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第8話

「お嬢、ごめんよう」


浴衣に着替え、顔を真っ赤にして部屋の隅っこで縮こまっている美弥をうちわで扇ぎながら、チョウが眉を八の字にして謝った。


「いつもより早い時間に入る若が悪いよね。しかも脱衣所に美弥の着物が置いてあったんだよね? 普通気づくよ」


美弥の背中に手を添えたコハクが頬を膨らませる。


「いえ、私が贅沢に浸っていたからです。早く出て皆さんと片付けをしていれば……」


「お嬢は悪くないよ。あたしが若に伝えておけば良かったんだよ」


「でも、チョウさんがあの後すぐ来てくれて良かったです」


「若に目を閉じててもらって、その間にお嬢に出てきてもらったけど、あたしもビックリしちゃってもうてんやわんやだったよ」


「すいません……」


美弥は消え入るような声で言うと、顔を覆って両膝を立て、余計に小さくなった。


「お嬢~、大丈夫?」


「お嬢、元に戻っておくれよ」


コハクが丸まった美弥の背中をさすり、チョウがさっきよりもバタバタと手早くうちわで扇いだ。その時、ボタンが廊下から声をかけてきた。


「お嬢、夕げの支度ができたぜ」


「お嬢、ご飯食べに行くよ」


「食べて忘れようよ、ね!」


「今は食欲が……」


コハクとチョウは顔を見合わせて頷き、廊下にいるボタンを部屋に呼んだ。


「ボタン、お嬢を連れてっておくれよ」


「よし、任せとけ」


「えっ?」


ボタンは美弥の前に屈むと、ニッと笑みを浮かべ、美弥の体を軽々と持ち上げて横抱きにして歩き出す。


「お嬢、行くぞ」


「えっ、ちょっ、まっ、えー?!」


目を丸くして顔を赤くしたり、青くしたりする美弥は、なすすべなく体を硬直させてボタンに運ばれていった。


居間では、晴麿がクラとミチと食卓につき、そこへポンタとポンキチが黒こげになった魚とおこげだらけのごはんと大きさがバラバラの野菜がごろごろ入った味噌汁を運んできた。


「主、われら頑張って作ったのじゃ」


「ボタンも手伝ってくれたのだが、コゲコゲになってしまったのだ」


晴麿は、しゅんと落ち込む2匹と、机に並べられた食事に目を向け、手を合わせた。


「いただきます」


箸を手に取り、黒こげの魚をつまんで口に入れる。バリボリと噛み砕く晴麿を、クラとミチが眉をしかめて凝視し、2匹は目を輝かせてきゅーんと鳴いた。


「せっかく作ってくれたんだ。クラとミチも食え」


クラは唇を引き結んで食事を見つめ、ミチは苦笑を浮かべた。


「いやあ、ぼくら食べなくても死なんし。ポン兄弟に譲るわ」


「クラのも、あげる」


「いらぬと言うか!」


「兄じゃ、仕方ないのだ。主も無理しなくていいのだ」


憤るポンタの肩に手を置き、首を横に振りながらポンキチがなだめた。


「いや、無理というわけではないのだが」


晴麿が箸を置いて2匹に目を向けた時、茶の間に続く襖がガラッと開いて、美弥を抱えたボタンを先頭にチョウとコハクが現れた。

 美弥は一瞬晴麿と目が合い、風呂で鉢合わせした時のことが思い出され、顔が赤くなるのを感じて両手で覆い隠した。晴麿は美弥からさっと目をそらし、気まずそうに顔を歪めた。


