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第9話

チュン、チュン。

寝台の上で眠っているクラの顔に朝日が差し込み、小鳥のさえずりが耳をくすぐる。むくっと体を起こし、目をこすりながら広々とした寝台を見回すが、美弥の姿が見えない。美弥の使っていた枕の上に置いてある櫛と簪を両手の平の上に乗せ、じっと見つめて呟いた。


「みや、いない」


櫛と簪がぶるぶるっと震えた途端、クラの手の平から消え、寝台の上に寝ぼけ眼のチョウとコハクが姿を表した。


「ふわぁ。クラ、お嬢がなんだって?」


「うぅ~ん、あれ、お嬢は?」


「いない」


「いない?!」


「お嬢、どこ行ったの?」


チョウとコハクは辺りを見回して目を見開き、ドタバタと部屋を飛び出して行った。



「よし、できたわ。竈さん、お鍋さん、包丁さん、みんなありがとう」


土間で朝食の準備をしていた美弥は、竈と調理道具に声をかける。炊き立ての白米と、鮭の塩焼き、卵焼きに、根菜の味噌汁を並べたお盆を持ちあげようとした時、突然現れた腕がひょいとお盆が持ち上げ、美弥は驚いて腕の主を見上げた。


「ひゃっ!」


「うまそうやな~。これならぼくも食べてみたいわ」


「ミ、ミチさん!」


「おはようさん。うまそうな匂いにつられて来てもうてん。みんな喜ぶで」


廊下に出てスタスタと歩き出すミチの後を、美弥は急いで追いかけていく。


「ミチさん、私が持ちます」


「ええよ、これぐらい」


「でも……」


「ほな、襖開けてくれへん?」


「はい」


美弥が急いで襖を開けると、不機嫌そうな声がした。


「ミチ、茶はまだか」


前髪がぐしゃぐしゃに乱れ、青白い顔でしかめ面をしている晴麿と目が合った美弥は、ビクッと肩を震わせて頭を下げた。


「今すぐお持ちします!」


晴麿は目をしばたたかせ、慌てて立ち上がって美弥に腕を伸ばした。


「み、美弥嬢?! 待て、違う、俺はミチに」


「美弥ちゃん、ぼくがお茶持ってくるから、あとよろしくな。主はその顔と頭、どうにかしいや」


くすくす笑いながらお盆を机の上に置くと、ミチは居間を出ていった。

 晴麿は気まずそうに髪を撫で付けながら、食器を並べていく美弥に目を向けた。


「すまない、こんな見苦しいところを。それに、朝食もこんなにたくさん」


「いえ、勝手に土間をお借りしてしまってすいません。お口に合うといいのですが」


「いや、美弥嬢がやらずともいいのだが」


「いつも怒られてばかりでしたが、私ができることは家事と炊事しかないので、やらせてください」


「なら、頼む。昨日の食事を見ても分かると思うが、妖怪だけでは成り行かないことも多々あってな。できる範囲で構わない」


「いえ。お世話になるのでこれぐらいは。晴麿様、よろしければ召し上がってください」


食器を並べ終わり、一礼をする美弥から目をそらし、晴麿は頬をかきながら美弥の名前を呼んだ。


「美弥嬢」


「はい?」


「昨日の風呂は、その、悪かった」


頭を下げる晴麿に、美弥は顔を赤くしてさっと頭を下げて畳に額をこすりつけた。


「わ、私の方こそ、申し訳ございませんでした! 勝手に使ってしまって」


「いや、自由に使ってもらって構わない。確認しなかった俺が悪かったんだ」


「いえ、そんな」


2人が頭を下げ合っていると、襖が勢いよく開き、血相を変えたコハクとチョウが飛び込んできて、クラがひょいと顔を覗かせた。


「お嬢!」


「よかったあ、ここにいたんだね」


その後ろから、鼻を引くつかせたボタンとポンタ、ポンキチが現れた。


「おお、うまそうなにおいだぜ」


「くんくん、これは鮭の塩焼きのにおいじゃ」


「白米と味噌汁のいいにおいもするのだ」


最後にお茶を運んできたミチが入ってきて、晴麿の前に湯飲みを置いた。


