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第14回

●呪  い


 やわらかな金茶の巻毛と大きな瞳をしたその少女は、ティカナではなかった。


 最初のうちはティカナだと思っていた少女は、ティカナよりもう少しだけ背丈があり、瞳の色も深い。


「ふふふっ」


 少女は闇の中で笑っていた。

 何がそんなにおかしいのか、タガーを見て、肩を震わせて笑い続けている。


「……テア!」


 名を呼び、手を伸ばす。ずっと、ずっと求めていた存在に。


「テア、テア、テア!」


 まさかと疑う間も持たずただ一心に少女を求めて闇雲に前へと踏み出すが、まるで鉛でできたような足は満足に歩くこともできず、3歩と行かないでタガーは足を取られて無様に転んだ。


 足元で、密度の濃い闇が泥のようにはねる。


 そのまま見失ってしまうのを恐れ、あわてて顔を起こすタガーの前に、白い手が差しのべられた。

 手の先にあったのは、テアのほほ笑みだった。


 テアが、すぐそこにいる。


「さあ手を出して」


 催促の言葉に従って出しかけた手を、一度ためらって退いた。

 うながされるまま触れたなら、その瞬間にこの姿は意地悪く消えてしまうのではないかと恐れたのだ。

 そうなったら自分は、あまりの絶望に胸が破れ、死んでしまうに違いないだろうから。


 だがテアは消えたりなどしなかった。

 触れても失われないその柔らかな手をにぎりしめ、額へと押しつける。


 テアと会わせてくれた、ありとあらゆるもの、すべてへの感謝の思いが素直に胸にあふれて涙がにじんだ。


「テア……」


 俺は、おまえと会いたくて……会って、どうしても言いたくて……!


「なあに? やだ。泣いてるの?

 変なの」


 ほおを伝う涙をぬぐってあげながら、おかしそうにくすくす笑っている。

 彼女をもっとよく見ようと顔を上げると、とたん、真上からの強い陽差しが目を射てきた。


 強くて暑い。真夏の日差し。

 周囲から闇は消え、一面の花畑と化している。原色の濃い花々が、夏の終わりの風になびいていた。


 かつてはいたる所で見られた、遠い景色。


 そんなまさか。

 これはもう、とうに失われたはず。


 あり得ないことにつかの間呆然となる。


(そうだ、自分はたしか、魅魎退治をしていたはずだ。シシャルカータ国のサマルァという町を襲った、風乱とかいう魘魅と、対峙、し、てて……)


 そう思い起こす間にも、その記憶は現実味を失って暖昧になってゆく。


 じわじわと肌を刺す暑い空気、青臭い草のにおい。


 これが夢というよりも、むしろ自分が魔剣士をしていたなどということのほうが夢に思えてくる。

 だがサマルァの件はともかくとして、確かに自分は魅魎退治を生業にしていたのだ。もう何年も、何年も、ずっと長い間。


 そしてここは、はるか昔に失われたはずの場所。

 町の消滅とともに、辺り一帯が炎の海に沈んだ。


(なのにこの現実感はなんだ?)


 どこかにぶつけでもしておかしくなったかと頭に手をあてる。


 しかし驚きはそれだけに止まることはなかった。

 前髪をかき上げる際に目に入った自分の手首の白さにぎょっとなって目をみはる。


 肌が、戻っている? か、髪は!?

 急いで前髪を引っ張ると、陽に透けて琥珀色した髪が目に入った。


「そんな……うそだろ……」


「どうしたの? そんなに驚いた顔して」


 そんなはずはない、とただただ呆然とする中、花畑に腰をすえて花冠を編んでいたテアの声が聞こえた。


「テ、テア! 変だ、肌が白い! どうして黒くないんだ? 髪は? 何色に見える? 目はっ?」


 はたしてこれがおかしくなった自分の思いこみなどでなく、目に映ったとおりのものなのかどうか知りたくてまくし立てる。

 そんなタガーに気圧され、目を丸くしたものの、テアは次の瞬間ぷっと吹き出した。


「やあね。白いに決まってるじゃない。

 そうね、今年の陽差しは強いから、ちょっと陽に焼けちゃったみたいだけど、全然黒くなんかないわよ。髪だって、きれいなとうもろこし。あたしの大好きなお陽さまとおんなじ。柔らかくて、ふわふわで。とっても好き」


 言って、テアの手が優しく髪に触れてきた。

 黒くない……? テアの好きな、金茶の?


