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第3話 嘘つきの言葉に失望した

 えた埃と、油の匂いが混じった空気。

 元は、工場だったような平屋の建物。


 一応電気は通っているが、窓ガラスは全面割られて、あちこち破損し、ボロい内装が丸見えで、その建物の中に連絡先の男らしき人物がいた。


 正直、暖房のエアコンでもないと、寒くて辛い。


「お前が伊瀬場興隆いせばこうりゅうだな」

「ああ、そうだ。約束の金なら持ってきた」

「ふふっ、そのブツを、こっちに渡して手を上げろ」


 僕はケースを床に滑らせ、茶髪のモヒカンのチャラ男に渡す。

 男はケースを開け、子供のように興奮しながら、札束を手に持った。


「くくっ、これが一億円の重みというヤツか。堪らないな」

「じゃあ、安希穂あきほさんを返してもらおうか」

「そう焦るなよ。彼女なら風呂さ」

「まさか、肉体関係を結ぶ気だったのか?」


 僕は両手を上げたまま、男を睨みつける。


 いかにクリスマスはお互いの愛を深めるイベントとは言え、誘拐した上にわいせつはどうかしている。


「誤解するなよ。男に食事に誘われたのに、汚れた格好で行かせるわけにはいかないだろ」

「もうすでにけがしたのか!」

「だからやってねーって!」


「……俺には『くみ』という、立派な彼女がいるんだし」


 はて、くみか、どこかで聞いた名前だな?


「でも誘拐した罪は重いぞ。恋人がいるのに、何年も牢獄に入れられてもいいのか?」


 誘拐に身代金の要求。

 場合によっては、1年以上10年以下の懲役にもなると聞く。


「だから、この金で海外に高飛びするんだよ」

「なら、安希穂さんは関係ないだろ!」

「いや、この大金を手に入れるための、お前と仲の良い彼女との取引さ。それに彼女はそんな大金は持っていなかった。身元を調べてみたら、筒清つつしみ財閥は表向きには経営してるようで、当の昔に倒産してるんだよ」

「この期に及んで、よく冗談が言えるな?」

「だったら、彼女が金持ちの素振りを見せていたことがあったか?」


 彼女はお金持ちとは、かけ離れた簡素な服を着ていた。

 酒で酔いつぶれても、執事が運転する迎えの高級車さえも来なかった。


 そもそも彼女が、スマホを扱う姿を見たことがなかった。

 彼女の連絡先はLINAはおろか、メモ帳の取引での電話番号しか知らない。

 もしやと思ったが、ガラケーか?


 また、金持ちのお嬢様が安物のフレンチレストランにひょいと釣られてくるのも怪しい。

 金持ちなら、美味しい料理を嗜んでいるはず。

 庶民の貧乏舌なら、まだしも……。


 それ以前に同窓会とは言え、これまた庶民派の居酒屋に、ひょっこりと現れ、安酒をガバガバ飲むのもおかしい。


 考えるほどに矛盾が生まれ、彼女に関しての謎だったピースが少しずつ合わさっていく……。

 だよな、泥酔とはゆえ、許嫁がいるのに、他所よその男とホテルに泊まるのも普通の考えじゃないし……。


「じゃあ、僕に安希穂さんが寄ってきた、本当の理由って……」

「ああ、最初から金目的だったのさ」


 チャラ男が僕の手を下げさせ、ゲラゲラと下品に笑いながら、石油ストーブの近くにあった傷物の赤いソファーに腰かける。

 この廃屋に相応しくない家具からして、どこからか持ってきた品だろうか。


「さきとしさん、お風呂ありがとうございます」


 そこへ、ここからでも耳に届いてくる、あの安希穂さんの声。


「おう、良いってことよ。銭湯代もバカにならないもんな」

「はい、いい湯加減でした。ここ、廃墟のわりには、電気以外に水もガスも通っているんですね」

「まあ、俺が毎月金払ってるし、唯一の居場所みたいな所だからな」

「そうですか、貧乏通し、お互い大変ですね」

「でも、これでレストランには行けるぜ。彼の奢りなら、高いもんでも食べなきゃな。なっ? 興隆こうりゅうさんよ?」

「ええ、そうですね。えっ?」


 僕と目が合わさると、安希穂さんの顔が真っ青に染まる。


「興隆君、どうしてこんな場所に?」

「それは僕が聞きたいくらいだよ。どうしてお金持ちと嘘を言ったんだい?」

「お父様が同窓会に参加して、金づるを見つけて来いって……」

「鶴の恩返しじゃあるまいし、そんな話が信じられるか!」

「興隆君、怒ってる?」

「当たり前だ!」


 人様の前で平気で嘘をついて、怒らない方がどうかしている。


 しかも、一つだけじゃない。

 僕に気さくに話しかけ、嘘にウソを積み重ねてきたんだ。

 この社会、嘘も方便という言葉もあるが、明らかに彼女はやり過ぎた。


「酷いよ。僕の初恋の人がこんな人だったなんて……」

「……ごめんなさい」

「えっ、安希穂さん?」


 何を思ったのか、安希穂さんがポロポロと大きな雨粒のような涙を落とす。


「騙す気はなかったの。確かに最初は金銭目的もあった。でも接してみて分かった……」

「あなたは誠実で立派な人。私が酔っても不埒な行動をせずに優しく介抱してくれたと、後から同級生に聞かされて……なのに私は、あなたに八つ当たりして……」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 顔を真っ赤にして、謝罪の言葉を繰り返しながら、すすり泣く安希穂さん。


「あっ、安希穂さん、問いつめて悪かった。もういいから泣き止んで……」

「いえ、悪いのは私のせいです。私はあなたの初恋の淡いイメージを汚してしまった……」

「いいよ。騙される方も悪いんだし……。それに君は笑っていた方が可愛いんだ」


 僕は安希穂さんにハンカチではなく、駅前で貰ったポケットティッシュを手渡す。

 彼女はそれで、問答無用に鼻をかんだ。


「興隆君は優しいね……それに気遣いもできるし」

「鼻水まみれの女の子なんて、レストランに連れて行けないだろ」

「良かったーw。まだ行ける前提なんだ。私もう、お腹ペコペコで……」


「良かったー、うふっ♪ じゃねーよ! 黙っていれば、人前で散々いちゃつきやがって!」


 さきとしが怒りながら、ケースの札束を放り投げる。


「よく見たら一億円じゃなくて、一番上だけに、本物の一万円が載っかっているだけ(計十万円)じゃねーかー!」

「そりゃー、アメゾンで買った、玩具のケースセットだからな」

「貴様ら、俺をなめてんのか! 風邪にさせて撃ち殺すぞ!」


 さきとしが、ソファーにあった水鉄砲を俺に向ける。


「まあまあ、それくらいにしてあげなよ」


 この声は青空さんか?

 どうして、こんなへんぴな所に来るんだ?


「まさか、玖深くみさんか?」

「うん、お疲れ、興隆」


 こんな状況下でも、何の顔色も変えない玖深さんが、俺たちの前に堂々と出てくるのだった。

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