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第12回

●魘  魅


「風乱だとおーっ!」


 叫びつつ顔面にきた力を剣で弾き飛ばす。周囲に降り注いだ数多くの真空の刃による縦揺れに足をすくわれないよう踏みしめながら、タガーは腹立だしそうに舌打ちまで入れた。


 魅魔・皇焔輝の眷属、魘魅・風乱。

 やつは確かにそう名乗った。ってことは、つまり、あいつは魅妖じゃないってことか? 魅妖でなく、その下の、魘魅!


「ざっけんじゃねえ!」


 跳び、落ちろとばかりに振り切る剣は、しかし宙を薙ぐ。横の木の枝を払っただけの攻撃。

 降り立った先に、待ち構えていたようにカミソリのごとく鋭利な風が舞う。それを見越して自ら前に跳んだタガーの足先が放れた直後、ズン、と音をたてて地面が円状にえぐれた。


 一転、二転とかわすタガーのあとを追うように地は円を描いて沈んでゆく。白木は乾いた音とともにへし折れ、わずかについていた葉は風乱の周囲を取り巻く風にちぎれ飛び、風に舞って地に落ちるころには粉々になっていた。


「どうした? たかがこの程度で手も足も出ないのか」


 先までの場所から1ミリもずれない宙空で、クク、とのどを鳴らして嗤う風乱の背後、月が完全に姿を現す。

 さながら嵐の前触れのように急速に流れる雲。風乱の起こした風の対流ははるか高処にも影響しているようだ。


 その点から見れば、風乱の力もあながち侮れたものではないな。

 巻き上げられた小石や砂で傷ついた体を木の後ろに庇いながら、タガーはそう考える。


 町をおとし、結界師から視力を奪った魅魎。

 てっきり魅妖だとばかり思っていたタガーとしては、どうもだまされたような気がしてすっきりしない。まさか魘魅だったとは。


 魔魅は魅魔や魅妖などが己の力の一部を移送させた物に人格を与えたもの。その出来は与えた主である魅魎の力の強弱に比例する。

 主が上級魅魎の魅魔であるということに加えて、あれだけの美貌を持つのだからそれ相応の力の持ち主であるのは間違いないとは思うが。


「ちょっと間に受けちまったかな?」


 切々と説いていたシャンリルの姿を思い起こし、責めるようにぼやく。

 だが口ではそんなふうに不満をこぼしつつも、タガーの表情はいきいきとして、満足げだった。


 まさかこんなふうにやつの配下と出会うとは。

 これこそ、望外の幸運と呼ばずして何と言うか。


(あの野郎に連なるものは、魘魅だろうが妖鬼だろうが、1匹たりと生かしておくものか!)


 決意を新たに、剣をにぎる手の力を強める。

 そんなタガーの背にしていた木が、次の瞬間、ほんの一刹那の間に大きく縦に裂けた。

 力ずくで裂かれた生木の悲鳴が一面に響きわたる。


「さあ出てこい、小生意気な虫ケラめ。あれだけの大言を吐きながら、達者なのは逃げ足ばかりか?

 きさまのことはあの御方より聞いているが、手を出すなとは言われていない。死ねばそれまでとのお考えだ。よもや殺されることはないと高をくくり、手加減してもらえるなどと思うなよ」


 己の優位さに満足し、悠然と構えて地に降り立つと近付く。生木ごとその肩ロを裂いたとばかり思っていたのだが、そこに苦悶するタガーの姿はなかった。

 数滴落ちたの血の跡はあるものの、どこからもタガーは見出せない。そのことを語しむのと同時に、風乱は横に避けていた。


 その場に残った残像を断つように背後から闇色の剣が振り切られる。


「チッ」


 うまくいかないことに納得できないような舌打ちをするものの、その一撃のみで終わらせることなくタガーの攻撃は流れるように風乱のあとを追っていた。


 一体この細腕のどこにそれだけの膂力りょりょくがあるのか。普通なら大剣が大振りされれば、それはそのまま風乱の機会となるはずだが、その隙を生むことなく剣は巧みに操られ、ともすれば切っ先を牙へと変えて風乱の黒衣を裂いてゆく。まるで剣の重さを感じさせない、熟達した剣技だった。


 武器よりも超常力を用いたがる魅魎にとって、へたをすれば自分をも巻きこみかねない接近戦は不利。

 それをよく知っているタガーはこのまま一気に押し切ろうとする。また、風乱はそんな彼の繰り出す猛攻のことごとくを避け、流しはしているもののその動きには今一つ精彩がなかった。


