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第15話 〈悪霊〉を追う

「〈悪霊うぇんでぃご〉――とかいったな。確か、おまえが狩りたてようと言っている化け物のことか。そんな得体のしれないものがこの世にいるのか?」


 手綱も鞍もない疾走する白馬から振り落とされないようにするだけで精一杯であったが、なんとか口を開いて疑問をぶつけてみる。

 この異人には得体のしれないところがあり、迷信に弱い武士ならば色々と心持を左右されるかもしれないが、赤子のときに一度死んだ影響からか、信長はそういった怪力乱神を恐れることがほとんどなかった。

 もっとも、よく考えてみると、普通の武士であったらこんな胡散臭い異人を傍に置こうとはしないだろう。


『〈悪霊〉はヒトに憑りつき、ヒトの肉を食らう。そして、この世のどこにでもいる。オレの故郷にも、この土地にもいる』

「おまえは狩りたてるといっているが、そいつを狩るとどうなるのだ? おまえの望みはなんだ?」

『精霊が喜ぶ。精霊が喜べばヒトも穏やかになる。土地も喜ぶ』


 やはり頭のおかしい異人の言うことは訳が分からない。

 信長からすれば無視してもいい話だ。

 だが、もしもイサクァの言葉を信じるとすれば―――


「それはするべきことなのかもしれんな」

『ああ、まさに正義をなすことだ』


 ……この世は嘆きに満ちている。嘆きは涙だ。それは人のものだけでなく、大地も、国も、泣いているのかもしれない。誰かが止めなければいつまでもいつまでも続くことになるだろう。涙を自分で止められるものがいなければ、それはそうなるのが流れというものだ。どんなくだらない手であったとしても、手を伸ばさなければすべては最悪へと向かっていく。転がる石のように。

 信長には嫌というほど理解できた。


「おれにできるだろうか……」


 その問いには誰も答えてくれない。

 あるのかどうかさえもわからないのだから。


『キモサベ、見ろ』


 やや小高い丘が近づいてきた。

 このあたりを見下ろすことができる場所だった。

 もし、いくさとなったらまず確保しなければならない要衝地といえよう。


『まずはあそこに行くぞ。〈悪霊〉の背中を捕まえられるかもしれない』

「そううまくいくものかな」

『天を信じることだ。獲物はあとからついてくる』


 まさにその通りになった。

 一台の馬車を囲むようにして走る騎馬の一団があった。

 十人ほどの集団で、西へと一直線に向かっている。


『荷台に娘が一人。煌びやかな衣をまとっている。おまえが捜している娘に間違いないだろう』

「ここから見えるのか」

『ショショーニの眼を舐めるなよ』


 四町半(約五キロ)は離れているというのに、信長とはそもそもの眼の構造が違うと言わんばかりの態度だったが、目の良さというのは探索において何よりも有難い素質である。

 もしも、あの騎馬集団が追っているものと異なった場合、取り返しのつかないことになるかもしれないからだ。


『オレたちは凄く遠くとも動物と木を見分けられる。動物が動いていなくてもだ。動いているのならばバッファローとヘラジカの区別もつけられる。オオカミとクマも。狩りをするには必ず身につけておくべきものだ』


