読む前から予感がありました。
なにか……恐ろしい反応をもたらす劇薬のようなものを読む予感です。
2日かけて数回読みました。
数えていないので回数はわかりません。
この作品を読んで受け取ったものがあるのは『わかる』。
でも、何を受け取ったかをどう説明していいか『わからない』。
でもそれでいい気がしています。
たとえその『受け取った』とわたしが思っているものが誤解だったとしても、わたしはこの作品を通して、また裃さんという作家のことをとても面白いなと心底思ったからです。
理解できるもんならしてみろ。
でも絶対に理解するな。
けれど理解しろ、理解して。
でも理解できるわけがないだろう。
そういう叫びみたいなものが行間からずっと聞こえているのです。
わからなくて、わかりたくて、手を伸ばすけど届かないことに絶望する気持ち。
精密機械のような情緒と感情。
下手に触れるとわたしは傷だらけになりそうだし、裃さんのことも傷つけそうな気がする。
それくらい『触れたら危険』な取り扱い注意作品だと思う。
そもそも詩とはそういうものですね。
心肺停止してコードブルーでギリギリ延命。
フラットなラインの真ん中で一回だけ息継ぎのように跳ねた状態。
ここから蘇生するのかはわからない。しないかもしれない可能性が高いけど、する可能性も0じゃない。
最後に表紙。
火と水という対立したものが向き合った真ん中にあるのは関係性の螺旋。わかり合えないのに交わらないのに、螺旋を描くもの。
『Chat if』と『What if』の群れ。
失われた『もしも』の記憶。
変化を引き起こす感情の原因がすれ違い、理解し損ねた、すべての時間の話。
これは感想なのかレビューなのか。
何を書いているのかって?
わかりません自分でも。
そういう感じのものが伝染するんです。
何せこの作品は詩だから。