 のどを狙った鋭い突きはきわどく耳飾りをかすめてその一部を飛ばす。


「調子にのるなよ、たかが人間風情が……!」

「うるせえ! てめえがやつの子飼いだってーんなら、絶対ぶっ殺す!」


 いら立ちにどす黒く染まった言葉が風乱のロから漏れるも、それをはるかに上回る勢いでタガーが叫び返す。

 だが次の瞬間、しゃらしゃらと砂のような音をたてて銀細工が鳴り、その先から巻き起こった小さな渦が、さらに踏みこもうとしたタガーを襲った。


「つあっ……!」


 死角である右をついて顔面へときたそれを避けるべく、素早く飛び退いたがすんでで間に合わず、こめかみをかすめられてしまう。

 大半は右目に巻いた布によって避けられたのだが、頬を縦に裂いた傷の程度をみるべく手をあてた、その隙をつくように宙で距離をとった風乱は、指先1点に力を集めた。


 消えた風乱を追って目を上げたタガーに、それを待ち構えていたように集積された力が放たれる。そこに込められた力は途中の空間でいくつもに別れ、タガーを囲う鳥籠のように地になだれ落ち、竜巻と貸して回転しながら中央にいるタガーへと迫る。

 当然触れればただではすまない。


 竜巻同士の間を抜けるなど不可能だ。飛び込んだ瞬間、左右に引き寄せる力に巻き込まれ、脆弱な人の体は千々に引き裂かれる。


 風乱が町を襲った際、町の者を殺害した手法だった。


「呪うがいい、その程度の力しか持てなかった己を! そして今こそわが力を思い知り、私に逆らった自分の愚かさを悔やみながら消えてゆけ!」


 己の勝利を確信し、勝ち誇った愉悦の言葉が宙を満たす。

 そして風乱はその竜巻の中に向かってさらに空弾を放った。


 たしかにそのままであったなら、風乱の描いた勝利に揺るぎはなかっただろう。

 だが飛来する力を前に、あきらめ、死を覚悟するタガーではなかった。


さくら! たえろよ!」


 肉迫する空弾に向かって剣の刀身を水平にし、支え手を添えて頭上に掲げる。簡髪あけず風乱の放った力が次々と着弾し、地表はその一瞬に姿を変えたのだった。





「あーっはっはっは!」


 空間まで裂けたような、圧力を伴った轟音が宙を満たす。もうもうとたちこめる砂埃に風乱の痛快気な笑い声が響きわたっていた。

 彼によってもたらされた悲劇に地上はいまだ悲鳴を上げ続け、裂けてできたクレバスは崖までも続いている。


 割れた大地、根元から倒れた木々。直撃を受け、深くえぐれた穴のどれにもタガーの残骸らしきものはない。おそらく一片も残さず吹き飛んだのだろう。さもありなん。あれだけの力が降りそそいだのだ。到底無事であるはずがない。


「ふん。この程度で死ぬようではな。本当にあの御方に見込まれたのか、疑わしいものだ」


 肩の埃を払い、乱れた長い黒髪を指で梳いて後ろに払い込む。


「たかがその程度の力しか持たないくせに、分不相応にもこの私にたてつこうとするからそうなるのだ。

 いくら剣が良くとも扱う者がこれでは宝の持ちぐされというものだ。それを己の力と過信し、要らぬ自信など持つからこのような目にあう。何の力も持ち得ない、虫けらごときの分際で!」


 憎々しげに言い放ったあと、切り替えるようにふっと息を吐く。


「さて。では町のやつらの思い上がりも正してやるとするか。下等生物をしつけるには、その場でというからな」


 町のほうへと視線を移す。

 おそらくは、それで見逃したのだろう。背後の木が不自然にしなる様を。


 耳元で背筋も凍るような言葉が囁かれたのは、次の刹那であった。


「思い上がってんのはてめえのほうだと言ったろう?」


 ぞくり。予想だにしていなかっただけに、それは全身があわ立つような悪寒となって背骨を伝いおりる。

 それは風乱にとって、初めて感じる感覚だった。


「な……っ!?」


 ばっと振り返りながら距離を取ろうとするが、しかし。


「遅ぇよ」


 あざ笑うようなタガーの言葉とともに大上段から振りおろされた大剣は風乱の左肩ロへ食いこみ、そのまま腕をそぎ落とした。

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