「おいおい、お嬢の食事まだか? 用意しとけって言っただろ」


ボタンが2匹に文句を言うと、2匹は立ち上がって毬のようにぽんぽん飛びはねながら憤った。


「なんじゃ、偉そうに!」


「主にお出しするのが先なのだ!」


「なにぃ? お嬢は若の婚約者だぜ。いずれは若奥様になるんだ。先も後もねえよ。なあ、お嬢」


「あ、あの、とりあえず下ろしてください」


美弥は、恥ずかしさでふるえる声でボタンを見上げた。


「おう。ほら、ここに座ってくれ」


晴麿の向かい側に座らされ、美弥は顔を上げられずうつむき、膝の上で両手を握りしめた。


「ボタン、食事ってこれかい?」


チョウが顔をしかめて黒こげの魚を指差す。


「なんだ、あるじゃねえか。茶の間に用意してるかと思ってたのに。あるなら早く言えよ。若、おいらたちもここでお嬢と一緒に食ってもいいよな?」


「ボタン、ちょっと待ってよ。こんなのお嬢に食べさせるつもりなの?」


「こんなのとは何だよ」


「失礼なやつじゃ」


「主は食べてくれたのだ」


「そりゃあ、若はあんたたちのマズイ料理食べなれてるからいいけどさ」


「マズイじゃと?」


「食べたことないくせに分かるわけないのだ!」


2匹が出っ張っているお腹を更に出っ張らせてふんと鼻息荒く言い返す。ボタンがチョウとコハクを見ながら、焦げた魚を指差した。


「おまえも食ってみろよ。香ばしくてうまいって」


チョウが眉をしかめて、ひとつ机の中央に置かれている膳をボタンの方に押しやった。


「ボタンが食べてみなよ。ひとつ余ってるじゃないか」


「われらは、主とクラとミチのために3膳持ってきたんじゃ」


「美弥のは台所にあるのだ」


ポンタとポンキチが膳を抱え込むようにして覆い被さった。


「いやあ、ぼくらはええからあんたらで食べえや」


苦笑を浮かべるミチに言われ、ボタンとポンタ、ポンキチは中央に置かれている膳から、それぞれ魚とご飯と味噌汁を手にとって一口食べ、顔をしかめた。


「うっ、炭の味がするぜ」


「こげだらけで、かたすぎるのじゃ」


「うへっ、しょっぱいし、野菜が煮えきってないのだ」


晴麿は咳払いをして、懐から財布を取り出して美弥に渡した。


「ゴホン。美弥嬢、すまないがこれで何か好きなものを食べてくるなり、買ってくるなりしてくれ。妖怪は人のように食事をとらないから作ることは不得手で、いつもこのような出来なんだ。食事のことまで気が回らなかった。使用人を雇うべきだったな」


「いえ、私はこのお食事で十分です。私のは台所にあるのですよね。持ってきます」


立ち上がろうとする美弥をチョウとコハクが制止した。


「お嬢、待ちなよ」


「わざわざ持ってこなくても、若が好きな物買って来て良いって言ってるんだよ。今日は外で食べてこようよ」


「ですが、せっかく作って頂いたのに、申し訳ないです。これを頂いてもいいですか?」


美弥は前に置かれた膳を指してポンタ、ポンキチ、ボタンに目を向けると、2匹は嬉しそうな顔で頷き、ボタンは目を見開いて首を左右に振った。


「お嬢、やめとけ」


美弥はボタンに微笑むと、手を合わせて箸を取った。


「いただきます」


「お嬢、食うつもりか?!」


「無理しないでいいんだよ」


「やめといた方がいいよぅ」


付喪神たちの制止を聞かず、美弥は魚とご飯と味噌汁を一口ずつ食べて、ボタンとポンタ、ポンキチに笑顔を向けた。


「おいしいです。作ってくれてありがとうございます」


その場にいた全員ぽかーんと口を開けて、食べ進めていく美弥を見つめた。


「みや、すごい」


「ほんまやな。美弥ちゃん、肝座ってるで。惚れてまうわ。なあ、主」


ミチがニヤッと笑みを浮かべて晴麿を小突くと、ふんと鼻をならした。


「うるさい。食べないなら黙っとけ」


ポンタとポンキチは潤んだつぶらな瞳で美弥を見上げ、ボタンはおいおい泣き出した。


「美弥、いいやつじゃのう」


「いいやつなのだ」


「お嬢ぅ、こんなマズイの食わせてすまねえ。でも、嬉しいぜぇ」


「あたしも泣けてくるよ。なんて健気なんだろうねえ」


「お嬢、すご~い!」


コチョウは袖で目の端の涙を拭い、コハクは目を輝かせ、食べる手を止めない美弥を尊敬の眼差しで見つめた。



食事がすむと、付喪神たちは美弥を部屋に連れ行き、ゆっくり休むよう声をかけて出ていった。1人、静かで広すぎる部屋に取り残された美弥は行灯の仄かな明かりが灯る畳の上に座り、棚の上に置いてある椿が描かれた3段になっている朱塗りの化粧箱を手に取った。 

 上部の蓋を開けると鏡が現れ、立て掛けてみる。2段めと3段めは引き出しになっていて、2段めには白粉や紅、化粧に使う大小様々な筆などがあり、3段めには鼈甲の櫛や玉飾りのついた簪などが並べられている。


