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第4話 発見


 馬番が曳いてきた馬に飛び乗ると、信長は馴れた手綱さばきをみせた。

 暇さえあれば乗っているため、この少年は城内でも他に並ぶものがない馬術の達者に育っている。

 馬の進行方向から血相を変えて下人たちが飛び退る。

 片手に刀を引っ提げているので、行く手を邪魔しようものならば斬り捨てられかねないと下人たちが怯えても仕方のないところであった。

 西の空を見つめ、


「では、行くか」


 と、城の馬場から馬を駆け出させる。

 馬蹄のひびきが遠く遠ざかっていくのを聞きながら、恒興も慌てて自分の馬に跨った。

 まだ、子供の部類に入る身体つきだが、行動派の信長の小姓ということもあり馬術は自然と巧みにならざるを得ず、この年頃にしてはなかなかの達者に育ちつつある。


「はいやあ!」


 絶叫に近い声をあげて主人の後を追う。

 もし見失いでもしたら、お目付け役の平手政秀に殴るけるも含めた手酷い折檻をされかねないからだ。

 速足で駆けていく信長の馬体を見失わないように必死で食らいついていく。

 元服直後の城主の外出にお供一人というのは不安しかなかったが、独りだけで行かせるのに比べたら遥かにましである。

 しかし、もう慣れているとはいえ信長の行動の予測しがたいこと、恒興は終始狼狽しているといってもいい。


(うつけであるという悪い噂に抗うかのように、殿はまことに奔放に振る舞われる。だが、平手さまももう少し待てば立派な武士になられるだろうとおっしゃっていた。もう少しの辛抱だ、辛抱だ)


 信長のわずかな味方となってくれる大人たちが口をそろえてそういうのだ。

 もう少し、もう少し、と。初陣がすめば殿も落ち着かれることだろう、と。

 恒興もそれを信じていた。

 自分に言い聞かせるかのように。

 しばらくいくと、随分と先行していたはずの信長の馬が見えた。

 彼がいつも昼寝をしている野原の丘の上だった。

 何かを探して遠くを眺めている。


「殿、遅れてすみません。ですが、拙者を待たずに一騎で駆けるような無茶をしないでください」

「おまえを待ってなんていない」


 信長は小姓の顔を見もしない。

 ただひたすらに周囲を見渡している。

 件の馬盗人を探しているのだろう。


「高いところからでは見つけられそうにないな。仕方ない、下から虱潰しに探るか。まったく又左あたりも連れてくればよかった」


 恒興を置いてくるような勢いで飛び出しておきながら平然と別の家臣の名前をあげる。

 若くして殿様らしい身勝手さだった。

 もっとも、慣れてしまうとどうということはなくなってくるのだが。


「ついてこい」


 二人は馬を並べ、野原を並足で歩き出す。

 木立に入ると整備された道などない、あてのない道行だ。

 地面が湿り気を帯びてきて、木の葉が溜まって馬の足がとられやすくなってきた。

 水辺が近い証拠である。

 信長はかつて城下の悪童たちと水練のために幾度となく訪れた沢のことを思い出した。母との確執を忘れようと必死になって遊びまくっていた頃の嫌な記憶だったが、その分深く焼き付いているようで地形は熟知している。

 小さな滝があり、流れの急な淵があったはずだ。天然の洞窟が水辺に幾つも穴をあけていて、はぐれ者が隠れるには悪くない場所だろう。

 馬首をひるがえし、沢へと向かった。

 土地勘があるため、しばらくすると迷うこともなく開けた川べりに出る。

 初夏に似合わぬ日の強さのおかげでびっしょりの汗をかいていたせいか、水気による涼しさが心地よかった。

 同時に、少し離れた場所に白い馬が立っているのがわかった。美しい毛並みの染み一つないような白馬だった。鬣がまるで銀色に輝いている。

 唐突にあの時の馬だと理解した。

 しかも、馬のまえにはおかしな格好をした小男が立っていた。


(あやつか……)


