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第19話 鉄砲訓練


 風が強く鳴っていた。

 平地に吹く澱んだ風ではなく、山間をすり抜ける冷気を仕込んだ風だった。

 ただし、集団の先頭を行く若者にはさしたる感慨も抱かせないようである。

 背が高く、岩のような雰囲気を持ち、試しに石でもぶつけてみたらさらに硬いものに当たった音をたてそうな巨漢であった。

 彼らは月明かりだけを頼りに歩いていた。

 眼に入るのは闇とそれよりも濃い木の連なりだけという夜半である。

 足元だけでも判別できればそれでいいとばかりに松明も用意せずに、彼らは歩いていた。

 しばらく行ったところで、ようやく足を止める。

 集落にぶち当たったのだ。


「火を点けろ」


 若者の指図で、一人が屈みこみ、風を身体で防ぎながら火打石で油を浸した布切れに火を点けた。

 手慣れた動きだった。

 火は瞬く間に大きくなり、これまで使われていなかった松明の存在意義に応えた。

 十分な油に浸してあったため、強風程度では消えることはない。


「端の小屋だ。あそこなら、燃え広がることもそうはないだろう。おい、誰もいないか、こっそり覗いてこい」


 先頭の若者が指示を出した。

 口調からして頭なのは間違いない。

 背負っていた槍の穂先で一点を指し示す。


「はい」


 一人が駆け足で小屋まで行き、素早く戻ってきて報告した。


「誰もいませんでした。ここしばらく誰かが立ち入った様子すらありませんでした」

「よし、では燃やしてこい。いいな、何度でも釘をさすが、絶対に死人は出すなよ。派手に火が出たらさっさとここからは立ち去るぞ」


 その命令に一人が異論を唱えた。


「三左衛門どの。どうせ焼き討ちをするのならば、百姓どもを道連れにした方がよろしいのでは? その方が尾張の大うつけの鼻を明かせるはずです」


 数人がうんうんと頷いた。

 わざわざ無人の小屋を派手に焼くという意味がわからないのだ。

 いくさの場合、焼き討ちは相手方の支配地域への徹底的な破壊工作である。

 犠牲も出た方が示威行為としては成功のはずだ。

 だが、三左衛門と呼ばれた若者は首を横に振って否定した。


「馬鹿野郎が。話を聞いていなかったのか。今回の火付けは、数をこなして織田の連中をいちいち慌てさせるためにやるのよ。今日中に急いであと三か所を燃やしに行かなければならねえんだ。愚図愚図できるか」

「焼き殺しちゃならねえってのはどうしてですかい?」

「一山いくらの百姓どもでも死人が出れば織田の本気の度合いが上がるからだよ。奴らも人死にがでてないうちはそこまで真剣には取り合わねえもんだ。そこに乗じて、こっちは数をこなしていくって寸法よ」


