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第5話  色を重ねて

文化祭準備の数日間、美術室はいつもよりも賑やかだった。

 普段は筆の音と換気扇の唸り声しか聞こえない空間に、ハサミの金属音や紙を裂く音、笑い声まで混ざっている。


 澪は器用に布を切っては、ホチキスで木枠に留めていく。

 千尋は机の上で原稿用紙を広げ、物語のラストシーンに合う一行を探している。

 陸は、刷り出したポスターに太い筆で色を塗り込み、失敗しては「あ、やべ」と頭をかいている。


「陸、その赤、もうちょっと薄めたほうがいい」

 私は笑いをこらえながらアドバイスする。


「お、やっぱり違うな。美術部の目はごまかせないな」

 陸はバケツの水で筆をすすぎ、再びポスターに向き直る。

 真剣な横顔を見るのは、サッカーの試合以外では珍しい。


 千尋が突然、声を上げた。

「できた! 最後の一文、“心の中の色は、まだ誰にも知られていない”。これでどう?」


 澪が手を止めて千尋の原稿を覗き込み、「いいじゃん、蒼にぴったりだと思う」と笑う。

 その言葉に、胸の奥が少しざわつく。

 私の中の“名前のない色”は、まだ私自身にもよく分からないのに。


 紺野先生が、静かに近づいてきて、私たちの作業を一瞥した。

「いい空気だな。こういうときにこそ、作品にしか出せない色が生まれる」


 窓の外では、春の夕陽がゆっくりと沈みかけていた。

 赤と橙と群青が滲む空の色は、どこかで見たことのある絵具のパレットみたいだ。

 その中に、ほんの少し、私だけの色が混ざりはじめている気がする。


 ──この色に名前をつける日は、まだ先かもしれない。

 でも、今はそれでもいい。

 重ねていけば、いつかきっと分かるはずだから。



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