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第4話  混ざりあう色

美術室の窓から差し込む夕方の光は、絵具のチューブや筆を柔らかく照らしていた。

 壁際では、油彩の匂いと、乾きかけのキャンバスが静かに時間を刻んでいる。


「水瀬、この色……もっと深くしてみないか?」

 紺野先生が、私のキャンバスを覗き込みながら言った。

 丸メガネの奥の目は、いつも通り淡々としているのに、色の話になるとほんの少しだけ熱を帯びる。


「深く……ですか?」


「そう。君の中にある“まだ名前のない色”を混ぜてみろ。絵の具だけじゃなく、経験や感情ごと」


 その言葉に、少し戸惑った。名前のない色。

 ──それは私の中で、まだぼんやりとしか見えない。


 ドアが開く音がして、澪と千尋が入ってきた。

 澪は部活の用事で来たらしく、紙袋を持っている。千尋は、手にノートと万年筆。


「蒼ー、紺野先生に文化祭の展示相談しに来たんだ」

 澪はまっすぐこちらに歩いてきて、紙袋を机に置いた。中には色とりどりのリボンや小物が入っている。


「文芸部と美術部で合同展示とかどう?」と、千尋。

「物語と絵、両方で一つの世界を作るの。お客さんに“読む”と“見る”を同時に体験してもらうんだ」


 紺野先生は腕を組み、ゆっくりとうなずく。

「悪くないな。水瀬、お前はどう思う?」


「……面白そうです。でも、テーマは?」


「そこは私に任せて!」

千尋の目がきらっと光る。

「人の心の色にまつわる短編を書くよ」


 そこへ、廊下の方からドタドタと足音が近づいてくる。

 海野陸が、部活帰りのジャージ姿で顔を出した。


「おー、全員そろってるじゃん。文化祭の話?」


「サッカー部関係ないでしょ」

と澪が笑う。


「いや、看板とか宣伝ポスター手伝えるかなって。美術部の絵、めっちゃ目立つじゃん。俺、絵心ゼロだけど色塗りくらいはできるかも」


 陸のその一言で、部屋の空気が少し和んだ。

 千尋が

「じゃあ、宣伝コピーは文芸部で考えるから」

と乗っかり、澪は

「小道具は私が作る」

と即答した。


 紺野先生は、そんなやりとりを黙って見てから、ぽつりと言った。

「いいな。バラバラの色が混ざって、新しい色になる瞬間だ」


 ──その言葉に、胸の奥で何かが小さく揺れた。

 私の中の、まだ名前のない色が、ほんの少しだけ輪郭を持ちはじめている。

 それはきっと、私ひとりでは出せない色。


 夕陽が沈みかける美術室で、私たちはそれぞれの色を持ち寄って、ひとつの絵を描きはじめていた。




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