「美弥ちゃんが全員分作ってくれはったし、みんなで食べよか」


付喪神たちとポンタ、ポンキチ、クラは目を輝かせ、さっさと食卓につくと手を合わせた。


「いただきまーす!」


声を揃えて言うと、パクパク食べ始め、付喪神たちは目に涙をためてご飯を噛み締めた。


「くーっ、お嬢の作ってくれためしは最高だぜ」


「あの小さかったお嬢に作ってもらう日が来るなんてねえ」


「お嬢、おいしいよ~」


ポンタとポンキチは頷きながらもぐもぐ、むしゃむしゃ食べ続けている。


「うむ、確かにうまいのじゃ」



「美弥、料理上手いのだ」


「お口に合って良かったです」


微笑む美弥に、クラが鮭を頬張りながら箸を差し出した。


「おいしい。みやも、たべる」


「はい。ありがとうございます」


手を合わせて食べ始める美弥を見つめている晴麿に、ミチが耳打ちをした。


「美弥ちゃんが来て、急に屋敷が明るくなったわ。前は通夜みたいに静かやったもんなあ」


晴麿は無言で卵焼きをつまみ、口に入れた。一瞬ぴたっと動きを止め、目を見開く。


「うまいやろ」


「何でおまえが得意げなんだ。うまいけど」


「もっとうまそうな顔せな。仏頂面してたら美弥ちゃんが他に好きな人つくって、『封印を解くなんてどうでもいいわ、あなたとは一緒にいられない』って逃げてくかもしれへんで」


「何を馬鹿な」


「いやいや、美弥ちゃんかわいいからあり得るて。ぼくが主の式神やなかったら、美弥ちゃんのこと連れ去ってたで」


晴麿は、付喪神たちと笑顔で話す美弥の横顔を見つめた。その視線に気付いた美弥に笑顔を向けられ、晴麿はさっと目をそらし、味噌汁に口をつけた。それを見ていたミチが、ぷっと吹き出し、晴麿を小突く。


「照れんでもええやん。主はほんま、うぶやなあ」


「うるさい、早く食え」


「はいはい。言われんでも食べるて」


ミチはニヤニヤ笑いながら、眉間に皺を寄せた晴麿を見た。



* * * * * * * *



「美弥、よく見ておくのじゃ」


「変化なのだ!」


縁側の前に並んで立っているポンタとポンキチが、それぞれ、緑色と紺色の唐草模様の風呂敷を頭巾のように頭に被り、人差し指だけを立てて指を組み合わせると、ポンと音がしたと同時にもくもくと白い煙が2匹を包み込んだ。煙が晴れると、2匹がいた所に、美弥が乗ってきた馬車と馬が現われた。


「すごいです! あの時の馬車は本当にポンタさんとポンキチさんだったんですね」


目を輝かせて拍手を送る美弥に、馬に化けたポンキチが得意げな顔でブルルンと鼻を鳴らした。


「あとは御者だな」


晴磨が懐から手のひらに収まる大きさの人型の薄い紙を取り出し、目を閉じてまじないを唱えた。


「式よ、我に仕えたまえ。急急如律令」


ふっと息を吹きかけると、紙はあっという間に、黒い外套を着て背高帽子を被っている御者の姿に変わった。美弥はパチパチと瞬きを繰り返して感嘆の声をあげた。


「うわあ。晴磨様、凄いです!」


「主、良かったなあ、美弥ちゃんにほめられて」


ミチが晴磨に耳打ちをすると、晴磨は眉をしかめて聞こえないふりをした。


「晴麿様、急なお願いを聞いて頂き、ありがとうございます」


美弥が頭を下げ、晴麿は美弥が抱えている風呂敷に目を向けた。


「長安殿なら直せるかもしれないが、ボタン達のように姿を取り戻せるかは分からない。あまり期待しないでおいたほうがいい」


「はるま、いじわる」


クラがじとっと晴麿を見上げる。ミチは頷き、晴麿の肩にポンと手を置いた。


「そんな言い方せんでもええやんか」


「期待しすぎて叶わなかったら、辛い思いをするのは美弥嬢だ。できなかった時の事も考えておいた方が心痛が少なくてすむ」


「晴麿様、お気遣いありがとうございます」


(一見分かりづらいけど、優しい方なのかも)


