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第8話 招かれざる客

 さて、卯の花には祓の力がある。

 それが故ににえとされたのかいなかは、もはや知るすべはないのだが。


 本人には確たる自覚は無いのだが、なんとなく雰囲気でけがれを感じたり、それをしずめたりといった、常人離れしたことが可能である。


 まれに、そういう異能ちからを持つ者がいる。

 持って生まれた性質で。あるいは修行によって身に付いた力で。

 神仏に愛されているのだとか、ものきだとか、鬼子おにごだとか。

 言われようは様々だが。


 それが故にか、卯の花の舞はただ美しいだけのものとは違い、鎮魂ちんこん慰撫いぶの効果がある。


 見た目の佳麗さだけならば、他の伎女ぎじょたちの方がまさりさえする。


 だが、卯の花の舞を見た者は感激し、あるいは涙し、手を合わせる。

 視える者には、なにやら光や花が舞う様が見えるらしい。


 散華の様に。


 過剰な扱いだと、卯の花自身はいささうとんでいるのだが、周囲は有り難いものとして卯の花を扱っている。


 困ったものだと思う。

 何故ならば。


「卯の花の君とやらは居られるか」


 こうして、呼びもしないのに訪れてくる客があったりするのだ。

 それも割と頻繁に。


院蔵人いんのくろうど藤原重隆ふじわらのしげたかだ。少し付き合って貰いたい」


 表は紅、裏は紫の岩躑躅いわつつじかさねのよく似合う、二十歳そこそこの青年だ。

 勿論、面識など無い。

 うんざりした表情で、卯の花は頭預に視線を向けた。


頭預せんせい、すみませんがの様です」


 頭預が鷹揚に頷いた。


「一応お聞きしましょう。重隆様、御用向きは検非違使けびいしのお仕事でしょうか」


 検非違使庁は多くの役職を衛門府えもんふと兼帯している。

 基本的に司法警察のことをつかさどっていた。

 またけがれの排除、つまりは諸々の掃除なども検非違使配下の仕事である。

 正確には、その下部しもべ放免ほうめんの仕事であった。

 放免は、元は犯罪者などで、はからいを持って検非違使庁に採用した者たちである。


 穢れの現場の掃除はともかく、はらい清めるのは陰陽師おんみょうじなどが当たる事が多いのだが――


 卯の花は、検非違使関連でよく声が掛かるのだ。


「いや、私は検非違使ではないのだが、まあ似たような理由で参った。先日、住吉社すみよししゃで穢れがあったのをご存じか」


「多くの方が、池に落ちて亡くなられたとか」


 頭預はそっと睫毛を伏せる。


 三月七日。

 住吉社の神主が大伽藍だいがらんを建立した。

 その供養にと、当国他国の結縁けちえんの輩が数千にも集まり、隙間の無い程に混み合ったという。

 法会ほうえを成し遂げ、検非違使庁の下部しもべなどが、つどった者たちを打ち払う際に、事故が起きた。

 老少男女数十人が、池に落ちて亡くなったのである。


 三月九日。

 だがそのことを知らないでいた僧や、楽人の紀清任きのきよたか左近衛府さこのえふ主典さかんらが住吉社に立ち寄り、こともあろうに、そのまま宮中に参内してしまったのだ。

 結果、およそ天下の人々が多くけがれに触れてしまったという大事件である。

 遂には石清水臨時祭いわしみずりんじさいを延引するにまで至っている。


 ――それがつい先日、十六日の事。


 確か石清水八幡宮いわしみずはちまんぐうは二月にも怪異があり、軒廊こんろうぼくされていた筈だ。


 軒廊とは、屋根つきの渡りろうの事だが、特に紫宸殿ししんでんから宣耀殿せんようでんに続く廊を言い、また、天変地異や不吉な事態が発生した時に此処で行われた占いの事を言った。


 今年も始まったばかりから、何とも怪異や穢れの多いこと。

 火事もあったし、地震もあった。


 何となく、不吉な年になりそうな予感がした。


(当たらないで欲しいけど)


 卯の花はこっそりと鼻の頭に皺を寄せた。


 ちまたの不穏な空気は、今年に始まったものではないけれど。

 奥羽おううでは内乱こそ収まったものの、戦後処理は今もごたついているというし。

 延暦寺が朝廷を呪詛しているなどという、とんでもない噂もあるし。

 しかもそれは、玄明によるならば、どうやら噂ではなく事実らしいし。


(今年に始まったことではないか……)


 流石は末法の世。

 混沌この上なし。


 卯の花は思わず遠くを見る目になった。


「院が御心を痛めておられる。それゆえ池の周りを今一度はらってもらいたいのだ。舞の一つも舞ってくれればいい」


 いとも簡単に言ってくれる。


「陰陽師は」


 それは官人陰陽師だけを指しているのではなく、市井にあまた居る法師ほうし陰陽師やら隠れ陰陽師たちのことをも含めていた。

 むしろ彼らの独壇場とも言えるだろうことだ。

 金さえ積めば、いや、白河院の御指図ともなれば。

 我こそはと、名乗りを上げる者は多かろうに。


 胡散臭い者が多いのは否定しないが、中には官人陰陽師顔負けの腕利きも居るのだし。

 その辺は、白河院ならば当然のこと、把握しているだろうと卯の花は思った。

 そういう仕事は彼らの領分である。


「多忙だそうだ。陰陽博士おんみょうはくし殿が内教坊ないきょうぼうに適任が居ると、卯の花の君の名前をな」


 重隆しげたかの言葉に、卯の花は今度こそはっきりと、鼻の頭に皺を寄せた。 


 確かに多忙ではあろう。

 触穢しょくえで数々の物事が滞っているのだ。

 官人かんじん陰陽師ばかりでなく、法師ほうし陰陽師やら市井のかくれ陰陽師たちまでもが都中を、あるいは都の外に至るまで、東奔西走しているに違いない。

 あるいははふり、巫女などまでも。


 次から次へと仕事は舞い込み、手が回らないことは想像に難くない。


 だがしかし。


(あのクソオヤジ、面倒事丸投げしやがったな)


