各務野の首を掻き切り、死骸がすぐには見つからないように隠すと、天海十兵衛はゆっくりと闇の中を歩き出した。
月がでていない那古野城の内部は真っ暗で、ところどころに蝋燭が立っている以外に光源はない。
むしろ、一人で動くには暗闇の方が有利である。
城の構造については把握していた。
さっき殺したばかりの各務野から聞き出しておいたのだ。
那古野城は方形館となっており、周囲には堀・溝で囲郭した武家屋敷が立ち並んでいた。
もともと信秀は、信長の産まれた勝幡を居城としていたが、いくさで守るには難しい低地の平城であったため、名古屋台地の北端にある高台(現在では標高11m)にあった那古野城へと移った経緯がある。
平城においては、川や湖、沼、田などを利用して攻め手を動きづらくする必要があったが、那古野城の場合は台地の高台を用いているのであった。
城の周りは北矢蔵、南矢蔵、守護代館で囲み、重臣たちの屋敷もそこに建てられている。
那古野城の場合は、林通勝と平手政秀らの屋敷があったが、万松寺での葬儀の一件以来、林一族はお勤めを怠けるようになっていた。
今でいうサボタージュである。
もっと、信長としてはそれをむしろ奇禍として、平手一族を中心に那古野経営を行い、自分に従う家臣たちだけの力で町を栄えさせていくようにしていった。
非協力的な家臣たちはいかに有力であろうと切り捨てることで、かつて重臣たちの顔色を窺い、身動きを取りにくくなっていた代々の尾張の守護たちの轍は踏まなかったということである。
その意味で平手政秀は信長の最大の忠臣であったといえる。
ゆえに狙われることとなっていた。
(平手政秀はこちらか)
もし、天海十兵衛が信長の暗殺をもくろんでいたのならば、四方を囲まれた中を侵入しなければならないが、彼の狙いは平手政秀であった。
那古野城の得難い重鎮ではあったとしても、彼に的を絞った暗殺というのは基本的には考えられない。
多くない警護は、主君の信長かその正室の帰蝶に集中せざるを得ないのである。
それゆえにいったん城の中に入り込んでしまいさえすれば、ほとんど自由に動き回ることができた。
この時代、どんな城でも城主の一族と家臣たちの暮らしぶりは似通っている。
家老格がどこにいるかも予想は容易かった。
ひたひたと城内を歩き、もし人とすれ違いそうになったら目を閉じて気配を消せば暗闇の中では充分にやりすごせる。
十兵衛は生まれつき自分が恐ろしいほどの強運に恵まれていることを知っていた。
この運がある限り、思ったままの生き方ができる。
彼に対抗しえるのは、同じような天運に恵まれた一握りのものたちだけだ。
そして、その運は目標へと続く道を勘働きによって教えてくれる。
無造作に足を進めるだけで目的地にすんなりと辿り着けた。
(おったな)
平手政秀は、蝋燭の灯りを頼りにして、書き物をしあげていた。
この当時、兵については同格の内藤勝介が中心となり、信長自身がどこからか連れてきた若い武士たちが担っていたが、経済関連についてはまだ政秀の差配がなければ及ばないことが多かった。
政秀の息子の五郎右衛門はまだまだ頼りなく、他の息子たちも若すぎた。
自然と政秀へかかる負担は増えていくが、それ自体を苦に思ったことはなかった。
なぜなら、手塩にかけて育てた信長の真価がこの頃になってようやく見えるようになってきていたからである。
元服前に見え隠れていた弱々しさがなくなり、不気味な異人と交流して婆娑羅を気取りだしたのにも深い理由があることが分かっていった。
事実、去年は信秀の葬儀の場で暗殺されるおそれがあったにもかかわらず、単独で切り抜け、父親亡き後の跡目争いにおいても、重臣の多くが推す信勝に勢力で負けることもなかった。
いくらなんでも長すぎると思われた槍の部隊、よそでは類を見ない何百挺もの鉄砲を手に入れた、少数にしては強力な手勢の結成は、久しぶりの軍事的行動となった萱津のいくさで威力を発揮した。わずか八百の兵でも、信長が率いれば信秀の後継として十分な武力を魅せるということを証明したのだ。
だからこそ、政秀は裏方として若者を支えることに熱中した。
ここで力を蓄えておけば、これから先、駿河の今川家が侵攻してきても十分に立ち向かうことができるし、今は良好な関にある美濃の斎藤家が例え裏切ったとしても織田家が揺らぐことはないだろう。
感無量であった。
――あと少しだ。
あとわずかな時間があれば、上総介さまは織田家を背負って立つ本物の武将におなりになられる。
政秀の目尻に涙が浮かびそうになった時、
「……誰だ」
ことん、と何かが落ちるような音がした。
書き物机から顔をあげたが、彼の視界には誰もいない。
隙間風でも吹いたのかと、また筆を手にしたとき、背後から手を掴まれ、首を絞められた。
何者!と問おうとしたが気管を絞められて呼吸すらできない。
「お久しぶりですな、平手どの」
すべての力を振り絞って背後を見ると、蝋燭の昏い炎が見知った顔を浮かび上がらせる。
(き、貴様は……土岐の……!)
信長と帰蝶の婚姻のときに、氏家直元とともに仔細を取り仕切った美濃衆の一人であった。
稀に見る美貌の持ち主であると感心したものだ。
美濃衆は小さく囁いた。
「あなたが死ねば、上総介は政を為す力を無くし、織田は今度こそ身内の争いでこのまま滅びる。いや、そうでなければ困るのだ」
息ができなくなり、政秀の顔が真っ青になる。
このまま絞められても死ぬしかない。
「おっと、拙者が殺したということになっては困る。平手どのには、上総介どののあまりの行状の悪さに諫言のために腹を切ったということになってもらわねばならぬのだ。それで、上総介どもへの家中の憎しみが増すことになる」
喉に巻かれていた腕が外れる。
しかし、痛めつけられていた咽喉からは荒い呼吸の音しか漏れてこない。
(このままでは……このままでは! 若! 申し訳のうござります! わしはこやつに殺されることになる! お許しを! わしは良き殿を持った果報者だが、ここで若を見捨てて逝くことになったこと、お許しくだされ!)
動けない政秀の腹が素早くむき出しにさせられる。
十兵衛は逆手に脇差を持ち、
「さらばだ、平手どの」
老いた腹へと一気に突き立てた。
年を取って衰えた腹筋はやすやすと刃の侵入を許す。
文机が血に染まる。
政秀の脳裏には信秀だけが浮かんでいた。
そして、わずかに遅れて信長も現れる。
(殿……若……申し訳ございませぬ)
十兵衛は倒れ行く老体を音を立てないようにすっと横たえた。
優しさも誠実さもない打算に満ちた振る舞いであった。
この日、信秀と信長父子の忠臣であった平手政秀は死んだ。
天文二十二年一月十三日。享年六十二であった。