緒がいいよ」


前を歩いていたボタンが振り返り、首をかしげた。


「若はおいら達にお嬢の身の回りのことを任せてくれたんだぜ。だったらお嬢と一緒に飯食って何が悪いんだよ。そもそも、表面上の夫婦になるんだろ。だったら若がお嬢と食べる必要ないんじゃねえか?」


「それもそうだね」


「やった~。ずっとお嬢と一緒だね!」


ぎゅっと腕に抱きついて満面の笑みを浮かべるコハクに、美弥は胸の内がじんと温かくなり、自然に笑みがこぼれた。


「お嬢、さっきは縁側から入ってもらったけど、あそこが玄関な」


ボタンが前方を指差した先には、壁際に備え付けられた靴箱以外何もない広々とした玄関があった。チョウが美弥の袖を引いて右に曲がる細い廊下を指差した。


「ここから奥があたい達と、クラとミチと、他の妖怪達の部屋だよ」


「お嬢の部屋とだいぶ離れてるんだよねえ。あたしもお嬢と同じ部屋がいいなあ」


「あの部屋は広すぎるから、皆さんが一緒にいてくれたら私も嬉しいです」


「ほんと? じゃあ、あたし今日からお嬢の部屋に住む!」


「じゃあ、あたいも」


コハクが片手をピンと上げると、チョウも顔の横に片手を上げた。


「なに?! おまえら女だからってズルいぞ」


「ボタンは、隣の若の部屋に住んだら?」


コハクに言われ、ボタンは首を左右にブンブン振った。


「いやいや、何言ってんだよ。若と同じ部屋とか気が休まらねえし、機嫌損ねたら本体ごと納屋に閉じ込められそうじゃねえか」


「ああ、あり得るかもね」


「若、不機嫌な時こわいもんね」


「やっぱり、こわい方なんでしょうか?」


美弥がおそるおそる聞くと、付喪神たちは首をかしげてうーんと考え込んだ。


「普段からあんま笑わねえからな」


「こわいというか、頑固で偏屈なところがあるから、取っつきにくい感じはするよねえ」


「でも、お嬢の所に戻れないあたしたちのこと住まわせてくれて、お嬢にも会わせてくれたよ。あたしは若のこといい人だと思う」


「晴麿様が私の代わりに皆さんのことを大事にしてくれたんですね」


「恩は感じてるけどよ、働かざるもの食うべからずってやつで、掃除に洗濯に炊事に薪割りに、雑事ばっかやらされてるけどな」


「本邸は当主が使役してる妖怪も多いし、人間の使用人もけっこういるから、昔から本邸に住み着いてる付喪神たちは呑気なもんだよ。それに比べてこっちは……なんか臭くないかい?」


チョウが鼻をつまんで眉を寄せる。ボタンとコハクは鼻をひくつかせると同じく眉を寄せて鼻をつまんだ。


「うっ、焦げ臭いな」


「今日の炊事当番、ポンタとポンキチだよね? また失敗したのかな」


廊下の先を早足で進んでいく3人の後に美弥がついていくと、土間が見えてきて、だんだん臭いがきつくなり、もくもくとした黒煙が土間いっぱいに広がっている。付喪神たちと美弥が鼻と口許を押さえて咳き込んでいると、黒煙の向こうから子供のような高い声が2人分聞こえてきた。