 超がつくほど有能な陰陽博士である玄明はるあきらは、これまた超のつく面倒臭がり屋である。

 自分が出向けば、即時解決であるだろうに。


 不満気な卯の花に気付いたのか気付いていなかったのか。

 頭預は卯の花に視線を向けた。


「であるならば。卯の花の君、行って差し上げなさい。これもまた修行の一つです」


「心得ました」


 小さな溜め息を、ひとつ。

 頭預に一礼し、卯の花は重隆に向き直った。


「では、参りましょうか」



 卯の花は重隆しげたかの隣を歩きながら、深く深く溜め息を吐いた。

 先程から視線が痛い。


「言いたいことがあるならどうぞ。そんなにちらちらと見られては、どうにも気分がよくありませんので」


「すまない」


 気まずげな重隆を見上げ、卯の花は軽く首を傾げてみせた。


「この白髪のことですか? それとも髪形の方ですか?」


「……よく聞かれるのか」


「そりゃあ、まあ」


 卯の花の髪は白に薄墨色の混じった、老人の様な白髪だ。

 もとは黒髪だったようだ。

 白変したのはにえの事件の後であり、疲労やら心労やらが原因と見られている。


 ――だが、それも憶測であり、詳細は不明のままであるし。

 説明するにも色々面倒なので、生来のものということにしている。


 そして髪形は今時の女性には珍しく、高髻こうけいにしてある。

 高髻とは、髪を纏めて頭頂部でまげを作り、二つの輪を作る。

 余った髪を髷の根元に十文字に巻き付けたものだ。


 言うなれば二、三百年前の流行である。

 目立たないわけがない。


「髪の色は生来のもので、上尸じょうしなどの所為ではありませんし。髪形の理由は、舞う時にこの方が邪魔にならないからですよ」


 上尸とは三尸さんしの内の一匹で、三尸とは人間の体内にいると考えられていた虫である。

 頭と腹と足に上尸、中尸、下尸が居て、上尸は白髪や皺を作ると言われている。


 三尸はいつもその人の悪事を監視しているといい、庚申の日の夜の寝ている間に天に登って天帝に日頃の行いを報告し、罪状によっては寿命が縮められたり、その人の死後に地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕とされると言われていた。


 そこで、三尸の虫が天に登れないようにするため、庚申の日は寝ずに酒盛りなどをして夜を明かした。

 これを庚申待こうしんまちという。


 内教坊ないきょうぼうの伎女が、庚申待の宴に呼ばれることも少なくない。


 閑話休題。


「そういうものか。意外な答えだ。かたくなに伝統を守っている、お固く古い内教坊、と聞いていたからな」


 古臭い物の代名詞のように言わないでもらいたいが、古式ゆかしく舞を習練する者が多いのも事実だ。

 流行りの今様いまようなどを歌ったりもするが、それはたわむれ事。

 新しい舞を取り入れもするが、古き良きものをそのままに、後人へ伝える。それが内教坊だ。


 時折、斬新な創作舞を披露する者も居ないでは無いが、極めて少数である。

 常に流行の最先端を行く、華やかな後宮の女房らと比べれば、見劣りするのも当然というもの。

 俄然がぜん、対抗意識を燃やしている射干玉ぬばたまのような者も居ない訳では無いが、少数だ。


「いいえ。合理性の賜物です。前髪に櫛を差した方も居たでしょう。あれも汗が垂れにくいという利点があります」


 それもまた、後宮の女房らからするとはなはだ流行遅れである。


「なるほど」


「欠点は少し目立つ事ですかね……」


 今はかずきをしている為、誰も気に留めることはないが、古風な髪形の若い娘となれば、好奇の視線が飛んでくる。

 白髪であれば尚更だ。


「まあ、目立つだろうな」


「はい。目立つんです。ところで重隆しげたかさま」


「呼び捨てで構わん。ただの雑用係の使い走りだ。陰陽博士おんみょうのはくし殿のご息女に様付けされると、何とも言い難い心持ちになる」


 ちら、と 卯の花は視線を上に投げる。

 重隆の嫌そうな表情が見えた。唇がへの字に引き結ばれている。


「ひょっとして重隆さま、うちの養父ちちと何かありました?」


「いや、だから”さま”はいらない。 卯の花の君」


「はい」


「聞かないでくれ」


 重隆の悲痛な声音に、卯の花はただこくこくと頷いた。


 養父は、否、養父たちは。

 それぞれなんとも灰汁アクの強い所のある者たちであった。

 出過ぎた杭は打てないというか、なまじ有能な為、手出しできないというか。


 厄介者であるのは、娘の目から見ても間違いない。

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