「目、目は? ……黒、くない?」

「もお。何言ってるの。こんなきれいな瞳が黒なわけないわ。空のかけらを嵌めこんだような青に決まってるじゃない。

 いつも言ってるでしょ? あたし、その瞳がすっごく羨ましいんだから」

「右も?」

「右も」

「あお……」


 返答に、ほっとする。

 空の青。

 間違いない、昔の俺の姿だ。あの魅魔のヤロウに闇に染められる前の、本当の俺……!


「ふふふっ。まだ寝ぼけてのね。ここに来てからずっと寝てるんだもの。何か怖い夢でも見たんでしょ?」


 からかうように指を振りながら言って、テアは手にしていた花冠をタガーの頭の上に置いてきた。


「あげる」


 花冠が乗ったタガーの頭をためつすがめつ見たあと、手を叩いて上出来とにっこり笑うテア。

 あの日と同じに。


 肘立てて上半身を起こすと、彼女の肩越しに立木と、煙を出す煙突の先だけが見えた。

 懐かしい家。あれは、母さんが夕飯を作ってくれているのだ。自分が15になった祝いにごちそうを作るからと言って、用意ができるまで帰ってきちゃだめと、テアと2人、送り出してくれた……。


 胸がしめつけられた。


 懐かしい、二度と見ることはないと思っていた景色。ずっと、帰りたかった風景。

 母さんがいて、テアがいて。あの立木を百と少し数えて歩いたら、町が見える。いくら陽が高いとはいえこの時期、市はもう終わりだろうからあまり賑わっているとは言えないけれど、あの騒がしい友人たちは元気に町の中を走り回っているだろう。


 幸せの光に満ちあふれた日々。

 全てが元に戻れたならその一瞬後に自分は死んでもいいと、願わなかった日があっただろうか?

 自分のせいで壊れてしまった……。


 心の底から求めていた、それだけに、不覚にもこぼれてしまった涙を見られまいと覆う。


「? どうかしたの?」


 突然の涙に驚き、心配する手が肩に乗る。


「何でもない」


 笑って、タガーは彼女の手をはずさせた。


「そお?」

「怖い夢を見たんだ。それだけさ。

 さあ、それより家へ帰ろうか。もう十分遊んだろ?」


 立ち上がり、ぱんぱんと土埃を払うと立ち上がるようにと手を差し出す。


「どんな夢?」


 手を借りて立ち、同じようにスカートについた土を払いながらの言葉に、タガーは笑って首を振った。


「もう思い出せない」


 夢だからね。

 こっちが、現実なんだ。


 半分思いこみのような疑いがなくはなかったが、違うとの訴えを隅のほうへと押しやった。

 あんな辛い日々に戻るよりは、たとえ夢だとしてもこちらのほうがずっといい。

 この風景の中でずっと暮らせるのなら。


 歩き出すと、するり、テアの手がタガーのそれにからみついてきた。


「ね。あたしたち、ずうっと一緒ね?」


 うつむき、そっと息をつめて囁く。

 横からの光を弾いて號珀に輝く捷毛。桃色をした頬。町のだれも、彼女の自然な美しさにはかなわない。


 大切な、何よりも大事なテア。彼女以上に愛しい存在が、はたしてあるだろうか?


 やはりあれは夢だ。テアを失うなんて、そんなことが現実であるわけがない。

 もうほとんどが薄れてしまった記憶を、完全に忘れようと頭を振る。


 家への帰り道に起きた、そして今また繰り返されようとしているあの悪夢の出来事すら夢だったのだと思いこみ、警戒心を失って。


 それは突然だった。


 吹き飛ばされそうなほど強い風が横殴りに吹きつけてくる。

 道なりに植えられていた木の葉が一斉に散って、雨のように2人へと降りそそぐ。

 その中の1枚が目に入りかけ、反射的に閉じた一瞬だった。


 家の前に、見知らぬ男が立っていた。

 タガーと同じ、金茶の髪で、テアと同じ巻き毛の持ち主。長いそれをリボンでうなじにまとめている。

 丸眼鏡をして、白いシャツにえんじ色のベスト、同色のズボンを着たその姿は、とても瀟洒しょうしゃで、あか抜けていて、まるで都会の学者のように見えた。


「あなたは?」


 無邪気なテアの質問に、男はにっこり笑って答えた。


「きみたちのパパだよ」


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