 頭に帯状の布を巻き、袖を外した湯帷子(ゆかたびら)をまとい、丈の短い柄の半袴をはき、しかも獣皮で出来た帯を巻いて手斧のようなものをぶらさげている。

 天へ挑むかのように高く髪を結いあげ、そこに烏らしき鳥のはく製を飾りとしているのが不気味だった。

 しかも、日に焼けただけではならないだろう赤銅色の肌は化け物のようであり、顔に泥を塗って乾かしたらしい奇妙な化粧を施している。

 白馬の神々しさとは正反対の、まさにおかしな風体の男だった。

 やや前屈み気味なのが、狒狒を思わせる。

 横に並んでいた恒興に目で合図をすると、家臣は無言で応えた。

 例の盗人であることが明らかであるのならば、声を出して確認することなど接近を悟られるだけで無駄である。

 幸い、相手は馬の世話に夢中で二人には気が付いていない。

 仲間らしいものも見当たらない、百姓の言う通りの独り盗人のようだ。

 馬に乗って一気に距離を詰めれば震え上がって降参するだろう。あの白馬に跨る隙さえ与えないで勝負をつける。


(……あの白馬も盗んだ馬なのか? まさか、あんな良馬を百姓たちが畑仕事に使っ

ているとは思えぬが)


 信長は馬盗人の様子を窺った。

 無防備そのものに見える。

 あんな間抜けな馬盗人のために気を張るのが馬鹿らしくなってきた。

 結果として恒興はついてきたが、なぜ彼は一人で馬盗人などを捕まえようとしているのだろう。

 こんなことは城の番士にでもやらせればいいだけのことだ。城主である信長が出る幕ではない。むしろ軽率な行動だと蔑まれても仕方のないところだろう。

 ただ、恒興からこの噂を聞いたとき、どういう訳か気になって仕方なかったのだ。

 それはもしかしたら、さっきの野原で見かけたあの白馬のせいだったのやも知れぬ。


(まあ、よい。野盗の一匹ごとき捕まえられねばどのみち織田家の嫡男としては器が足りんというだけのことよ)


 じっと観察していると、どうやら馬に向けて話しかけているようだった。

 恒興の持ってきた話と合致する。

 馬や牛といった家畜を家族のように扱うものいない訳ではないので、さほど不思議な光景ではない。

 だが、あの盗人は馴れ馴れしいといってもいい声色で何やら馬に向けて喋り続けている。

 ただし、内容はさっぱりわからなかった。

 距離が遠いということもあったが、何よりもことばが理解できないのだ。

 訛りというものではなく、もっと根本的に別の……


(もしや、あれは異人なのか……?)


 数年前からこの日ノ本の国には少なくない数の外国人が上陸するようになっていた。

 尾張は京に近く、海にも面している。

 近頃、鉄砲という変わった武器を異国人が持ち込んだという話は父信秀からも聞き及んでいる。

 異人というものは、どれもこれもおかしな肌の色をしていて、それが見分けるためのコツだという噂さえもあった。

 なるほど、あの傾いたようにしか思えぬ格好も異人だからということで説明がつく。


(納得したぞ)


 とはいえ、領内を荒らす盗人であるというのならば、異人であろうと容赦はしない。

 信長が仕掛けるために馬に跨ろうとしたとき、


『ショショーニに近づくのならば風下からにするべきだ!』


 と、盗人がこちらも見ずに叫んだ。

 気づかれていたのかと思う前に信長は馬に飛び乗り、鐙に足をかけて馬を駆け出した。

 自然と呼吸を合わせた恒興もわずかに方角をずらして突貫する。

 馬盗人も対抗して白馬に乗るかと思われたが、なんと馬から離れて一目散に沢の脇にある木立めがけて疾走し始めた。

 馬首を巡らせて追いつこうとした恒興は、急な方向転換のため速度が急激に遅くなる。

 その恒興めがけて、盗人が何かを投げた。

 黒いものが飛ぶ。

 辛うじて命中だけは避けたが、馬上であったため姿勢を崩し、少年武士はもんどりうって岸辺に落下していく。

 しかし、それは正解であったろう。

 飛んできた凶器は凄まじい切れ味をもって延長線上のブナの木を激しく抉っていたのである。

 あれが人の頭であったのならば脳髄が吹き出すまで割られていたのは間違いない。


(あいつ、手斧を投げおった)


 逃げるためのなりふり構わない動きではない。

 鍛錬を積んで練り上げた技術だった。

 軌道も機の捉え方も申し分ない。

 恐るべき使い手と言えた。


「どんな奴なのだ!」


 信長は思わず叫んでしまった。

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