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第13回

 地へ降り立ったタガーの視界の隅で、切り落とされた腕がその腐り切った心に似合いの黒い血を振り撒き、はねて転がる。


「お、のれえ……っ!」


 風乱はぼたぼたと血の塊をこぼす肩を押さえ、砂塵と化した己の左腕を見下ろした。

 いまだかつてない屈辱を受けた怒り、そして永遠に消えることのない傷を自尊心に負わされた痛みにぎりぎりと噛み合わされた歯はかけらをこぼし、ありありと鬼相の浮いたその顔を見上げてタガーはにやりと口角を上げる。


「どうだ、少しは狩られる側の思いが理解できたか」


 ふふんとばかりに鼻で笑う、その声に反応して闇の目が向く。その瞳に濃く渦巻いていたものは、憎悪以外の何物でもなかった。


「よくも……よくも、この私の腕を……!」

「へっ。ようやくうすっぺらい表情が消えて、いい面構えになったじゃねぇか。そうこないとな」


 余裕釈然、軽ロを叩きながらあらためて剣を構える。だがその言葉や表情に反して、タガーの胸の内は穏やかではなかった。


 ここからが正念場だ。


 そんな思いで握る力を強める。

 ここから先、風乱の攻撃から一切の『遊び』が消えるだろう。

 『たかが人間』その見下した油断がつけ入る隙であり、勝利しなくてはならない制限時間だったののだ。

 けれどもそれは過ぎた。

 超過時間は己の死――敗北の確率を上げるのみ。


(ったく……こんなやつらにあんなはた迷惑な力を与える、とんでもねえ神なんかの加護なんざアテにできるかよ? 子どもに刃物持たせるより危なっかしいってもんだ)


 そう思えば、とてもじゃないが神頼みなどできない。

 ため息が口を突きそうになる。


 まあいい。どうせ、いつものことだ。


 先の攻撃の際、かわしきれずくらった腹部の傷からしみ出してきた血を肘で隠しながら、タガーは前へ踏み出した。


「きさま……ゆるさん! その命を糧として、わが腕の再生をはたしてくれる!」

「は! できもしねえことを口にしてんじゃねえ! てめえなんか、これで終わりだ!」


 地面すれすれに切っ先を落とし、走り寄る。宙で待ち構える風乱に向け、横の木を足場に跳ぼうとした、そのときだった。


 「! なにっ?」


 突然タガーは蹴るべき地面を失った。


 周囲に感じる気――何かが彼をすくい上げ、自分をおおっているのだ!

 ――結界?


 「ばかなっ?」


 地上すれすれに浮き、かつ感触のある見えない足場に驚愕し息をつめる。

 まるで布の山を踏んでいるように安定が悪く、立つためのバランスをとるのがやっとだ。


 風乱から力の流出は感じられなかった。それは今もだ。自分を不可視の球体の中へ封じこめた、この力の波は先まで受けていた風乱のものとは全く違った別種のものであり、あろうことか身に覚えのあるものなのだ!


 まさかそんな。ありえない。

 そんなこと、あるはずがない、だろ?


 浮かんだ考えとこの状態に動揺したまま、足元へ目をやる。その直後、


「遅かったな」


 上空で第三者の存在を知らせる風乱の声がした。


 急ぎ風乱の視線を追ってそちらを顧みたタガーの目に映ったのは、淡い、青銀の糸髪。

 伏せられた目許めもと、細い輪郭線。男とは思えない、たおやかで上品な肢体を持つ、その者は。



「シャンリル! てめえーっ!!」



 絶頂に達した怒りに咆哮し、今おかれている状況も忘れて駆け寄りそうになる。そんなタガーをさらに驚かせたのは、シャンリルの口より漏れる結界強化の口呪だった。


 仮面のような無表情の中、ゆっくりと開かれたまぶたの下から現れたのは、闇の瞳である。


「くっ……ば、かやろうが……! 魘魅なんかに、操られやがってっ……」


 口呪に反応した結界は白く発光し始める。腕や足にチロチロと舌をはわせる細い白銀の光は、昨夜町に入った際に受けた拘束だった。

 次々と群がるそれらに体が触れられるたび、力が奪われてゆくのを感じる。

 しかもその上から、恐ろしい圧力がタガーの身を襲った。


「………っ!」


 満足な悲鳴を上げることもできず、地にひれ伏す。その身にかけられた加重のひどさを示すように、ゆっくりと、タガーの体は土にめりこんでいった。


「やれ! 骨までつぶしてしまえ! 私に歯向かおうとする輩など、かけらも残さず砕けてしまうがいい!

 下衆の命などいくらでも手に入る! おまえが消滅した後、そこの結界師でも使って腕を戻すとしよう!」


 ぎしぎしと骨のきしむ音が全身で起きる。

 内から発せられる危険信号で耳鳴りのする中、風乱の皮肉気な声が聞こえてきた。


 己の守ろうとした、人の手にかかって死んでいけと。


 療気が濃く渦巻きバチバチと火花の弾けるような音が充満した空閥で、まるで数千の蜂を押しこんだかのように頭がわんわんいっていた。ありとあらゆる骨がきしみ、重圧にたえかねた皮膚が風乱との死闘で傷ついた箇所から熟した果実のように次々と割れて、鮮血を噴き出し始める。


 死ぬのか……?


 ここに至り、初めてそんな弱い考えが浮かんだ。


 俺は、死ねるのか?


 うっすらと目をあける。その目に映ったものは、己の手と大剣、そして手首に巻き付けてあった首飾りだった。

 竜石の首飾り。

 ティカナ。


 あの娘を守るはずだったのに。どうやらそれは無理らしい。


 申し訳なさに目を閉じる。まぶたの内側に浮かんできたのは、金茶の巻毛を弄ぶ少女の姿だった。

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