目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第2話 酒は呑んでも飲みこまれるな

「それでさあ、会社の上司が、ねちっこい性格でね、自分が苦手な仕事ばかり押しつけてきてさあ……」

「分かるー。自分は楽してるくせに、あんたより、沢山たくさんの給料貰ってるんでしょ。おかしな格差社会だよね」


 ガヤガヤと賑やかな声が周囲に広がる、夜の居酒屋の席。

 僕は招待状の通りに、高校の同窓会に来ていた。


 あの競馬で当てた大金は全額引き出し、家の金庫に預け、いつもの会社でのスーツ姿でだ。


「ねえ、君、ちゃんと飲んでる?」


 麦茶の入ったグラスを片手に、隅で一人で飲んでいると、黒髪ロングの清楚な女性から声をかけられる。

 はて、この女性は、どこかで見覚えがあるような気が……。


「えっと、ひょっとして、筒清つつしみさん?」 

「ええ、そうよ。伊瀬場いせば君、私のことを覚えていてくれたんだね」

「筒清さんこそ、僕の名前を……」

「ええ、高校を卒業して、離ればなれになったので心配していたのよ。あの時、連絡先くらい訊いていれば良かった……」


 筒清さんは茶色のコートを脱いで、黒いフリースに赤いチェックのロングスカートという地味めな格好だったが、顔つきや物腰の柔らかさは、あの頃と変わらない。


 僕は高校で一緒の教室になった頃から、筒清さんのことが気になっていた。

 でも意気地無しな僕は、告白もできずに、いつも遠巻きから、筒清さんを見てきたのだ。


「筒清さん……」

安希穂あきほでいいよ。興隆こうりゅう君」


 安希穂さんが微笑みながら、傍にゆっくりと寄ってくる。

 ちょっとお酒くさいけど、近くで見ても薄化粧で美しい。


「私、ちょっと飲みすぎたかも知れないわ。気分が悪いな……」

「安希穂さん、大丈夫? トイレまで同行しようか?」

「ありがとう。興隆君は優しいね。でも……もっと二人きりの場所で話をしたいな……」

「えっ?」

「ねえ、電話先交換したら、二次会は別の場所でしない?」


 僕はその日、初恋だった女性をホテルへとお持ち帰りした。


****


「もう信じられないわー!」


 次の朝、共に一夜を過ごした安希穂さんが逆上して、僕に突っかかってくる。


「本当に私を酔った勢いで、襲ってないでしょうね?」

「ああ、だから、この身に誓って、何もしてないって……」 


 何だ、僕に気がある誘いじゃなくて、純粋にシラフに見せかけた高度な絡み酒だったのか……。

 ここに着くなり、泥酔で爆睡した安希穂さんをベッドに寝かせ、改めて僕は紳士に振るまって(床で寝た)良かったよ。


「じゃあ、興隆君。何でラブホテルで同室なのよ?」

「いや、どこのホテルも予約と先客で埋まっていて……」


 それに持ち金も少なく、空いてる普通のホテルは万単位の高額だったし、飲み屋から比較的近くて、安上がりなホテルが、ここだったという話をしようにも、火に油を注ぎかけない。


「はあ、こんな所をお父様に見られたら最悪だわ」

「お父様って、安希穂さんって、お嬢様?」

「ええ、お父様は私が大学の入学後に、大手財閥の仲間入りに選出されたのよ。今の私には許嫁だっているんだから!」

「ええっー、許嫁だって!」


 僕の純粋な心が、粉々に吹き飛んだ。


「ああ、こうなる恐れがあるから、飲み会には参加したくなかったのよ。交流目的とはいえ、誘いを引き受けたお父様を恨みたくなるわ」


 安希穂さんがカードキーをドアのセンサーにかざし、キーロックを外して、外に出ようとする。


「いい? このことは二人だけの秘密よ。親にばらしたら、ただじゃおかないんだから!」

「場合によっては打ち首だからね!」


 今どき、打ち首もどうかと思ったが、金持ちのやることは分からないな。


 昔はこんな強気じゃなく、守ってあげたいピュアな性格だったのに。

 長年知らなかった分、安希穂さんは随分ずいぶんと変わったな……。


「はあ、しかも将来に結婚する男もセットだと……」


 フラれた上に許嫁付きという、心をえぐるオプション。

 僕は初恋だった女性を前に、見事に惨敗したのだ。

 でも今は、嘆く場合じゃないだろ。


「いや、僕だけじゃなく、安希穂さんにも十分なはあるよ! 君はこうなることも想定して、同窓会に来た。それを知っていて、行動に移した君も悪い!」

「何よ、子供染みた顔のくせに、筋は通っているわね」

「このまま逃げ帰ったら、君のお父さんに、このホテルでの出来事をばらす。もしばらされたくなかったら、こちらの要求も飲んでもらう」

「なっ、何が目的よ?」


 安希穂さんがドアノブから手を離し、僕の目の前へと戻って来る。


「簡単なことさ、明日のクリスマスイブの夜にレストランで一緒に食事をしたい」

「はあ? そんなことでいいの?」

「ああ、好きな人とディナーを楽しんで、何が悪いんだよ」

「えっ、私のことが好きなの? 困ったわね。私には許嫁がいるのに。これが恋の三角関係というものかしらw」


 そこで安希穂さんが、なぜ笑うのかは疑問だったが、僕は確かに手に入れていたんだ。

 恋という名の割引食事券を……。


****


 次の日、職場にて、青空さんがニヤニヤと、僕の横っ腹を指でつつく。


「ねえ、興隆。スマホで競馬ニュース観たよ。一億円当たったって?」

「ええ、そうですが? 今さら返しませんよ?」

「別に良いわよ。今回は、あたしがお金を払った馬券じゃないしね」

「えっ、そうなんですね?」


 どうしたのだろう、大好きそうな競馬の話になっても、やけに食いつかない……。


「それよりもこの前、先輩がくれたディナー券が、早速さっそく、役に立ちそうです」

「おおっ、ついに興隆にも春が来たか。そっか、今日はクリスマスイブだもんね」


「君の分の仕事は、今日はあたしが肩代わりするから、精々、頑張ってな」

「ありがとうございます」

「いいってことよ」


 そう言って青空さんは忙しそうに、自分のデスクへと戻っていった……。


****


 クリスマスイブの夜。

 青空さんのフォローのお陰で、定時に終わらせた僕は、職場の近所にあるフレンチレストランの席に座っていた。


 時間は夜の七時。

 約束の時間になっても、安希穂さんは来ない。


「遅いな……」


 僕は安希穂さんに電話をかけるために席を空けて、化粧室に向かう。


「もしもし、安希穂さん?」

『お前が伊瀬場興隆だな……』

「んっ、そうだけど、お前は誰だ?」

『ふふっ、そうだな、お前の上司が勤務してる会社繋がりの者さ。それよりも女は預かった。助けて欲しければ一億円を用意して、ここから離れた空き家に来い……詳しい場所は……』

「おい、待て、彼女の家は資産家だろ。金を要求する相手を間違えてないか? それに今どき、現金を持って来いだなんて?」

『能書きはいいから、早く来るんだな……』


 そこで、男との連絡が途絶えた。


 こうしちゃいられない。

 僕は店長に嘘の事情を説明して、レストランでの食事をキャンセルし、金庫が眠る自宅に立ち寄ることにした。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?