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第24話 赤錆の槍使い


 加藤屋敷の塀の上に二人の男が並んでいた。

 位置からして、襲撃者たちのすぐ後で塀に昇り、それから鉄砲を構えて射撃したのだろう。

 時間にしてもほんのわずかな間に、この当時では動かない的に狙いをつけるのですら困難と言われていた鉄砲を構え、しかも立ったまま敵を撃ち抜いたのだ。

 襲撃者の頭――三左衛門は驚愕した。

 まるで別の世界の出来事のように思われた。

 なぜなら、彼の手下を撃ったのは、鉄砲を堂々と構えた婆娑羅な装いの目の部分に穴の開いた覆面の男と、帯状の布を頭に巻いて袖を外した湯帷子をまとい、丈の短い獣柄の半袴をはいた、髪を結いあげ、そこに烏らしき鳥の飾りをつけた顔に泥を塗った怪人だったからだ。

 どちらも、この場に相応しくない夢幻から出現したかのような不気味さ。

 しかも、片方は鉄砲、もう一人は短弓を手にして、どちらも一人ずつに命中させていた。

 おかげで手下は残り三人。

 半分を陽動のための火付けに回していたことが裏目に出た。


「土岐の!」


 三左衛門は彼にこの件を依頼してきた土岐一族の男を呼んだが返事はない。

 後詰めとして彼らの背後を守っていたはずなのだ。あの男がしっかりと仕事をこなしていれば、あの二人組に奇襲される心配はなかった。

 だが、どんなに待っても現れない。

 三左衛門は依頼主に裏切られたことを悟った。

 ここで、三河の嫡男を暗殺することで織田家を追いつめるという謀略に加担したのは、斎藤家との和議を破壊するためだ。

 その目的を果たすために死んでも構わなかったが、裏切られて死ぬのだけは我慢ならなかった。


「くそっ」


 無意味に死ぬのはごめんだ。

 赤錆の槍を振り上げた。

 このまま刃を下ろせばガキは死ぬ。

 風切り音が鳴った。

 思わず上半身を逸らす。

 何かが空気を斬って飛んできたのだ。

 間一髪だった。

 首の前を投擲された手斧が過ぎ去っていく。

 塀の上に立つ怪人が放ったものだった。

 あんなものが当たれば即死は間違いない。

 舌打ちをした。

 考え直すしかない。こんなところで餓鬼一人の命と引き換えにこんなところで死ぬのか。

 命が急に惜しくなってきた。

 血の昇っていた頭が冷えたのだ。

 たかの知れた刺客のような真似をしたまま犬死にでもしたら、家名は残るどころか断絶する。

 武士としては断じて耐えられることではない。

 だから、ここは逃げる。逃げるのだ。松平の倅に執着して逃げる機会を逃すわけにはいかない。


「散れ!」


 生き残った手下たちに命じると、それぞれ別の方角へと走り出した。彼の信念からしたら身を裂かれるように辛いかったが、逃走の邪魔になってしまうので長年使ってきた愛槍は置いていくことしかない。


「ご無事を、三左衛門どの!」


 脱兎のごとき思い切った走り方の手下が振り向きもせずに言い放つ。したたかな武人ばかりの連中だ。なんとか生き延びるだろうと信じて、三左衛門も続いて走り出す。

 中には判断の遅いものもいるがそれでも背後からついてくる。

 逃げるには邪魔であるが、だからといって大切な手下を無碍に振り切るわけにはいかない。

 裏門の表には屋敷の立ち番がいたが、たったの二人だった。この屋敷を襲う前に散々調べは尽くしている。

 三左衛門の武芸の腕ならば刀で斬り捨てられるだろう。

 曲者の登場が門の外からならば警戒するだろうが、内側から現れたものに対しては油断もするはずである。

 裏から閂を外し飛び出すと、陽動で付けられた火事の方角をぼんやりと眺めている門番たちがいた。

 読み通り、まさか屋敷内から三左衛門がでてくるとは想像もしていないようだ。


(二呼吸で斬り捨てる)


