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第10話

「ヒヒーン」


暗闇の中を走り抜けていた馬車はいつの間にか陽の当たる明るい表の道に出ていた。ポンキチが嘶くと馬車は止まり、御者が扉を開けた。ボタンが先に降りて手を差し出し、美弥は手を添えて馬車を降りた。目の前には延々と上に続く石段があり、一段目の左横に「金厳寺」と彫られた石碑が建っている。


ポン!


美弥の背後で弾けるような音がして振り向くと、煙の中に風呂敷を被ったポンタとポンキチが現われた。


「わしらはここまでじゃ。帰る時はこの式を主のもとに送るのじゃ」


「主のもとに戻れと言えば戻るのだ。そしたらまた我らが迎えにくるのだ」


「ポンタさん、ポンキチさん、ありがとうございました」


美弥が一礼すると、2匹は手を振ってすうっと消えていった。


「あら、消えちゃったわ」


「影の道に戻って行ったんだよ」


「そうなんですね。帰り道は分かるのかしら?」


「大丈夫だよ。若のおうちに戻ればいいって分かってるからね」


「目的地が分かれば戻れるんでしたね。良かったわ」


胸を撫で下ろす美弥に、ボタンが石段を見上て顔をしかめた。


「こっちは良くないぜ。すげえ長い石段だ」


「そういえばあたいたちは、影の道で寺の中まで連れてきてもらったし、若のところに行く時も寺から直接影の道で向ったから、こんな石段があるなんて知らなかったよ」


「石段の上で降ろしてくれたら良かったのに。ねえ、お嬢」


「ここまで連れてきてもらっただけでもありがたいですよ。皆さんは本体に戻ってください。私が皆さんを運んで石段を登ります」


「何言ってんだい。お嬢にそんなことさせられるわけないじゃないか」


「ボタン、よろしくね」


チョウとコハクは、櫛と簪を髪から抜いてボタンに渡し、すうっと姿を消した。


「しょうがねえな。よし、お嬢、行くぞ」


櫛と簪を懐に入れたボタンに声を掛けられた美弥が頷き、石段を登り始めようとした時、ふっと体が浮いて気づいたらボタンに横抱きにされていた。


「うえっ?! ま、またですか? 私、歩けますぅ。下ろしてくださいぃ」


恥ずかしさで顔を赤らめた美弥が足をばたつかせて抵抗するが、ボタンは気にせずさっさと石段を登り始めた。


「お嬢、あんまり動くと落ちるぜ。すぐ着くから大人しく掴まっといてくれよ」


「えぇぇぇぇ! 恥ずかしいですぅぅぅ」


「ガハハハ! 何も恥ずかしくねえって!」


ボタンは笑い声を上げながら三段飛ばしで走って登って行った。ボタンが石段を登り切るまで、美弥は恥ずかしさのあまり目を閉じて風呂敷をぎゅっと抱きしめていた。



「よし、着いたぜ」


「……ありがとうございました」


体を強張らせていた美弥はようやく地面に下ろされ、ほっと息を吐きだした。ボタンが懐から櫛と簪を取り出すと、チョウとコハクが現れた。


「ボタン、ありがとね」


「ボタン、お疲れさま。うわあ、懐かしい! 長安先生のお寺だ」


コハクが砂利の敷かれた広々とした庭と、目の前にそびえ立つ大きな反り屋根が目立つ本堂を見上げて笑みを浮かべた。チョウとボタンも笑顔で頷き、木製の階段を登って本堂の中に入って行った。美弥も後に続いていくと、廊下を挟んで正面に畳が一面に敷かれた広間があり、奥には高い天井にまで届きそうな仏像と、木魚、読経の際に鳴らす大きな湯呑のような形をしたかねが置かれている。