 なんとも尋常ではないバケモノじみた視力の持ち主だとは思ったものの、追いつける可能性が出てきたのは吉報であった。

 信長が促すよりも先に白馬が走り出した。

 まるで彼を敵の前に送り届けるかのように。


『ウマが〈悪霊〉までオレたちを運んでくれる。どうやら、あの近くに一匹いるようだからな』


 異人の言う〈悪霊〉というものが信長にはまったくわからない。

 だが、白馬とイサクァが一片の迷いもなく美濃の姫を誘拐した騎馬の一団を追っていくのは、神仏の巡り合わせのような奇跡を感じずにはいられなかった。

 人質の姫を運ぶための馬車を曳いているため、一団の進みは遅い。

 日が暮れるまでになんとか尻を捕まえることができた。

 その途中、道の端に脱ぎ捨てられた一見織田の家臣らしい着物を見かける。

 やはり身分を偽って謀っていたようである。

 相手は西に向かっていたが、気が付いたときには美濃の国境を抜けて今尾へとたどりついていた。

 今尾から先は道三の家臣竹腰道鎮が城主を務める大垣城のあるあたりだった。

 美濃に入ってから、万が一にでも織田家風の着物を見とがめられないように脱ぎ捨てて疑いをかけられないようにしたのだろう。

 もしや、美濃の蝮が織田家にくれてやった娘を取り返しに来たのかと疑ったが、一団は大垣城には向かわず二手に分かれた。

 数騎はそのまま街道を走り続け、馬車の組は鬱蒼とした茂みの中の小屋の前で止まった。

 馬車の組の武士たちも、半分は人目を避けるようにして小屋から遠ざかっていく。

 やや大きな声を出して馬に鞭をくれているのは、ここまでの道中とは逆に人目に触れるようにという意味だろう。

 自分たちが囮となって、小屋に注目が集まらないようにしているのだ。

 美濃衆の証言といい、なかなかに軍学を齧ったような手際の良さだ。


(たかが知れた野盗の類いではないな。あいつらは間違いなく武士だ)


 集団を見失うことなく追跡を終えることができたのは、恐ろしく目の善いイサクァのおかげでしかない。それほどまで統率のとれた逃亡であった。

 イサクァの眼が美濃の姫が小屋に連れ込まれたまでを現認していなければ見失っていたかもしれない。


「……さて、どうする?」


 信長の願う尾張と美濃の偃武を呼ぶためには、あの姫を助け出して那古野城にまで連れていく必要がある。

 彼女との縁談の相手が自分であることはともかく、その身に何かがあったとしたら道三はきっとそれを口実として尾張に攻め入ることは疑いないからだ。

 信秀がなんとかして時間を稼ごうとし、平手政秀が骨を折った甲斐もなく、再び尾張の地でのいくさが始まる。

 東の三河をさらに越した先にいる今川家が虎視眈々と京を目指し、途中にある尾張を蹂躙することを躊躇わない現状を考えると絶対に避けたい。

 信長自身、織田家には執着はない。

 例え自分の代で滅びたとしても、彼が殺されて弟が家督を継いだとしても、どちらもどうでもいいことだ。

 ただし、故郷の愛着のある景色が戦火に焼きつくされ、跡形もなく燃え落ちるのだけは我慢がならない。

 断固として阻止する。

 同じように馬を降りて小屋の様子をうかがっていたイサクァが声を潜めて言った。


『オレは右から回り込む。おまえはどうする』

「―――どうするって?」

『戦うのだろ。おまえはもう初めての戦いを経験している。やれる』


 信長はわずかに躊躇い、言いづらいことを話した。


「おれはまだ人を斬ったことがないんだ。初陣のときも、刀を振るってはみたが一回も当たらなかった。槍も弓も同じだ」


 初陣で信長は一切の傷を負っていない。しかし、勢い込んで先頭から敵陣に突っ込んだはずなのに、持っている武器の刃には血の一滴もついていないという情けない話となっていた。

 このことは、父親はおろか、小姓たちにも話していない。

 証拠になる刀の手入れは理由をつけて隠れてやった。

 刃をみれば斬りあったかどうか、敵を殺したかどうかすぐにわかる。

 運が良かったことに、吉良大浜の戦いにおいては、敵陣深く駆け抜けながら火を放ち混乱を招き、急いで転身するだけで終わったことから、敵兵の首というものを獲る余裕がなく、はっきりとした手柄は誰もあげていない。生き残ったこと自体が戦果ということである。


『殺っていない? これまでに誰一人、ヒトを?』

「ああ、そうだ」


 すると、イサクァは軽蔑した顔をして、


『情けないやつめ』


 と、呆れたようなため息を放った。

 余計なお世話だと信長は吐き捨てたくなった。

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