 一人を下から斬り上げ、返す刀で残りを殺す。

 頭の中に引いた図面通りに背後に音もなく近寄ろうとした瞬間、甲高い嘶きがして、側面から怒涛のような馬蹄の音がやってきた。

 思わず地面に身を投げ出した三左衛門と違い、手下は迫りくる美しい白い馬身に見惚れたように足を止めてしまう。

 銀浪の前肢の蹄が胸板に食い込み、後方に弾け飛んだ。

 勢いよく駆けこんでくる馬の一撃を耐えきれる人間はいない。

 手下はこれだけで即死し、頭を抱えて守る三左衛門の上を白馬――銀浪は跳んだ。

 突然のことに度肝を抜かれて立ち尽くす門番たちに、馬上にいる覆面で顔を隠したさっきの鉄砲の男が叫ぶ。


「おれは織田三郎信長である! このものは、この屋敷の客人である三河の嫡男を攫おうとしたどこぞの手のものだ! さっそく取り押さえて、牢にでも放り込んでおけ!」

「は、はい!」


 地面に這いつくばったうえで、背中から槍を突きつけられては三左衛門もどうすることもできない。

 なすすべもなく制圧されてしまった。

 例え運良く立ち上がれたとしても、馬上から刀を振るわれては頭蓋を斬り割られて死ぬしかない。

 完膚なきまでの完全な敗北である。


「大うつけの信長だと……」


 顔をあげた三左衛門は聞き覚えのある声に顔をあげた。

 あっと自然に喉から空気が漏れる。

 そこにいたのは、誘拐した美濃の姫を奪還しに来た馬とそれに乗っていた少年の姿に酷似していた影だったからである。

 あの時は一瞬だけの邂逅であったし、だいぶ大人びてきてはいるが、忘れられぬ屈辱から見間違えるはずはない。

 顔こそ隠しているか、三左衛門の目に白馬に乗った忌々しい姿が強く眩しく焼き付いていたのだ。


「――またか、信長め……」


 信長が四六時中領内を練り歩いていたとき、できる限り接触しないように避けていたために、この時まで近くでしっかりと最近の様子を見たことはなかったのである。

 まさか、大うつけと呼ばれる守護代の嫡子がまたも立ち塞がってくるとは……


「おい、こいつが〈悪霊〉なのか?」


 信長は三左衛門から視線を外し、屋敷内から現れたイサクァに問いかけた。

 イサクァはひょこひょことやってきて首を横に振って否定した。


『臭いはするが、こいつじゃあない。こいつは利用されただけの飾りだ』

「そうか。――おい、おまえ。素性をいえ」

「誰が貴様などに……ひと思いに殺せ」

「たかの知れた刺客の類いならばとっとと始末をするが、おまえ、さっき竹千代を殺すのを躊躇ったな。幼子を手にかけるのを嫌がっただろう」

「ふざけるな。餓鬼など必要とあらば、いくらでも、幾人でも殺せるさ!」

「それに、先の誘拐のときも、我が妻を傷つけずに攫ったな。帰蝶からはおまえが野盗よりははるかに武士らしく女どもを扱っていたと聞いているぞ。あのときも、美濃衆ともども侍女も皆殺しにしてしまえばいいのに、縛るだけでおいていったところについて、おれは嫌いではないぞ」

「ええい、殺せ、はやく殺せ! 武士を嬲るな!」 


 虚仮にされているようで腹が立って仕方がなかった。仮にも武士である。嘲弄されて黙ってられるものか。

 だが、そんな強がりを信長は一顧だにせず言い放った。


「おい、おまえたち。さっきの言いつけは取り消す。―――こいつは那古野の城へ連れていく。興味が湧いてきた。……〈悪霊〉のことについてはあとで吐かせる。おまえもそれでいいな」


 すると、合流してから黙って問答を聞いていたイサクァは肩をすくめ、呆れたように、


「好きにしろ、キモサベ」


 と、言った。

 本命の〈悪霊〉をまたしても取り逃がしてしまったイサクァは、もう何もする気も起きなくなっていたのだ。口を割らせるために拷問するのも面倒くさい。

 とはいえ、〈悪霊〉の正体を探る情報源だ。逃がすことはできなかった。


「もう一度聞くぞ。おまえ、名を名乗れ。武士であるのならば名を問われて口を閉ざすのは家名に誇りがない証だ。きっとそういう類いの男ではあるまい?」


 そう言われては黙っている訳にはいかない。

 どのみち、彼がここで死ねば絶える家系だ。誇りがないと尾張はおろか美濃にまで吹聴されては死んでも死にきれない。


「―――おれは、森越後守可行が長男、森三左衛門可成。だが、貴様などに何一つとして口は割らない」


 と、宣言した。

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