「きれい。でも……」


美弥は化粧箱をしまい、風呂敷に包んできた壊れた小物入れを机の上に広げた。


「この子も、ボタンさん達みたいに付喪神になっていたのかしら。なんとか直せたらいいんだけど」


ため息混じりに呟いた時、ふと気配を感じて振り返ると、目の前に髪の長い日本人形があり、悲鳴を上げてのけぞった。


「きゃあっ!」


人形がひょいと動き、クラの顔が現れ、美弥は胸を撫で下ろした。


「ク、クラさん? いつの間に」


「みや、いっしょに、ねる」


クラは人形を抱きしめ、美弥の膝の上に座った。


「へっ?」


美弥が目を丸くしていると、廊下からコハクとチョウが声をかけてきた。


「お嬢、入っていいかい?」


「一緒に寝ようよ~」


「あっ、どうぞ」


襖を開けて2人が入ってくると、美弥の膝の上を陣取っているクラを見つけ、目をつり上げて指差した。


「入るよって、クラ!」


「お嬢ひとりじめしてる! ずる~い」


「えっと、一緒に寝たいみたいで」


「あたい達もそれで来たのに」


「じゃあ、みんなで一緒に寝よう」


コハクとチョウが美弥の両側に座り、笑顔でぴたっとくっついてきて、美弥は照れ笑いを浮かべた。机の上の小物入れを見つけたチョウとコハクは、笑顔を曇らせた。


「お嬢、これって……」


「サクお兄ちゃん……?」


「ごめんなさい。破片は集めたんですけど、直せなくて」


風呂敷に一緒に包んできた巾着袋を開けて、チョウとコハクに破片を見せた。


「こんな細かいところまで集めてくれたんだね」


「お嬢、大事に持っててくれてありがとう。きっとサクお兄ちゃんも喜んでるよ」


「やっぱり、付喪神になってたんですね。サクさんっていうんですか?」


「ああ。ボタンぐらい背が高くてひょろいんだけど、桜の花みたいに美しくて優しいあたし達の兄のような存在だったんだよ」


「そうなんですね。私もお会したいです」


「あたしも会いたい。でも……」


コハクが眉を下げて今にも泣き出しそうな顔をし、チョウは小物入れをじっと見つめ、言いづらそうに口を開いた。


「本体から、サクの気配がしないんだよ」


「それって、どういうことなんですか?」


美弥が尋ねると、チョウは俯き、コハクはポロポロと涙をこぼし始めた。


「ほんたいが、こわれたつくもがみは、きえる」


「そっ、そんな! じゃあ、サクさんは?」


美弥は口に手を当て息をのんで小物入れを見つめた。


「うっ、ぐすっ、サクお兄ちゃん」


「コハク、泣くんじゃないよ。あたい達だって消えかけたけど、長安先生に治してもらってなんとかなったじゃないか」


鼻をすすりながらチョウが言うと、コハクは顔を上げて涙を拭った。


「そうだよね、長安先生ならなんとかしてくれるよね」


「長安先生?」


「てらの、ぼうず」


「そうだ、明日行ってみようじゃないか」


「そうしよう! きっと長安先生なら直してくれるよ」


「皆さんのことがみえて、直してくれる力があるなんて、凄いお坊様なんですね。私も一緒に行ってもいいですか?」


「もちろん。ボタンにも話して皆で行こうじゃないか」


「明日楽しみだね、お嬢」


「はい。長安先生は、ここの近所のお寺にいらっしゃるのですか?」


美弥が聞くと、コハクとチョウは顔を見合わせて首を捻った。


「あれ? どこの寺だっけね?」


「そういえばあたし達、猫又のトラくんに助けてもらってお寺まで連れてってもらったし、本体が直ったらトラくんにここまで連れてきてもらったから、長安先生のお寺がどこにあるのか分からない!」


「あら、どうしましょう」


クラが、肩を落とす美弥を見上げて口を開いた。


「かんべけの、となりまちの、てら」


「へっ? 神戸家の隣町?」


「そうだったのかい?」


「えー、知らなかったぁ」


3人に目を向けられたクラは、人形をぎゅっと抱きしめ、美弥を見上げた。


「ようかいのみち、いくしかない」


「じゃあ、お嬢がここに来た時みたいに、ポンタとポンキチに馬車になってもうらおうかね」


「あの馬車、ポンタさんとポンキチさんだったんですか?!」


「化狸だから、変化できるんだよ。でも、御者は若が紙で作った式だったよね?」


「紙の式、ですか?」


美弥は、黒い外套を着て背高帽子を被っていた御者の姿を思い浮かべた。


「召使みたいに動く人形のことだよ。人型の紙に力を注いで、一時的に動かすことができるんだってさ」


「きっと紙の式が長安先生のお寺まで案内してくれるよ」


「すごいわ。晴麿様はそんなことまでできるんですね」


「あした、はるま、おねがいする」


「そうしよう。お嬢の頼みだったら断らないよ」


「断ったらあたいたちが黙っちゃいないよ」


「でも、急にお願いして大丈夫でしょうか」


「だいじょうぶ。みや、くらいみち、へいき?」


「皆さんと一緒なら大丈夫です。クラさん、ありがとうございます」


美弥が微笑むと、クラはこくんと頷き、チョウとコハクは小物入れを見つめて笑みを浮かべた。


「よし、今日はもう寝ようじゃないか」


「うん。あたしお嬢の隣がいい!」


「クラも」


「あたいもお嬢の隣がいいよ」


チョウとコハクに両腕を捕まれ、クラに抱きつかれた美弥は苦笑を浮かべて洋室の寝台に目を向けた。


「あの寝台なら、皆で並んで寝られますよ」


「あたいはお嬢の枕元でいいよ」


「あたしはお嬢の頭の横がいいな」


「はい?」


「あたい達は寝るとき本体に戻るから、この櫛を近くに置いておいてほしいんだよ」


「あたしの簪もね」


チョウとコハクに櫛と簪を手渡された美弥は両手で受け取り、頷いた。


「あっ、はい。寝相に気を付けます」


「クラは、みやに、ひっついてねる」


(クラさん、かわいすぎる~!)


心の中で悶絶し、抱きついたままのクラの頭をそっと撫でた。

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