「あれま、誰もいないじゃないか」


「真面目にお勤めするタイプじゃないだろ。奥で寝てるんじゃねえか?」


「きっとそうだよ。あっち行ってみよう」


コハクは美弥の腕を掴み、廊下の角に向かって歩き出した。


「勝手にいいんでしょうか?」


「大丈夫、大丈夫。あっ、なんか声が聞こえるよ。やっぱり奥にいるんだよ」


スタスタ歩いて行くコハクに引っ張られるようにして廊下の角を曲がると襖があり、部屋の中から男の怒声が聞こえてきた。


「おい、この札全然効かないじゃねえか! ぼったくりやがって!」


ボタン、コハク、チョウは襖に耳をつけて顔を見合わせた。


「なんか怒ってるみたいだな」


「長安先生のお札は小物の妖怪なら効き目あるんだけどねえ」


「すっごい怖い妖怪に困ってるとか?」


「長安先生は妖怪退治もやられているんですか?」


「ちょっとしたいたずらをする妖怪の類なら、長安先生の気を込めた札で祓えるんだぜ」


「阿倍野家もそうだけど、神部家の力も弱まっているから、雑魚妖怪が人間にいたずらすることが増えたんだよ」


「だから良い商売になるって、鼻歌歌いながら札作って売ってたよ。しかも、強い妖怪に困ってる人には、若から札を買って転売までしてたんだから。あっ、じゃあ、今文句言われてるのって、若の札とか?」


「うへえ、それは若にも責任あるぜ」


「若の札が効かない妖怪がいたら、長安先生が若に話してるさ。若がクラとミチを連れて退治すればいいんだよ」


「神部家の隣町なのにどうしてわざわざ遠くに住んでいる晴麿様から札を買っているんですか?」


「ああ、それは……」


ボタンが答えようと口を開くと、さっきよりも大きい怒声がボタンの言葉を遮った。


「これだから寺はダメだな! 華族に支援されねえと存続できないくせによ。他の寺みたいに潰れてしまえ!」


「こんな立派なお寺にそんなこと言うなんてひどいです」


「ひどい、ひどい!」


「そういえば、仏教の排斥運動が広がってるらしいじゃねえか」


「何で神社ばっか優遇して寺を潰そうとするのかねえ。人間のやることは分からないよ」


「はあー。また面倒な奴が来てたのか」


突然背後で溜め息をつかれ、美弥と付喪神たちはぎょっとして一斉に振り返った。


「あ、トラじゃねえか!」


「トラ、久し振りだねえ」


「トラくんだ!」


付喪神たちは、背後に現われた白衣に黒い腰衣を着た小僧に目を丸くして、親し気に声をかけた。


「よう。久しぶりだにゃ」


トラの頭からピョコン、ピョコンと耳が飛び出し、白いひげが両頬からピンピンと生えてきて、お尻の方からたらーんと虎柄の尻尾が伸びてゆらゆら左右に揺れた。


「ね、猫?」


人間の顔に猫の要素が加わったトラに驚く美弥に、チョウがトラの頭を撫でながら笑みを浮かべた。


「トラはね、普段は人間の小僧に化けてる猫又なんだよ。気を抜くと猫が出てきちゃうんだよね」


トラははっとしてぎゅっと体を縮こまらせ、耳とひげと尻尾を引っ込め、チョウを見上げた。


「久しぶりにおみゃあたちに会ったから気が緩んだんだい。この人間の女はだれにゃんだよ」


「美弥と申します」


美弥が頭を下げると、ボタン、チョウ、コハクが胸を張って美弥のことを紹介した。


「おいら達の主だ」


「前に話したお嬢だよ」


「若のおかげで再会できたんだよ」


「そうか。主に会えたか。良かったにゃ。わざわざそれを言いに来たのか?」


「それが、長安先生にお願いしたいことがありまして」


「いくら高名な僧侶だって言ってもな、大量の札が一晩で幽霊に燃やされてたら力がないのと同じだろうが! 金ばっかとりやがって、馬鹿にしてんのか!」


美弥の言葉は怒鳴り声にかき消されてしまい、美弥は肩をすくめた。


「ちっ。あいつ、この間も文句言いに来たのに、また来やがって。長安のせいじゃにゃいっていってんのによ」


「トラ、何があったんだよ」


「夜な夜な女の霊が枕元に現われて、金縛りにあっているんだと。お札を渡した夜は来ないが、次の日には幽霊が出るから、一晩しかもたない安いお札に、高い金出せるかって前に文句を言いに来たんだ。あいつ、ここら辺では顔の利く質屋で、さすがの長安も変な噂流されたらかなわにゃいってんで、安価で大量に札を渡したんだが。どうやら一晩で燃やされたって文句を言いにきたようだにゃ」


