信秀の葬儀中に起こった嫡男信長の暗殺未遂事件。
真っ先に動いたのは、信長に後を任された平手政秀であった。
「本堂の扉を閉めよ!」
葬儀の参加者が何かをする前に一度完全に締め切ることにしたのだ。
もともと葬儀の仕切りを任されていたのは政秀であったことから、本堂に詰めていたのが平手家の家臣であったことも幸いした。
本堂は完全に締め切られ、誰一人として外に出られなくなった。
政秀に対してようやく林佐渡守が異議を唱えようとしたとき、先手を打って大声を発する。
「亡き大殿の葬儀に参列されている皆々様に告げる。たった今、この葬儀の喪主を務められていた上総介さまが不逞の輩によってお命を狙われるということが起き申した。これは、動機は定かではないとしても、大殿様の法事を邪魔し、織田家の家名に泥をかける暴挙である! わしは即刻、下手人を捕らえ、操り手が誰であるのかを吐かせたいと思うておりまする。―――そして!」
政秀はいったん言葉を切り、参列者を見渡してから、
「このようなことは二度とわしの目の黒いうちはやらせぬようにいたしまする。皆々様もご承知おきくだされ!」
それだけを告げると、再度、本堂の扉を開けるように命じる。
「……大殿様をお送りする葬儀を続けましょうぞ。上総介さまの焼香は、やや大げさな形ではあるが終わり申したので。さあ、さあ、さあ!」
政秀に促されて、番僧が次の焼香者の名前を読み上げる。
「―――勘十郎信勝さま!」
顔を青くした信勝が立ち上がる。
たった今、目の前で兄が刺客に襲われたのだということが恐怖とともに染みわたってきたのである。
信勝はまだ初陣を体験していない。
命のやり取りをしたことがないのだ。
さっきまでの凛とした振る舞いはどこにいったのやら、フラフラと後片付けの終わった焼香台に近寄る彼を見て、
(……この有り様ではしばらくは三郎どのに織田家を任せるしかないか)
と、信勝擁立派からもまだ早いという評価を下されるのであった……
◇◆◇
この葬儀のときに起きた事件は、結局のところ、信長の大うつけとしての奇行ということで処理された。
まさか、当主の葬儀の場で喪主の命が狙われたなどということは間違っても口には出せない。
逆に、父の位牌に香を投げつけるとは乱暴極まりない前代未聞だということで収めたのである。
本来、信秀の死後、すぐにでも信長廃嫡に動いてもおかしくない犬山、清洲をはじめとして、柴田勝家、佐久間盛信、林通勝らが様子を見始めたこともあった。
事実、信秀が亡くなって一か月もたたずに今川方に寝返り、信長に反旗を翻したのは鳴海城主の山口教継(左馬助)、教吉の父子だけであった。
癸丑の四月十七日。
山口父子は、今川義元配下の岡部元信を尾張に引き入れ、笠寺と中村に砦を築き、鳴海城は教吉、中村の砦には教継が陣を張った。
これに対し、信長は那古野城の八百の兵で中根村をかけ通り、小鳴海へ移ると、砦を見下ろせる三の山を本陣としてから、鳴海城の教吉が率いる二倍の千五百の兵と、三の山の東、鳴海より北にある赤塚の村で激突した。
狭い赤塚での戦いであったため、双方ともに下馬して戦い、彼我の距離が近すぎて倒した敵の首も獲れないという悪条件の中、離れて向かい合い、矢戦になった。
信長の軍勢は三十騎が戦死したが、荒川又蔵を捕らえることに成功する。
結果としてみれば、山口父子を討ち損ねた結果、引き分けと判断されているいくさだった。
しかし、当時の家督継承が行われたばかりで、織田の将来に不安を抱く武将も多く、一人が今川につけば芋づる式に他も寝返りかねない状況で、今川義元が援軍として送り込んだ武将たちは一つの城を任されるほどの武将である し、今川の「両家老」と言われた三浦正俊まで参戦していた力のこもった布陣であった。
この不利な戦況を引き分けにまで持ち込んだのだ。
つまり、東海一の弓取り、今川義元の侵攻第一波を見事に退けたといってもいい。
このいくさぶりは尾張中に知れ渡り、
「上総介どのは、うつけはうつけでもいくさに強い大うつけよ」
と、皮肉交じりに噂されることになった。
そのため、信長に反感を抱いていた家臣たちもうかつには動けなくなる。
