「それでさあ、会社の上司が、ねちっこい性格でね、自分が苦手な仕事ばかり押しつけてきてさあ……」
「分かるー。自分は楽してるくせに、あんたより、
ガヤガヤと賑やかな声が周囲に広がる、夜の居酒屋の席。
僕は招待状の通りに、高校の同窓会に来ていた。
あの競馬で当てた大金は全額引き出し、家の金庫に預け、いつもの会社でのスーツ姿でだ。
「ねえ、君、ちゃんと飲んでる?」
麦茶の入ったグラスを片手に、隅で一人で飲んでいると、黒髪ロングの清楚な女性から声をかけられる。
はて、この女性は、どこかで見覚えがあるような気が……。
「えっと、ひょっとして、
「ええ、そうよ。
「筒清さんこそ、僕の名前を……」
「ええ、高校を卒業して、離ればなれになったので心配していたのよ。あの時、連絡先くらい訊いていれば良かった……」
筒清さんは茶色のコートを脱いで、黒いフリースに赤いチェックのロングスカートという地味めな格好だったが、顔つきや物腰の柔らかさは、あの頃と変わらない。
僕は高校で一緒の教室になった頃から、筒清さんのことが気になっていた。
でも意気地無しな僕は、告白もできずに、いつも遠巻きから、筒清さんを見てきたのだ。
「筒清さん……」
「
安希穂さんが微笑みながら、傍にゆっくりと寄ってくる。
ちょっとお酒くさいけど、近くで見ても薄化粧で美しい。
「私、ちょっと飲みすぎたかも知れないわ。気分が悪いな……」
「安希穂さん、大丈夫? トイレまで同行しようか?」
「ありがとう。興隆君は優しいね。でも……もっと二人きりの場所で話をしたいな……」
「えっ?」
「ねえ、電話先交換したら、二次会は別の場所でしない?」
僕はその日、初恋だった女性をホテルへとお持ち帰りした。
****
「もう信じられないわー!」
次の朝、共に一夜を過ごした安希穂さんが逆上して、僕に突っかかってくる。
「本当に私を酔った勢いで、襲ってないでしょうね?」
「ああ、だから、この身に誓って、何もしてないって……」
何だ、僕に気がある誘いじゃなくて、純粋にシラフに見せかけた高度な絡み酒だったのか……。
ここに着くなり、泥酔で爆睡した安希穂さんをベッドに寝かせ、改めて僕は紳士に振るまって(床で寝た)良かったよ。
「じゃあ、興隆君。何でラブホテルで同室なのよ?」
「いや、どこのホテルも予約と先客で埋まっていて……」
それに持ち金も少なく、空いてる普通のホテルは万単位の高額だったし、飲み屋から比較的近くて、安上がりなホテルが、ここだったという話をしようにも、火に油を注ぎかけない。
「はあ、こんな所をお父様に見られたら最悪だわ」
「お父様って、安希穂さんって、お嬢様?」
「ええ、お父様は私が大学の入学後に、大手財閥の仲間入りに選出されたのよ。今の私には許嫁だっているんだから!」
「ええっー、許嫁だって!」
僕の純粋な心が、粉々に吹き飛んだ。
「ああ、こうなる恐れがあるから、飲み会には参加したくなかったのよ。交流目的とはいえ、誘いを引き受けたお父様を恨みたくなるわ」
安希穂さんがカードキーをドアのセンサーにかざし、キーロックを外して、外に出ようとする。
「いい? このことは二人だけの秘密よ。親にばらしたら、ただじゃおかないんだから!」
「場合によっては打ち首だからね!」
今どき、打ち首もどうかと思ったが、金持ちのやることは分からないな。
昔はこんな強気じゃなく、守ってあげたいピュアな性格だったのに。
長年知らなかった分、安希穂さんは
「はあ、しかも将来に結婚する男もセットだと……」
フラれた上に許嫁付きという、心をえぐるオプション。
僕は初恋だった女性を前に、見事に惨敗したのだ。
でも今は、嘆く場合じゃないだろ。
「いや、僕だけじゃなく、安希穂さんにも十分な
「何よ、子供染みた顔のくせに、筋は通っているわね」
「このまま逃げ帰ったら、君のお父さんに、このホテルでの出来事をばらす。もしばらされたくなかったら、こちらの要求も飲んでもらう」
「なっ、何が目的よ?」
安希穂さんがドアノブから手を離し、僕の目の前へと戻って来る。
「簡単なことさ、明日のクリスマスイブの夜にレストランで一緒に食事をしたい」
「はあ? そんなことでいいの?」
「ああ、好きな人とディナーを楽しんで、何が悪いんだよ」
「えっ、私のことが好きなの? 困ったわね。私には許嫁がいるのに。これが恋の三角関係というものかしらw」
そこで安希穂さんが、なぜ笑うのかは疑問だったが、僕は確かに手に入れていたんだ。
恋という名の割引食事券を……。
****
次の日、職場にて、青空さんがニヤニヤと、僕の横っ腹を指でつつく。
「ねえ、興隆。スマホで競馬ニュース観たよ。一億円当たったって?」
「ええ、そうですが? 今さら返しませんよ?」
「別に良いわよ。今回は、あたしがお金を払った馬券じゃないしね」
「えっ、そうなんですね?」
どうしたのだろう、大好きそうな競馬の話になっても、やけに食いつかない……。
「それよりもこの前、先輩がくれたディナー券が、
「おおっ、ついに興隆にも春が来たか。そっか、今日はクリスマスイブだもんね」
「君の分の仕事は、今日はあたしが肩代わりするから、精々、頑張ってな」
「ありがとうございます」
「いいってことよ」
そう言って青空さんは忙しそうに、自分のデスクへと戻っていった……。
****
クリスマスイブの夜。
青空さんのフォローのお陰で、定時に終わらせた僕は、職場の近所にあるフレンチレストランの席に座っていた。
時間は夜の七時。
約束の時間になっても、安希穂さんは来ない。
「遅いな……」
僕は安希穂さんに電話をかけるために席を空けて、化粧室に向かう。
「もしもし、安希穂さん?」
『お前が伊瀬場興隆だな……』
「んっ、そうだけど、お前は誰だ?」
『ふふっ、そうだな、お前の上司が勤務してる会社繋がりの者さ。それよりも女は預かった。助けて欲しければ一億円を用意して、ここから離れた空き家に来い……詳しい場所は……』
「おい、待て、彼女の家は資産家だろ。金を要求する相手を間違えてないか? それに今どき、現金を持って来いだなんて?」
『能書きはいいから、早く来るんだな……』
そこで、男との連絡が途絶えた。
こうしちゃいられない。
僕は店長に嘘の事情を説明して、レストランでの食事をキャンセルし、金庫が眠る自宅に立ち寄ることにした。