「ゴホッ! 目にしみる~」


「ゲホッ! こりゃたまらーん」


煙の中から突然何かが飛び出してきて、美弥の顔面と胸辺りにビタッと引っ付いてきた。


「きゃあっ! な、何?……あら?」 


驚いて尻餅をついた美弥は、顔の辺りを触ってみるともふっとした柔らかい肌触りで、両手で軽々持ち上げられた。


「た、たぬき?」


涙目の子狸が咳をしながら怪訝な顔で美弥を見てきた。


「おぬし、だれじゃ?」


「え、えっと……」


美弥が困惑していると、胸元辺りからよく似た子狸が毛を逆立て、威嚇するように見上げてきた。


「兄じゃをはなせ!」


「おまえが離れろ!」


ボタンが2匹の子狸を美弥からさっと引き剥がし、首根っこを掴んで睨み付けた。


「お嬢、大丈夫かい?」


「びっくりしたよね?」


チョウが美弥の腕をとって立ち上がらせ、コハクが着物の汚れを払った。


「ありがとうございます。えっと、この子達は?」


「ポンタとポンキチってんだ。化けだぬきの兄弟で、若の使役妖怪だ。おまえら、お嬢に飛び付いてんじゃねえよ」


「お嬢じゃと?」


「ボタンたちの主なのか?」


「そうだよ。あたい達の主で、若の婚約者の美弥お嬢様だよ」


「なにっ? おぬしが主の婚約者か?」


「本当なのか? 顔も着物も煤だらけなのに」


「それはあなたたちのせいでしょ。毛が煤だらけじゃないの~。きたなーい」


コハクが口をへの字にして、全身の毛が煤汚れで黒くなっているポンタとポンキチの体を手ではたくと、もわっと煤が舞い上がった。


「竈の火を強くしようとしたら爆発したのじゃ」


「こうなるとは思わなかったのだ」


「火の扱いには気を付けろって言われてただろ」


「火事なんか起こしたら大変なことになってたよ」


「2人とも、火の用心だよ」


しゅんとなって縮こまるポンタとポンキチに、美弥は微笑んだ。


「でも、おいしいご飯を作ろうと頑張ってたのよね。私もよく失敗して怒られてたわ」


「おお、分かってくれるか」


「そうなのだ、われらは頑張っていたのだ」


「そうよね。まずは土間が煤だらけになっちゃったから、掃除しなきゃね。私も手伝うわ」


美弥が袖をまくろうとすると、付喪神たちが慌てて止めに入った。


「お嬢にそんなことさせられねえよ」


「それよりさ、汚れちゃったんだから、お風呂できれいにした方がいいよ」


「そうだね。ここはあたしたちがやっておくから。ポンタとポンキチは井戸で体洗っておいでよ」


「そうだな。ほら、行ってこい」


「おぬしらに言われなくともやろうと思ってたんじゃ」


「洗ってくるのだ」


ボタンが2匹を床に下ろすと、外に通じる土間の扉を開けてすたこら走っていった。


「お嬢、お風呂こっちだよ。これ履いて」


「あ、はい」


土間に置いてある草履を指差され、それを履いて土間の扉から出ていったチョウの後について行った。

裏門とは反対側に歩いていくと、板で囲まれた空間があり、チョウが木戸を開けると硫黄の臭いがもわっと漂ってきた。


「温泉が湧いてるから、いつでも入れるよ。ここ、脱衣所で、そこの引戸開けたら湯船があるよ。

 あたいたちは本体さえきれいにしてたら人間みたいに体を洗う必要がないから使わないし、妖怪もクラとミチも使わないから、いつもは若しか使ってないんだけどね。

 この時間なら若は使わないからゆっくり入りなよ。後で着替えと手拭い持ってくるからね」


「ありがとうございます」


美弥が頭を下げると、チョウは片手をヒラヒラ振って木戸を開けて出ていった。

 着物を脱いで引戸を開けると、辺り一面湯煙とに包まれており、煙の中にうっすら見える檜風呂の縁を頼りに手を伸ばして、風呂桶でお湯をすくって体にかけて汚れを落としてからゆっくり足をつけた。熱めのぬるっとしたお湯がじーんと身体を包み込み、芯から温まっていくのを感じる。


「んー、気持ちいい~。こんな贅沢な温泉初めてだわ。早く出て片付けを手伝った方がいいんだろうけど、もう少しだけゆっくりしちゃおうかなあ」


肩までつかって至福の一時に頬を緩め、乳白色のお湯を両手ですくい、顔にかける。


「顔も体もつるつる。こんな良い思いしていいのかな」


美弥は首にかけている勾玉をつまんで、いつの間にか陽が沈みかけている茜色の空に掲げた。


「本当に強い霊力が封じられているのかしら」


美弥の脳裏に、「力を寄越せ」という蜘蛛の妖怪の声が甦ってくる。


「晴麿様の力も妖怪の力も強化してしまう、浄化の霊力じゃなくて、何か他の力……。お母様はこの力のこと、全部知っていたのしら」


勾玉から指を離して目を閉じ、背中側にある岩に頭をもたれかけた。


「ふぅ。よく分からないまま晴麿様の婚約者になって、付喪神になってたボタンさん、チョウさん、コハクさんと出会って、私の霊力を利用して晴麿様がやるべきことを終えたら離縁するって言われて……。ここ数日訳の分からないことだらけで全然現実味がないわ。このお風呂も全部夢だったらどうしよう。目を開けたらあの狭い部屋に戻っていたりして」


ガラッ。


引き戸の開く音にはっとして目を開ける。辺り一面の湯煙と、全身を包む温泉の熱が夢ではないことを分からせてくれる。


「チョウさんかしら?」


引き戸に目を向けると、湯煙に人影が浮かび上がり、声をかけようする前に湯船に入ってきた。


(さっきは入らないって言ってたのに。それに、何も言わずに入ってくるかしら? もしかして他の人? ちょっとまって。晴麿様しか使わないって言っていたじゃない! じゃあ、今入ってきた人って……!)


パシャパシャとお湯が波打ち、人影が近づいてくる。美弥は声を出すことも身動きもできず、体を強ばらせて背中を岩に押し当てた。


「ん? 誰かいるのか?」


晴麿が顔をしかめて顔の前の湯煙を手で追い払う。晴れた煙の合間に、青ざめた顔の美弥と、目を丸くした晴麿は顔を見合わせ、お互い口を開け、声にならない声を上げた。


「っ~~!」


「っっっ?!」


カポン。


風呂桶が床板に転がる音が響き渡った。


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