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第3話 おかしな奴

「おかしな馬盗人だと?」 


 信長にとって二つ年下の池田勝三郎恒興が、そんなおかしな話を持ってきた。

 いまだ幼い顔つきの信長よりもさらに幼く見えるし、体格も一回り小さい。

 母の養徳院が信長の乳母にあたり、乳兄弟といっていい関係であること、また、父の恒利がいくさで早死にしていることから、信長つきの小姓として兄弟のようにともに育てられてきた。

 むしろ、別々の城で育てられた血の繋がった弟たちよりも、よほど近しい存在と言っていい。


「お城から西にあるまっ平な原っぱがございましょう。よく、殿が昼寝をなさっている場所でございます」

「ああ、あそこか」

「近くに村がありまして、なに、小さな村なのですが、そこの百姓どもが訴えをしてきたのです」


 信長は記憶を手繰った。

 そういえば、五戸か六戸程度の集落があったのを思い出す。

 三河との小競り合いがあるとすぐに逃げ出して、ほとぼりが冷めたら戻ってまた畑を耕すという不安定な暮らしをしている連中だと聞いていた。

 もっとも、それで暮らしていけるのは、三河方面でおかしな動きがあったら即刻城にまで知らせにくるように那古野城から幾ばくかの金を渡されているおかげでもある。


「平手さまが、走ることしかできぬいくさには使えぬ老馬を与えて、ことが起きたら城に伝えるように指図しておりました」


 この百姓からの急報で未然に侵攻を防げたこともあった。美濃と三河からの脅威にさらされ続けた尾張の人間の知恵といっていい。


「どうやらその馬が盗まれたようです」

「……三河のものどもの仕業か」


 おそらく村の近隣のものならば、いざというときの用途についても詳しく知っているだろうことから、城から下げ渡された馬を盗むなどというのはあり得ない。

 もしも考えられるとしたら、無知な流れの野盗どもか、城への連絡方法を断ち切っておこうとする三河方の諜者による事前工作しか考えられないところだ。

 だが、信長の予想は裏切られることになった。

 恒興は首を振り、


「百姓どもが言うには、赤黒い狒狒のような見慣れぬ男だったということです」

「赤黒い?」

「しかも、一人」

「一人か」


 では、たかが知れた盗人の類いだろう。

 こんないくさ続きの世の中だ。

 住処を焼きだされて行くあてがなくなり放浪した挙句、さらに弱いものから盗むことしかできなくなった連中などごまんといる。

 彼の父の信秀もよく敵対者の領地の村を平然と焼き討ちをしているから、尾張・美濃・三河あたりには、生きるために徒党を組んだ野盗も多い。

 住民たちにおふれをだして、居場所を突き止めてから、それなりの手勢を送って始末してしまえばいいだけのことだ。


「―――だが、おかしなとはどういったことだ。わざわざ、おまえがおれに伝えに来るのだから、何かあるのだろう。さっさと吐け」


 恒興は確かにおかしな、と言った。

 今の会話の中にはおかしな要素はない。


「実は……その盗人めですが、馬と話をするらしいのです」

「ほお」

「それだけではござりません。百姓どもが言うには、奴らの目にとまらず馬小屋に忍び込み、気が付いたときには馬の背に乗られて逃げられたということです。とてつもなくすばしっこい相手なのだそうで」

「馬と口を利くとはなんともけったい奴だな」

「ええ、その盗人が、盗んだ馬に話しかけ、応えるように嘶くところを何度も見かけたものがいるらしいのです」

「なんだと。そやつ、このあたりに留まっているのか? 逃げもせずに?」

「御意」


 信長は腕を組んだ。

 領地内におかしなものが住みついているというのは聞き捨てならない話だ。民が安心して暮らすことができないからだ。


「平手さまにお願いして、人をやって始末させましょうか」

「この話、爺は知っておるのか」

「いえ。殿の毎度の昼寝につきあっている際に、村のものどもと顔見知りになっていたので、そやつらが先日直接拙者のもとに参ったのです。ですから、城内ではまだ私しか知らない話でしょう」


 むしろ、十二歳の元服前の恒興だから訴えもしやすかったのだろう。

 城主付きの小姓ということもあるが、やはり那古野城を取り仕切る平手秀長は敷居が高いのだ。


「そやつは、馬以外に盗むのか?」

「いえ、聞いておりません」

「であるか」


 幼少の頃からの口癖で応えると、長袴の裾を引いて信長は立ち上がった。

 槍の稽古だけでなく、水練と馬術で鍛えた体は十四歳にしては引き締まっている。

 元服も無事にすました、近いうちに初陣が待っている少年武士としては合格点な肉体つきだろう。

 まだまだ子供な体格の恒興からすると羨ましい成長である。


(……この殿を廃嫡したがるなんて、権六どのも見る目がない)


 信長の弟信勝に仕える柴田権六勝家は、恒興や同輩の前田又左右衛門利家の兄貴分といっていい先輩であったが、顔を突き合わせるたびに常に主家の嫡男についてよくないことを口にしていた。

 それというのは、信秀からつけられた四人のおとな衆(傅役)のうち、一長にあたる林新五郎秀貞が弟の林美作守通具が主張する信長廃嫡論に乗ってしまったのが原因である。

 信長を支えるべき一番家老が弟の信勝派となっているという異常事態が、那古野城内の人間関係をおかしなものにしてしまっていた。

 林通具が信勝についたのは、織田家継室の土田御前の訴えを聞いたからである。

 弾正忠家で最大の勢力を持つ武士団である林一族から見限られたということで、現在の信長の味方は父親の信秀と二長の平手政秀のみになるという四面楚歌ぶりであった。

 柴田勝家は、この当時、信勝の家臣であり、若手武士の代表ともいえる立場にいたことから、秀貞や通具とも交流があったため、大きな影響を受けていた。

 そうなると、若くて思慮も足りなかった勝家が、恒興と会うたびに主人をよく批判してくるようになるのも当然の成り行きであった。


「うつけなどの家臣になれるか」


 実際に信長と対面することがあってもこの調子であった。

 土田御前が振り撒いた信長が知恵遅れであるという噂は、彼が元服してからも呪いのように領内にこびりついていたのである。


「でるぞ」

「どこにでしょう?」

「馬盗人の面が見たくなった」


 小姓の返事など聞く耳もたんとばかりに歩き出した信長の後を、恒興は慌てて追うのであった。

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