「もしかしてその札、若の札か?」


ボタンがおそるおそる尋ねると、トラは頷き、ボタンは項垂れた。


「ああ、若のせいか」


「ちょっと待ちなよ。妖怪じゃなくて幽霊って言ってたじゃないか。若も長安先生も幽霊は専門外じゃないのかい?」


「人間からすれば妖怪も幽霊も同じみたいにゃ。札が効かないのは師匠のせいでも晴磨殿のせいでもないにゃ」


「あの、どうして神部家ではなく晴磨様のお札を使っているのですか?」


美弥が先ほど聞けなかった質問をトラにすると、腕組をして首を傾げた。


「おみゃあは、神部家の令嬢なのに分からにゃいのか? 神戸家は阿倍野家より力が弱まってきているから、排斥の風潮にある寺とは縁を切って、神社とだけ手を組んでお祓いの依頼を得てるんだ。以前は神部家とも親交があったが、付喪神たちをおらが晴麿に預けたことがきっかけで、今は晴磨と個人的に仕事のやり取りをしてるんだい」


「そうだったんですね」


「そうにゃ。妖怪からすれば、人間を守ってきた阿倍野家と神部家が力が弱まってきているのは有難い話だが、人間からしたら不安になるだろうにゃ」


怒鳴り続けている男の声が聞こえてくる襖を見て、トラは眉を寄せた。


「トラさんは、神部家と阿倍野家の力が弱まっている方が良いですか?」


「人間の力が弱まった方がいい……とは一概には言えにゃい。おらは力が弱いから、他の妖怪から食われちまう。食われそうになったところを、師匠に助けられたんだい。だから強くなる修行をして、助けられた恩を返そうと思ってるんだにゃ」


「まあ、まだ守ってもらってるんだろうけどな」


ニヤニヤ笑みを浮かべるボタンに言われたトラは、猫の目のように瞳孔を見開き、牙と爪をむき出してフシャーっと威嚇した。


「にゃにぃ! おらが師匠を守ってんだい!」


「じゃあ、あれを何とかしてあげなよ」


チョウが襖をちょっと開けて、立ち上がって憤る髷を結った着物姿の町人の男を指差した。


「い、行ってやろうじゃにゃいか」


トラは拳を握りしめて襖に手をかけるが、足が震えて一歩踏み出せない。美弥が襖の隙間から中を覗くと、顔を赤らめて怒鳴る男と、毅然とした態度で向かいに正座している僧侶が見えた。


「ああ、拉致が明かねえ。とにかく金返せ!」


「いや、それは致しかねる」


「ああん?!」


男が腕を振り上げ、僧侶に殴りかかろうとする。美弥は咄嗟に襖を開けて部屋の中に飛び込み、両手を広げて僧侶と男の間に割って入った。男と僧侶は突然の美弥の登場にたじろぎ、眉をしかめた。


「何だ、おまえは?」


「誰だい?」


「あ、えっと、通りすがりの者です。あの、お札の効力がなくなるのにはなにかわけがあるのかもしれません。それが分からないのに、長安先生を責めるのは良くないです。それに、手を上げようとするなんて、もっと良くないです」


美弥に言われた男は顔をしかめ、声を張り上げた。


「おまえには関係ないだろうが! 女がでてくんじゃねえ!」


男が手を振り上げると、ボタン、チョウ、コハクが現われ、美弥をさっと長安の後ろにどかした。男の腕は空振り、誤魔化すようにふんと鼻を鳴らして廊下に出た。


「今日のとこは勘弁してやるよ。金返すまで通い続けるからな」


男は襖をバシッと力いっぱい閉め、ドスドス足音を踏みならして去って行った。


「やれやれ。やっと帰りなすった。で、トラ、そのお節介そうな娘っこは誰なんだい?」


付喪神たちはトラの前にずいっと歩み出て、声を揃えて答えた。


「お嬢だ!」


「はあ。お嬢とな?」


長安に怪訝な顔を向けられた美弥は顔を赤らめて深々と頭を下げた。


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