 郎党のものどもは今一つ納得いかない顔つきだったが、三左衛門も自分で考えだした策ではないのでうまく説得ができない。

 今の彼の郎党は十人しかいない。

 この少人数でやれるべきことは多くないのだから、とにかく彼としては受けた依頼をこなすしかないのだ。

 三左衛門の命令通りに、数人が松明の火を無人の小屋に移した。

 この強風の中だ。一瞬で火が回る。

 小さな小屋などあっという間に火の塊へと移り変わる。

 集落の百姓たちが火災に気が付く前にここから立ち去った方がいい。


「行くぞ。朝までにあと三つ、燃やさなくちゃならねえんだ」

「へい、三左衛門どの」


 男たちは振り向くことなく別の放火予定地めがけて走りだした。

 これからしばらくの間、尾張のこのあたりは予期せぬ火事に苦しめられることになるだろう。

 そして、それこそがこの男たちの目的であった。


  ◇◆◇


 その頃、那古野城の外れより、時折聞きなれぬ破裂音がするようになった。

 信長が堺より仕入れた鉄砲の試し撃ちの音だった。

 多い日には百発。少なくとも一日に五十発ほどを信長が撃っていたのである。

 鉄砲の射撃は彼の性に合っていたのか、できることならば幾らでも遊んでいたいところであったが二つの理由があって控えていた。

 一つは、当時、まだ鉄砲は希少そのものであり、弾丸と煙硝代がいかに守護代の息子と言っても馬鹿にならない出費だったからである。

 ただし、その有用性について理解していた彼はこの鉄砲が将来のいくさを席巻するだろうことを予想していた。

 ゆえに早いうちに自分自身も撃ち方を完全に把握しておこう必死だったのである。


「殿、ここにおられましたか」


 帰蝶が侍女たちを引き連れて射場にやってきた。

 信長が数発で試射を止める理由のもう一つは、これであった。

 昼間のうちは滅多に城にいない信長であるが、鉄砲の訓練をしているときだけは音によってすぐに居所が知れるということもあり、妻がしずしずとやってくるのだ。

 しかも、引き連れてきた侍女が用意した茶を優雅に飲みながら、訓練をする信長の様子を楽しそうに観察するのだ。

 それがなんとも居心地が悪い。

 見世物になった気分だった。

 的の星に当たる度に、おおという小さな歓声が起きるのもむず痒い。

 城の外では、尾張のとんでもない大うつけと陰口を叩かれている彼にとって、手放しの称賛はなんともいえない気分になれる。

 帰蝶らの視線を無視して射撃を続けていても、そのうちに耐えられなくなり、小姓であった橋本一巴(はしもといっぱ)に鉄砲を投げるように渡した。

 うやうやしく鉄砲を受け取った一巴は、慣れた手つきで火薬の煤に塗れた銃口を㮶杖で掃除する。

 鉄砲を仕入れてからその扱いや管理をほぼ一任されている少年にとって慣れたものである。

 その間に、信長はもろ肌脱いだ格好のまま、帰蝶の元へといきどっしりと隣に腰を下ろした。目を合わさずに苦情を口にする。


「見世物にするのはやめろ。気が散る」

「そうは言っても、殿が楽しそうに南蛮の玩具で遊んでいるのを見るのは実に楽しいものなのです」

「玩具ではない。あれは凶器だ。人を殺せる」

「まあ、恐ろしいこと」


 と、まったくそんな様子は見せずに言う。

 我が妻ながら変わった女だと信長は思う。

 見れば侍女たちも当初美濃からやってきたときと比べるとかなり遠慮がなくなっているようにも見える。

 主人である帰蝶があまりにもこの城の生活に馴染みすぎて、お付きの女どもも同様になっているのだろう。


「大うつけの妻と肩身が狭いだろうに、おかしな奴だ」


 そんな信長の疑問を鼻で笑い飛ばし、


「私は殿のお心をよう知っておりますので」


 またもほほと微笑する帰蝶。

 しばらく茶を飲んでいると、帰蝶が武芸場を見渡す。

 きょろきょろと誰かを探しているようだった。


「どうした」

「イサクァの姿が見えないようですが……あの異人はどうなされました? もともとは、あれが殿の鉄砲の指南役であったと覚えておりますが」


 武芸場にいるのは鉄砲係の一巴と、護衛にはいっている数人の小姓たちだけで奇妙な格好をしたイサクァはいない。

 以前であれば、隅にある木の陰に座り込んで何やら細工をしながら信長の射撃を見物していたものである。

 そもそも、帰蝶の言う通りに信長に鉄砲のことを教え、興味を持った信長が堺から購入するための仲介をしたのがイサクァであった。

 ある日、イサクァが紀州根来寺の津田妙算という坊主を那古野城に連れてきた。

 津田妙算は種子島に漂流した南蛮人から、日本には存在しなかった鉄砲を買い取り、根来寺に伝えた僧侶である。

 その妙算と何故だか知り合いだというイサクァは、信長の前でなんと手ずから鉄砲を試し打ちしてみて、その威力を説明して見せたのだ。

 むしろ、妙算よりも鉄砲のなんたるかについて詳しいぐらいであった。

 信長は好奇心もあり言い値で購入しようとしたが、根来寺でもまだ複製の大量生産はうまくいっていなかったため、妙算のつてを頼って堺の商人から買い取る段取りとなった。

 実際に手にした鉄砲の威力を理解すると、これを大量に手に入れようとしたが、なにせ希少品で値段が高い。

 鉄砲を運用する部隊を作るとなるとどうしても百挺単位が必要となる。支払う代金もとてつもない金額になった。

 どうしても金が必要になった信長は、那古野城周辺の関所の一部を廃止し、商人たちの行き来を容易にすることを思いついたという訳であった。

 父親譲りの海上貿易もさらに加速させていった。

 鉄砲購入のために始めたこの自由経済のやり口が、実際に大きな効果があったため、現在の繁栄の礎となっているのは皮肉な結果であった。

 そのような経緯を経て、信長はイサクァから鉄砲の手ほどきを受けたのである。その際に、一巴も兄弟弟子のように鉄砲を学んだ。

 他の小姓たちも鉄砲に触れることはあったが、どうにも一巴ほどの適正はなかったらしく、信長が鉄砲係として任命したのは一巴だけということになっている。

 なおこの橋本一巴は、その後信長の命で国友村の鉄砲鍛冶である国友善兵衛に六匁玉鉄砲五百挺を注文する責任者となっているなど、鉄砲係として主人の信頼を勝ち取っていく。

 また、那古野城の武士の中で、異人であるイサクァと信長の次に親しいのも一巴である。

 素直な一巴は、面倒な性格の異人にとっても得難い理解者となった。

 すでに数年の付き合いとなっているにも関わらず、いまだに恒興や利家とは馴染めていない狷介な野人にとっては珍しい友人といっていい間柄である。


「ここしばらく、城には顔を出さなくなった。奴もおれと同じ嫌われものよ。おおかた、平手の爺あたりに追い出されたのだろう」

「まあ。平手様ったら、殿のお友達になんてことを」

「友ではない」


 帰蝶からすると、イサクァは夫の信長とともに、輿入れのときに野盗に攫われた自分を助け出してくれた恩人でもあり信頼に値する相手だった。

 馬盗人云々の小さな悪行については、きっと遠い異国の風習だろうとまったく意に介していなかった。

 つまりイサクァに甘いのである。

 信長はため息をついた。

 齊藤道三と手打ちができてから、ここしばらくいくさらしいものは、犬山城にいる従兄弟にあたる織田信清が蜂起し粕井に侵攻してきたのを、信秀が撃退したというもの以外はない。

 このいくさに信長が参加していないのは、戸田康光によって今川家に人質に送られるはずなのに織田家に引き渡された竹千代の父親松平広忠の動きを警戒して、国境近くに布陣していたためである。

 そういったどさくさで忘れていたが、確かにイサクァが姿を見せないというのは気になる。

 あの異人を放っておくと特大の面倒ごとを起こしそうな予感がある。


「――放ってもおけんか」


 信長は空を見上げた。

 いつもの風がなぜか吹いていなかった。

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