事実、八月に清州織田家で実権を握っていた坂井大膳らが松葉城と深田城を襲う以外、約二年ほど大きないくさは起きることがなかった。
これには、信長のいくさ上手もあったが、それと同様に平手政秀の采配もあった。
家中の武将がのきなみ非協力的な中、八百の手勢のみで二つのいくさを勝ち越し、かつ、那古野城下を経済的に発達させるという手際は、並大抵のものではなかったといえる。
信秀が亡くなったことで、自分が信長の唯一の理解者であるという誇りがみせた献身でもあったろう。
そのため、優秀で替えのきかない当主が死んだというのに、いまだ那古野周辺はうまく栄え続けていた。
「―――やはり、平手政秀を殺そう」
美濃にあるとある寺の中で恐ろしい謀が行われていたことを知らなければ、である。
その武士は、年の頃二十五ばかりの美丈夫であった。
各務野にとっては、それまでに出会ったどんな人物よりも公家のようで、肩衣も袴も仕立てが良く、挙措も洗練されきった武士に思えた。
主の帰蝶のお使いで城下にでた彼女が、久しぶりに見た男は、かつて鷺山城で顔を合わせたときと寸分も変わっていなかった。
彼女に話しかける優しい声も、かけられると思わず嬉しくなる言葉も。
「―――今は主命でな、三河の方へ行く途中なのだ」
正月の過ぎ去った城下町の喧騒から離れ、人目につきにくい松林に連れ立った二人は、仲の良い夫婦のようにこっそりと近況を語り合った。
「まあ、危険はないのでございますか?」
「わしも武士だからな。覚悟はできておる」
「でも……みつ」
「今の拙者は天海十兵衛ということになっておる。おぬしもそう呼んでくれ」
「はい、十兵衛さま」
秘密を共有するという体験によって、男女の心の垣根が外れるということは往々にしてある。
特に口が堅いことを求められる上級武士に仕える侍女は、沈黙による鬱屈がたまることが多い。その分、男から頼られると弱い。
各務野もそうであった。
主である帰蝶が敵国に嫁いだせいで、もしかしたら二度と故郷には戻れないかもしれない。
そんな中、かつて恋情を抱いた男が口実を見つけてこっそりと尋ねてきてくれたというだけで体の芯が熱くなる。
休みであったのならばその辺の茂みにでも倒れ込んで女の歓びを味わいたいぐらいであった。
「……お主が鷺山からいなくなって寂しかったぞ」
男も各務野の腰を抱き、股を割る。
熱くときめいた。
城にいた頃は何度も人目を忍んで逢引をしていた関係であった。
「わたくしも……」
唇を吸いあい、短いながらも強い抱擁を交わす。
美濃衆の中でもたいそうな礼儀作法の持主であり、最も知恵のあるものと噂されるお武士であり、斎藤家ではその意見が実に重要視され、こぞって思慮深い見事な男であると褒めたたえる男とこんな関係になれるのを素直に喜んだ。
祝言があげられるとも、側室に迎えられるとも考えてはいない。
ただ、口数の多いほうではないこの男に、一時だけでも夢中になってもらうだけで各務野は満足であった。城内で睦合ってしまう大胆さも、この男とならばいくらでもできた。
「―――濃姫様のご様子はいかがだ」
「はい、いつもお元気で。どうして、そのようなことを?」
「殿からの密命だ。蝮とて一人娘は可愛いものとみえる。それとなく、あの無口さで拙者に告げてきたのだ。帰蝶はどうしておるか、とな」
「まあ、道三さまが。……姫様もお喜びになるでしょう」
「それはやめてくれ。拙者がこの国を通ったのが、平手政秀あたりに知られると面倒だ。拙者とあの御仁は姫様の婚儀を取り仕切った仲でな、よおく見知っておるのさ。道を歩いていて出くわしたら厄介だ」
「そんな。平手さまでしたら、しばらくはお忙しくお城から出られることはまずございません。城下でばったりなどということはありませぬ」
「……やはりな」
二人は濃厚な口づけを続け、各務野が数年ぶりの発情に我を忘れていきそうになったとき、
「暮れ四つに、城の裏からわしを招け」
「なんですと?」
「久しぶりにおぬしを抱きたくなった。おぬしが城の外に出るのは難しいだろうから、拙者から会いに行こう。どうだ」
「ぜひ。十兵衛さま」
そうして、美しい顔立ちと微笑み、そして沈黙を上手く操る貴公子然とした男が警戒厳しい那古野城へと侵入していくのであった……