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第7回

「って、まさかっ」


 シャンリルは、タガーがもしやと止めたその言葉を、己の内より導き出そうとはしなかった。ただ沈黙する。

 その重い沈黙が、言葉よりも明確にタガーの推測を確信に変えた。


 冷たい汗が全身から噴き出し、流れる。その前で、シャンリルは袖ロでずっと震え続けていた拳を壁へと打ちつけた。


「おいっ?」


 突然の激に驚き、反射的に手を伸ばす。その先でうなだれたまま、シャンリルは聞こえるぎりぎりの声でつぶやいた。


「……わたしは、どうして結界師なのでしょうね……」


 今までの彼らしくもなく、己を嘲る響きがその声にはあった。いや、むしろ自嘲しかなかったというべきか。

 己への憎悪と絶望はもうれ尽きてしまったような、ただ深い闇ばかりが感じ取れて、タガーは開いたロをそのまま閉じた。


「魅魎の侵入を防ぐための結界を、ただ張ることしかできない。それも、自分の力を上回る敵の前には何の役にも立たず……。

 わたしは、ただ逃げろとしか言えなかった。恐るべき力で町を破壊し、楽しげに笑って人を殺す存在を前に恐怖し、泣き叫んで逃げ惑う彼らを護ることも……一緒に死んであげることさえできなかった……」


 どうやらシャンリルは、この町が襲われた時のことを思い出しているようだった。


 彼の張り巡らせた守護結界を破り、人を惨殺した魅魎。結界を破ってなおそれだけの力を持つのであれば、おそらく魅妖だろう。

 安全な場所を求めて逃げ惑う者たちをここへ導き、その脅威が過ぎるのを待った。それが防御を受け持つ結界師の役目。正しい処置だ。

 その間、魅麺の気をひき、人や町への被害を最小限にくい止める存在がタガーのような攻撃を受け持つ魔剣士だが、この町には配備されていなかったのが悲劇を悪化させる原因となったわけだ。


 だがそれを嘲るわけにはいかない。ここは弱小国シシャルカータのさらに辺境の地であり、だからこそ、タガーのような『流れ』が好んで訪れるのだから。


 そして、シャンリルを責めるわけにもいかなかった。

 彼が何も手を打とうとしなかったはずがない。あの目は、その代償なのだ。そうして彼は今、己を裁き贖罪しょくざいを得る前に、ここに残っている者を導くという役目がある。


「……しかたねえよ。持ってる力が違うんだからさ」


 沈黙の歯痒さにポリポリと頭をかきながら、それだけを言う。

 その、不器用な慰めという、タガーからの初めての歩み寄りに、シャンリルも少しだけ、面を上げた。


「せめてわたしもあなたのように魔剣士であったなら、たとえこの命にかえてでも、あの娘たちを守ってやれるのに……」

「! やっぱりそういうことか!?」


 血相を変えて叫ぶタガーを前に、シャンリルは乱れた前髪を指で梳いて正すと、タガーについて来るようにうながして歩き出した。


「ティカナたち10名は、今夜、町外れの崖下へと向かいます。魅魎への貢ぎ物として選ばれたのです」

「何をばかな! 笑って喰われるのがオチだ!」

「ほかの者たちは、それで満足してもらい、見逃してもらえると信じています」


 何も読み取れない青白い面で淡々と語る、シャンリルの存在自体が信じられない思いで、タガーは頭を振った。


「んなの通じるかよ。相手は人の命なんか、肩におりた埃ほどに気にかける価値もないと考えてるような化物だぞ?

 結界師のおまえだってよく知ってるだろうが」

「それだけ恐怖だったんですよ、あの襲撃が。

 魅魎の本当の恐ろしさを知らず生きてきた彼らにとって、あの悪夢の出来事は残酷な死というものを最も身近に感じた瞬間なのです。

 結界師のわたしも、まだ心から消し去ることができないのですから、彼らの内を占める恐怖は到底はかりしれないものでしょう。

 生賛を捧げればきっと見逃してもらえるに違いない、などと、こんな、淡い願望に全力ですがらねば正気のまま今日という日を過ごすことができないほど、彼らにとって魅魎の襲撃は凄まじい、恐ろしい出来事だったのです」


 再び重く冷たい沈黙が部屋に満ちた。

 シャンリルの告白に対し、今度ばかりはタガーも先までの軽ロをたたこうとはしない。

 魅魎の恐ろしさは、幾度も対峙してきたタガーも知っている。そして同じ人間として、死を何よりも恐れる心は痛いほど理解できるからだ。


 死を恐れる気持ちを、臆病などと嘲ることはできない。死を恐れるからこそ、生きたいと思う気持ちが生まれる。何があっても生きたいと、ひたすらもがくことが生きているあかしなのだということを、タガーは知っていた。

 そしてそういう者こそが、生きる権利を主張できるのだ。


「……おまえが止めなきゃいけないことだろ……」


 ぽつり、そうロにするが、その中に期待は微塵も含まれていなかった。

 町を守れなかった結界師の言葉ほど、みじめなものはない。聞き入れられるわけが、ない……。


 必ず起きると分かっている惨劇にさえ、わたしはまたもや無力なのです……。


 声にならないつぶやきを噛みしめ、握り締めたこぶしに力をこめることで、必死に己への怒りと憎しみ、悲しみに堪えようとするシャンリルを見て、タガーは重いため息をついた。


「つまり、旅人の俺も頭数としてそこに入れようと考えられてたんだな?」

「……おそらく。そうでしょう。あなたの肌の色はここではめずらしいし、そういったを喜んでもらえるかもしれないという打算と……単純に、1人交代させることで町の者が1人救えるから」

「なるほどな」


 らしくない。

 らしくないぞ、と叱咤する。

 まったく、俺らしくない。この程度のことで流されるようじゃ、『流れ』失格じゃないか。


 こんなこと、ここに限ったことじゃない。こんなの魅魎に襲われた場合の典型で、ここに限っての特にひどいことじゃないんだぞ? そんなのにいちいち同情してつきあってたら、こっちの命が足りなくなるってのに。

 まったく。

 ああ! まったく、らしくないったら!


「荷物」


 ガリガリッ、と要らぬことを考えている頭を強くかきむしりながら、ぼそっ、と言う。


「タガーさん……?」

「荷物、さっさと返せよな。魔剣がないと、魅魎退治はできねえからなっ」


 ふてくされた声でそう言ったタガーの言葉を聞いて、シャンリルの顔が輝く。


 あれは絶対に、そう言うと思っていたという顔だ、とタガーは決めつけて、しぶい顔をもっとしぶくする。

 シャンリルの思惑どおりに動くのはシャクだが、あの少女にそんなまねをさせるわけにはいかない。

 それだけは、絶対に!


「ただし! 礼金はちゃんともらうぜ。割増でな」


 しっかりと釘を刺すことを忘れない。


「ま、この道10年の俺に任せとけって」


 そうつけ足して、自信に満ちた顔をして笑うタガーに、自分を力づけようとしてそんな冗談まで口にしてくれている優しさを感じて、シャンリルもまた、笑みを浮かべたのだった。

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