美弥が微笑むと、晴麿は馬車の扉を開けて手のひらを差し出した。


「どうぞ、乗って」


「は、はい。失礼、します」


風呂敷を片手で持ち、晴麿の手のひらの上にちょこんと指先を乗せて馬車に乗り込んだ。


「おまえ達も乗れ」


晴麿に言われて、付喪神達が次々と乗り込んでいく。


「あたしお嬢の隣がいいなあ」


「あたいもだよ」


「おいらも隣が……無理か」


コハクとチョウが、美弥を挟んでぎゅうぎゅうに詰めあって座っているのを見たボタンは言葉を切って、空いている向かいの席に腰を下ろした。


「コハク、チョウ、美弥嬢を潰す気か。どちらかボタンの隣に座れ」


晴麿が呆れ顔で言うと、2人は口を尖らせ、美弥にぎゅうっとひっついた。


「えー、お嬢の隣がいいよう」


「ボタンの隣の方が狭っ苦しいよ」


「私は大丈夫ですよ。隣にいてくれると安心します」


「やった~!」


「お嬢がそう言ってるんだからいいだろ、若」


晴麿は喜ぶ2人にため息をつき、やれやれと肩をすくめた。


「美弥嬢、長安殿は少し変わっている御坊だが、金を渡せば直してくれるはずだ。ボタン、さっき渡した巾着袋は持ってるな」


「おう。ちゃんとここにあるぜ」


ボタンは懐をポンと叩いて胸を張った。


「そんな、私のお願い事なのに、晴麿様にお金を払ってもらうなんて、申し訳ないです。受け取れません!」


美弥が首をブンブン横に振る。


「気にしないでくれ。仮にも美弥嬢は俺の婚約者だ。金は好きに使って構わない。じゃあ、道中気をつけて。おまえ達、美弥嬢を頼んだぞ」


早口で言うと、晴麿はバタンと扉を閉めた。付喪神達はくすくす笑みを浮かべ、扉の外の晴麿達に手を振った。


(そう言われても、晴麿様のお金を使って直してもらうなんてできないわ。長安先生にお金を払う以外の方法で直してもらえるよう頼み込まなきゃ)


美弥は手を振りつつ、内心決意を固め、風呂敷を握る手にぐっと力を込めた。


「ヒヒーン」


 馬に化けたポンキチが嘶き、馬車が動き出す。縁側から裏門に向かって走り出し、そのまま外に出るかと思いきや、門を出る直前に窓の外暗くなり、妖怪の使う影の道に入ったことが分かった。


「本当に真っ暗なんですね。ポンキチさんは道が見えているんですか?」


「あたい達は暗闇でも昼間と同じぐらい見えてるよ。でも、影の道は人間の道とは違って景色は何もない一本道だから、見えてても見えてなくてもあんまり変わらないんだけどね」


「それじゃあ、どうやって目的地に行くんですか?」


「うーんとね、どこどこに行きたいって思い浮かべながら進めば、辿り着けるんだよ」


「それは便利ですね」


「長安先生の寺の名前とか、町の名前とか、目的地がちゃんと分かってないと駄目だけどな。若の作ってくれた御者が道案内してくれてるから、ポンキチは分かってないと思うぜ」


「あら、そうなんですね。皆さんに協力してもらって申し訳ないです。私もサクさんが付喪神に戻れるようできることは何でもします!」


美弥が意気込むと、ボタン、コハク、チョウは風呂敷を見つめて頷いた。


「おいらも何でもやるぜ」


「あたいもだよ」


「あたしも。サクお兄ちゃんに会いたいもん」


「皆さん、ありがとうございます」


美弥は頭を下げ、膝の上の風呂敷をそっと撫でた。


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